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退屈していた。周回するような日々に。
些細な変化を見つけ出しては、大事件のようにはしゃいで、騒いで。
些細なことで迷っていた。答えを探していた。前髪の長さや、マニキュアの色。
好きな人の好みの女の子になれるよう、必死だった。
* * *
「おはよー美羽」
「おはよー夏子、前髪どしたん?」
「え、普通に湿気でまとまらん。めっちゃ憂鬱」
「スプレーしか勝たん」
「どこのスプレー?」
「内緒」
「教えてよー死活問題なんですけどー」
もうすぐ夏休み前のテスト期間に入る時期だ。湿度はすごいしテスト期間は近いしで憂鬱な日々。
「おはよー」
「はよー」
言い合っていると根本 颯太と渡辺 健一が登校してきた。颯太の爽やかな笑顔に朝から幸せな気分になる。颯太はノリもいいしイケメンだし優しいし言うことなしだ。颯太と健一は二人ともバスケ部で、とにかくモテる。とりあえず一番仲の良いグループに居るので他のグループの女子に牽制はできているけど。
「何の話してんの?」
「ガールズトークですぅ〜」
「何それ」
健一がつまらなさそうに返事をする。健一はとにかくいい奴でイケメンなんだけど、颯太と違ってなんかピンとこないんだよなあ。
「ねえねえそういえばさ、隣のクラスの葉子から聞いたんだけど、「マユコ」って知ってる?」
美羽が話を変えてきた。
「なんか学校の裏の稲荷神社で『友達ができますように』ってお願いするとメッセージアプリで友達になるんでしょ。で、何でも答えてくれるアプリ? みたいなやつ」
結構有名な噂になっているので答える。ちなみに私はこういうのあんまり信じないんだけど。
「それなんだけど、葉子が試してみたんだって。そしたらこれ見て」
そう言って美羽は葉子とのメッセージアプリの画面を見せてくる。そこには葉子のとったスクショで「マユコが友達になりました」と表示されていた。
「マジで? どういう仕組みなん?」
「わかんね。でもマジで何でも答えてくれるらしい」
「マジかー、え、うちらもやろうよ、無害なんでしょ」
「あんま頼りすぎると良くないらしい。でも別に電話番号とかID知らせるわけじゃないし。じゃあ今日の放課後に皆でやろ」
颯太と健一、そして私と美羽のグループは、東京の高校生とかと比べると微妙だけど、クラスで一番垢抜けている。所謂クラスの上位カースト。やっぱりこーゆーことは早く試して先取りしとかないと、クラス内のカーストに影響出る気がする。他の子がこの話した時に「あーね」ってマウント取れるのはでかい。
「ってわけで、学校裏の稲荷神社行こう」
放課後、美羽が口火を切る。颯太たちは「え、マジで?」「それ大丈夫なん?」と言っていたけれどなんとなく雰囲気に流されて神社まで来た。
神社は打ち捨てられた感じだ。鳥居は朱色の部分が剥げて下の木が剥き出しになっていて、木々が鬱蒼と生い茂っていた。雑草も伸び放題になっていてまだ明るい時間帯なのに全体の雰囲気が暗いし重苦しい。
「えーめっちゃ怖いじゃん。葉子よくこんなところに入ったよね」
「ほんとそれ。怖い」
私たち女子がそう言っていると、颯太たち男子は、
「ここまで来たら行くっしょ!」
「別にそこまで怖くなくね?」
と言ってきた。男子の勢いに押されて私たちは境内に足を踏み入れた。
「なんか虫刺されそう」
「わかる」
膝下まで生い茂る雑草が足に絡んで痒い。
狛狐は片方は耳が欠けていて、もう片方は右脚の部分が欠けている。
神社の中を進んでいくと手水場だった何かがあって、水はとっくに枯れているし、柄杓はバラバラに壊れていた。
さらに進むと本殿みたいなものがあって、そこはボロボロに朽ち果てていた。かろうじて柱で屋根を支えていて、その柱も少し押せば倒れてしまいそうな程だ。
お賽銭箱も朽ちていて、その上にある鈴はいつ落ちてきてもおかしくないように見えた。
「うわぁ……」
「マジでやばくない?」
「ボロボロじゃん」
「なんか呪われてそー」
そんな会話をしながら本殿の前で各自お賽銭を用意する。
