Trois

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   こういうときに顔に繋ぎ目がなくてよかったと思うのです、お父さま。フランソアの優しい瞳が醜い顔を見なくて済むと思うと少しだけ気が晴れるのです。ありがとうお父さま。私の顔に女性の肉片を使ってくださり、感謝いたします。  私はふわり、微笑みながらフランソアの腕の中で微睡んでいた。とても安心できる優しい腕。シルクの柔らかなパジャマと肌が穏やかに擦れ合う。ちゅっ、ッと音を奏でてフランソアが私の指先にキスを落とす。そのままパリが一望できる窓辺に置かれたダイニングテーブルに誘導される。朝日がきらきらと舞い踊る窓辺にゆったりと幅が取られたダイニングテーブルが存在する。そのテーブルの上には一輪のバラが小さな花瓶に生けられて置かれていた。みずみずしいバラ。 「スープをあたためて持ってくるから、少しそこにいて」 「な、なにか手伝うことは…?」 「んー…そうだなぁ、そしたらその原稿を見て気づいたことがあったら教えてくれ」  ダイニングテーブルに揃えられて置かれていた原稿という物。その紙の束がなんなのかは教えてもらっていた。フランソアはこれを小説の卵だと言っていた。ゆっくり大事にあたためると動き出すんだ、命を宿すんだよ、と言っていた。白い紙の束は印刷された字が並び、フランソアの殴り書きの字も踊っている。  でも私が手伝うと言ったのは朝食の支度であって、彼の大事なテリトリーにお邪魔することではなかった。私はフランソアが大事にしている執筆という仕事に、命を宿している最中の紙に触れることができなかった。お父さまが絵を仕上げていた時と同じ匂いがする。なにかが芽吹く匂い。  このリビングには至る所にお父さまの絵が飾られている。『受胎告知』がリビングの本棚の上に小さな写真立てに入れられていたり、『岩窟の聖母』が壁に飾られてあったりと、フランソアが私が寂しくないようにと考えて置いてくれてあるものだった。父とフランソアはどことなく似ている。それが創作者、創造者という者なのかはわからないけれど、静かだけど荒々しく戦士のように芸術に向かう姿が似ている。父は芸術の神様に愛されていた。父は神に近い、いや神そのものだったかもしれない。 「あれ、見てくれなかったの?」  フランソアは不思議そうな表情を携えながら私の前に緑色のスープを置いた。 「プティ・ポワ。えんどう豆のスープだよ」  私と同じお皿をフランソアは自分の分も用意していた。私とフランソアの間にバケットが置かれる。「食べられたらパン食べてね」と柔らかく微笑んだフランソア。  私はフランソアが神のような存在になってほしくないと考えていた。フランソアには神の存在ではなくて、私の近くにいるような人でいてほしい。傲慢な願いを持ってしまっていた。
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