第43章  クリスマスの誓い

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第43章  クリスマスの誓い

「………クソっ!!」 突然、剣吾がその腕を解き、長い脚でガードレールをひょいと跨ぐと、薫子の手を掴んで乱暴な足取りで向かいの公園に歩きだした。 引っ張られるような形になった薫子は、涙を拭う間もなく大股な剣吾に着いて行くのが精一杯だった。 「 ちょっ!……ちょっと、剣吾!?」 強引に連れていかれたその向かいの公園は、周囲を (シイ)楠木(くすのき)のような常緑樹に囲まれた結構な広さのもので、中央にはかなり明るい外灯の下にこじんまりとした池があった。 剣吾はその池の近くまで薫子を連れていくと、くるりと振り返った。 「 ねぇ……怒ってるの?あたしが来たら何か具合悪かったの?」 薫子は剣吾の不機嫌そうな、それでいて興奮状態の顔を覗き込んだ。 「 具合悪い事があったか、やって?」 剣吾は大げさな身振りで天を仰いだ。 「 有りやな、大有りや!俺の完璧な計画が丸潰れやで!」 「 完璧な計画ですって?」 薫子の眉間に小さなしわが寄った。 剣吾は大きく頷くと、腰に手を当てた。 「 俺は、明後日に名古屋へ行く予定やったんや。クリスマスに、おまえを迎えに行って、それで……」 珍しく剣吾が言葉尻を濁したことに、薫子は首を傾げた。 「 それで?あたしをクリスマスに迎えに来て……それで、どんな完璧な計画を立ててたのよ?」 遠慮のないストレートな質問に、剣吾は大きな溜息をつき……そして、壊れものでも扱うかのように薫子の頬にそっと触れた。 剣吾の長い指が触れた途端、薫子の心臓は大きく跳ね上がる。 「 まぁ……もうどうでもいいことやな、俺の計画なんて。こうしておまえに逢えた事に比べれば、大したことではない気がしてきたわ……」 もう、限界だった。 薫子は剣吾の言葉を聞きながら、彼の胸に倒れ込むようにしがみついた。 それはまるで迷子になった幼い子供が、親を見つけた時のようだった。 「 ……もう無理!もうこれ以上剣吾と離れていたくないの!だから、来ちゃったのよ!だって……仕方ないでしょ?淋しくてどうにかなりそうだったんだもの!」 それは、何一つ飾らない、ストレートな告白だった。 自分の胸に顔を埋め、腰にしがみつき、心情を吐露した薫子に、剣吾はひどく感動した。 先程とは違い、剣吾は激しい感情を押し殺すように薫子を両腕で抱きしめ、その夢にまで見た懐かしい香りの髪に、そっと顔を埋めた。 「 俺の方は……もうとっくにどうにかなってたんやで。自分がこんな風になるなんて……よもや想像もしてなかったわ 」 やはり感情を抑えるようなくぐもった声で、剣吾は静かに告白を始めた。 「 本当は、もう少し冷静でいられると思ってたんや、歳も歳やしな!……せやけど、今やから白状するけどな……このひと月程は、正直、のた打ち回ったわ 」 「 なんで?」 つと、顔を上げて薫子が剣吾を見た。 「なんでって……おまえが聞くか!?」 剣吾は呆れたような、それでいて決まり悪そうな笑みを浮かべた。 「 こうして、おまえをこの腕に抱けない事が、こんなに辛いものだとは思わんかったって言ってるんや。この歳になって、こんなにも誰かに執着するとは……自分でもビックリやったわ!」 薫子は、剣吾の告白に無邪気に顔を綻ばせた。 「それで?……もっと、もっと聞かせて」 濡れた瞳でせがまれて、剣吾は不覚にも胸が詰まった。 「 何度も何度もおまえは夢に出てきたし、突然おまえに呼ばれたような気がして振りかえったことも、一回や二回やなかった。朝起きて、なんでおまえは隣におらんのやろうと思い、夜誰もいない部屋に帰る度に、おまえを力尽くでもこっちへ連れて来なかったことを悔やみ……」 剣吾はそこで薫子の頬を指先で軽く突いた。 「 おまけにこの気の強いお嬢さんは、全くの音沙汰無しや!