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「釣り堀にも行った事無いあなたが釣りに行くだなんて、珍しいね」
その日の夜、夫と二人で夕食の素麺を啜りながら交わした会話は、いつも通り味気なくて、事務的だった。
付けっぱなしになっているテレビからは、食レポ中らしい芸人の胴間声が響いている。
今日はそれがやけに耳につくな…と、テーブルの隅に置かれたリモコンを取り上げた。
「…部長に誘われたんだよ。次の日曜日、鮎釣りに付き合えって」
テレビの音量を下げた私に答える夫の声は、ムスッとしている。
いつも楽しみにしている夕食が、自分の嫌いな冷たい素麺だからだろう。
子供の頃、夏休みに毎日素麺を食べさせられたせいで大嫌いになったと言う夫だが、温かいにゅうめんは何故か普通に食べる。
普段の献立は、食べ物の好き嫌いが激しい夫に合わせる事の方が多いんだから、たまには良いじゃないの、と思うんだけど…。
ガラス製の中鉢の中で白い渦を描き、氷水でキリッと冷やされた素麺は、暑い季節に涼を添えてくれるし…私の好物でもあるんだから。
心の中でため息を落とし、中鉢に箸を伸ばす。
「そこの川、友釣り解禁になったってニュースで言ってたもんね。私の職場のおじさん達も予定立ててたよ。上流まで行くの? 釣り道具は?」
素麺よりも夏野菜の天麩羅の方に箸が進んでいる夫は、考える素振りをしてから頷いた。
「西側の支流からスタートして、流れに沿って移動しながら釣ろうかって。友釣り用の竿や仕掛けは部長が余分に持ってるし、オトリ用の鮎を入れておく引き舟や鮎タモも揃ってるから、釣り道具は買わなくていいってさ」
鮎には、自分の縄張りに入って来た魚にアタックして、追い出そうとする習性がある。それを利用し、生きたオトリを使って鮎を釣り上げるのが友釣りと呼ばれる釣法なのだが…。釣り経験ゼロの夫でも出来るのだろうか。
「あの部長、上から目線で人に教えるの好きだからな。行きと帰りの運転頼まれてるし、接待ゴルフならぬ接待釣りみたいなもんだ…」
疲れた顔で、獅子唐の天麩羅を口の中に放り込む。
「買う必要があるのは、入漁券と自分の装備くらいかな。帽子とラッシュガードの上下に、フェルトソールの渓流タビと…。あとは、偏光グラス」
「偏光グラス?」
「サングラスみたいな形したやつだよ。水中にいる鮎の姿と、食み跡が確認出来るらしい」
成長した鮎が川石に付いた石アカ類を食べる頃になると、鮎の歯はブラシ状の歯へと変わる。
石に頭を擦り付けるようにしながら、表面に付着した石アカを削り取って食べるのだ。
私も以前、川岸から見たことがある。
魚影の濃い場所、質の良い苔の付いた石を縄張りにしている鮎の、すぐ傍にある丸みを帯びた石。
クシで削った様な、紡錘形の食み跡を。
夫は来月のお盆の予定について、ぼそぼそと話し始めた。
「今年も親戚みんなで、お祖母ちゃん家に集まるみたい。正月に二人目がお腹にいるって話してた従姉妹の子、先週女の子が産まれたって。一万円で良いって母さんが言ってたから、包んでおいて」
「……うん。わかった」
素麺を摘み上げようとした手が、真上で止まる。
お腹が空いていたはずなのに胃がきゅっと縮んでしまって、それ以上は箸が進まなくなった。
『お腹、触らせて貰ったら? 赤ちゃん、出来るかもしれないよ?』
曖昧に笑うしか出来ない私と、お義母さんや親戚たちの言葉に俯き、黙りこくる夫。
私の意識は仄暗い川底に沈んで、テレビの音も、夫の声も段々遠くなった。
……どうして、見付けてくれないんだろう。
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