「マジでやる?」
「やろやろ」
男子が先にお賽銭を投げる。コロンコロンという音がして、お賽銭箱に小銭が吸い込まれていった。
そしてそっと鐘を鳴らして、二礼二拍手一礼。
私たちもそれに倣ってお賽銭を投げた。
『友達ができますように』
そう願って鐘を鳴らして、二礼二拍手一礼。マジでやってしまった。
「……」
全員でスマホを確認した。何も変化はない。
「おいー何も起らないじゃんか」
「葉子の自作自演じゃね?」
皆どこかで安堵しつつ、神社を後にした。
「わーやっぱり虫に刺されてる!かゆ――」
ブーブブー。
四人のスマホに同時に通知が入った。すぐに確認すると、
【「マユコ」さんが友達になりました】
とメッセージアプリから通知が来ていた。
「マジかよ……」
「本当だったんだ」
「えーちょっと怖いんだけど」
颯太以外が動揺する中、颯太は、
「……とりあえず何か聞いてみようぜ」
と「マユコ」とのトーク画面を開いて何か入力を始めた。
【佐伯先生と三谷先生は付き合っていますか?】
と入力した画面を私たちに見せてくる。すぐさまそのメッセージに「既読」がつき、返信があった。
【付き合っています】
「うおーマジじゃん」
颯太が感心して声を上げる。
「いや、実際に付き合ってるかどうかうちらで確かめようがないじゃん」
と美羽が即座に突っ込んだ。佐伯先生と三谷先生が付き合っているというのは有名な噂だけれど、私たちが確かめられることではない。
「じゃあどうしよっかなー」
颯太は暫く考えた後、
【明日の数学Ⅰの小テストで出てくる問題を教えてください】
と入力した。またしても即座に「既読」がつく。
【数学Ⅰの小テスト
次の式を展開の公式を用いて成立させなさい。
問1 (a+b)^2 答a^2+2ab+b^2
問2 (a−b)^2 答a^2−2ab+b^2
問3 (x+a)(x+b) 答x^2+(a+b)x+ab
問4 (a+b)^3 答a^3+3a^2b+3ab^2+b^3
問5(a+b)(a^2−ab+b^2) 答a^3+b^3】
「なんかそれっぽいね……」
「明日になんないとわかんないけど」
「これが出たら本物ってことだよね」
「とりあえずこれスクショして共有しとくわー」
半信半疑ながらも颯太は皆に「マユコ」からの返信をスクショして送ってきた。
「マユコ」のアイコンは普通の女子高生の自撮りだった。目が大きく顔立ちが整っていてかなり可愛い。そんな彼女が颯太と友達になったのに若干妬けるというか、微妙な気持ちになりながら、その日は帰宅した。
「『マユコ』かぁ……」
家に帰ってお風呂に入ってから、改めてメッセージアプリで「マユコ」のホーム画面のプロフィールを確認する。コメントは「もうすぐ夏休み!水着ほちぃ」となっていて、背景画像は近くの喫茶店のいちごパフェ。とても美味しそうに写っている。一見して普通の子だ。何でもかんでも答えてくれる怪しいアカウントとはとても思えない。
うーん、この子が普通の女子高生で颯太と仲良くなっちゃったりしたらどうしよう。可愛いし、近所に住んでるっぽいし。
考えていくうちにもういっそ颯太の好きな人を聞いてしまえばいいのではないか?と思ったのでメッセージを打った。時刻は零時近く。マユコは起きているんだろうか。
【根本 颯太の好きな人は誰?】
即、既読がつく。彼女は起きているようだ。
【根本 颯太の好きな人は高山 夏子】
「……っ!」
思わずガッツポーズをしてしまった。いや、明日の数学のテストが始まるまでは「マユコ」が本当のことを言っているかはわからないけれど。
でも、とりあえず良しとして私は寝ることにした。
「マジで『マユコ』すごくね!?」
「……バッチリ当たったね」
結論から言うと、数学の小テストは「マユコ」が昨日予言した通りの問題が出た。つまり佐伯先生と三谷先生は付き合っているし、颯太は私のことが好き、ということになる。
だから無邪気に話しかけてくる颯太に対してかなり意識してしまって、なるべく不自然にならないように対応するのが精一杯だった。