俺が出した葉書の返事も一度もくれへんかったやろ?あの時は待ってるって言ってはくれたけど、実はもう忘れられたんかもしれんとか、新しい男に乗り換えたんやないかとか、くだらんことばっかり頭に浮かんで……俺は気が気やなかったんやぞ?」 「 なんか、あたしって随分信用無かったのね?」 薫子は爆発しそうな幸福感を押し殺しながら、わざと拗ねたように口を尖らせた。 「 じゃぁ、なんで返事くれなかったんや?別に難しいことやなかったやろ?」 「 ……あたしには難しかったのよ。聞きたいことも言いたいことも山のようにあって……それを一言にするなんて、出来なかった。かといって、嘘は書きたくなかったし、在り来たりの社交辞令書く位なら、出さない方がマシだと思ったの 」 薫子の表情は、その頃の例えようのない辛さを思い出して、曇った。 「 でも!だからといって……あたしが平気だったなんて思わないでよね?全然平気じゃ無かったんだから……ずっとずっと辛くって……来る日も来る日も剣吾の事ばかりで…… 」 剣吾はそっと顔を傾けて、かすめる様に薫子の唇をキスで塞いだ。 「 もう言わんでええ。すまん、くだらん愚痴やったな!ホンマは俺が一番わかってるんや。おまえは必死に背筋を伸ばしてたんやろうに。辛い事を辛いと認めずに、淋しい事を淋しいと認めずに踏ん張ったんやろ?」 懐かしい剣吾のキスと、彼らしい理解に、とうとう薫子は泣きだした。 この時の為に自分は頑張ったのだと、あらためて痛感した。 「 薫子、結婚しよう!俺の、嫁さんになってくれ 」 薫子が泣き止むのを待って、剣吾は迷わずに切り出した。 顔を上げ、必要以上に瞬きを繰り返しながら剣吾を見つめる薫子の顔は一気に喜びに崩れた。 想い余って、剣吾の首にしがみ付く。 「 する!!結婚でも何でもする!剣吾のお嫁さんになる!死ぬまで剣吾の傍に居る!」 薫子の細い身体をひしと抱きしめ、剣吾は再び顔を近づける。 だが、二人の唇が触れるか触れないかの寸でで、薫子が囁いた。 「 一つだけ……条件があるの。一つだけでいいから、約束して 」 「 ……ん?なんや?」 薫子の唇が剣吾の唇をかすめる様に開く。 「 あたしより先に死んだりしないって、約束して。あたしを……絶対に一人にしないって、誓って 」 その言葉を受けて、剣吾の表情が一瞬複雑そうに歪んだ。 「 絶対の約束は……出来ない。おまえを一人残す事など考えたくもないが、こればっかりは順当にいけば俺が先や。それが、おまえより14年も先に生まれてきた俺の宿命やろうとも思うしな。だが、最大限の努力はすると誓う。一分一秒でも長く一緒に居られるように、努力する……それでは、あかんか?俺はおまえに相応しくはないか?」 剣吾の誠実な言葉に、薫子は優しげに微笑んで、思い直すように小さく首を振った。 「 あたしは……どうあったってあたしは、剣吾じゃないと駄目だもの。あなたが居ないと生きてはいけないもの。だから……それでいい。もしも剣吾が死んだら、きっとあたしも死んじゃうから、それでいいの 」 それは、剣吾にとって初めて見るような薫子の姿だったのかもしれなかった。 高飛車でもなく、生意気でもなく、意地を張るでもなく……彼女本来の、純真無垢な心そのものの言葉。 剣吾は込み上げる熱い塊に、胸を詰まらせた。 今にも泣いてしまいそうで、言葉が出てこない。 おそらくは、誰にも見せたことのない本当の彼女が、そこに居た。 剣吾は目と鼻の先にある薫子の真っ直ぐな瞳を見つめる。 「………死ぬまで一緒や。そしてきっと俺等は、死んでからも尚一緒や。だから、二人は永遠に一緒なんや!」 「 うん、きっとそうね……絶対、そうね…… 」 どちらからともなく二人は唇を重ね、この五ヶ月間を埋めるかのようにお互いを求め合い、貪りあった。
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