「これでテストは無敵じゃん」
「う、うん。そうだね」
「どうした高山、なんかおかしいぞ?」
「何でもないよ、ちょっとびっくりしただけ」
私たちはテストの度に「マユコ」を頼った。どう言う理屈なのか全くわからないけれど、ちょっとした便利ツールみたいな感じで使っていた。
テスト前に「マユコ」に出題問題とその答えを聞いて、そこを重点的に勉強して高得点をゲット。夏休み前のテストもそれで楽勝だった。流石にいきなり全問正解は不自然なのでちょっと間違えたりして、それで私たちのグループが成績上位を独占した。
それで普段成績がいいグループに少し睨まれたけれど、クラス内のカーストは私たちの方が上なのであまり問題ではなかった。
「おい、高山〜」
「な、なに……」
それよりも問題は颯太のことだ。両思い。でもそれを知っているのは「マユコ」に聞いたからで……。この恋愛をどうすべきか悩んでいる。まあ幸せな悩みなのだけれど。
「夏休み、みんなでプール行こうぜ」
「……いいよ」
「みんなで」かあ。まあ、いつメンでいくだろうとは思ってたけど、ちょっと残念。でももしかしたら二人っきりになれるタイミングがあるかもしれないし、楽しみだ。
「うーん……」
夏休み五日目、ついに明日、みんなでプールにいくことになったのだけれど、水着が決まらない。ワンピースみたいなひらひらでキュートなやつにするか、ビキニタイプでひらひらは少しだけでちょっと大人っぽいやつにするか。どっちも今年買った新しい水着だ。
どっちが颯太の好みだろうか?
こういう時は……。
【根本 颯太はワンピースとビキニどっちが好き?】
【ビキニ】
なるほど。「マユコ」が言うなら間違い無いだろう。私はビキニの水着をバッグに詰めると明日に備えて早く寝た。
翌日。
「おっはー」
「おはよう美羽。颯太たちは?」
「もうすぐくるって。ねえどんな水着にしたの〜?」
「……ビキニ」
「マジで!? わー私も攻めればよかった……。あ、颯太たちきたよ」
「おっす」
「じゃあ着替えて集合ね!」
そう言って別れて、水着を着て集合場所に向かった。
「……高山、お前……」
颯太が口ごもる。心なしか顔が赤い。
「なに?」
「……いや、何でもねー」
私は心の中でジャンプしたいほど嬉しかった。マジで颯太の好みだったらしい。「マユコ」様様だ。
それからはビーチボールをしたり、浮き輪で浮かんだり、ウォータースライダーで遊んだりしてプールを満喫した。写真もめちゃくちゃ撮って加工してすぐにSNSにアップロードする。
昼前。美羽が「ちょっとお手洗い行ってくるね」と言って去った後、健一が「あー僕お腹減ったから何か買ってくるわ」と食べ物を買いに行ってしまった。
唐突に訪れた颯太と二人っきりの時間に戸惑いを隠せない。いや、期待していたけど、いざとなると全く言葉が出てこない。
「あ、暑いね〜」
苦し紛れに私が言った言葉がこれだ。あまりの情けなさに言ってから凹む。
「確かに、今日は晴れてよかったよなー。室内プールがあるって言ってもやっぱり屋外プールの方が解放感あるし」
颯太は若干目を逸らしながら言う。
「あのさ〜、その、私の今日の水着似合ってる?」
「ええっ、や、まあ〜似合ってんじゃね? 俺そういうのよくわかんねえ。妹ならわかるかも知れねえけど」
颯太は頑張って目を合わせてくれるのだけれど、目が合うたびに赤くなりながら目をそらして、その様子に胸が締め付けられるような気持ちになった。
「あ、妹さん元気?」
「おー。ゴールデンウイークに栃木行ったんだけど、アウトレットモールでめちゃくちゃ服買ってた」
「妹さんおしゃれだもんね」
わ、わ、二人っきりで会話が続いてる……! 他愛ない話だけれど、お互い水着だとめちゃくちゃ特別感がある。
「お待たせ〜」
「お、おー……」
健一が先に戻ってきて空気は元に戻ってしまった。寂しいような、ほっとしたような不思議な気分だ。
それから美羽も戻ってきて、また皆で遊び始めた。
帰り道は日中の暑さが嘘のように涼しかった。
「めっちゃ楽しかったー」
「今度ナイトプールにも行きたいね」
「それ!絶対行こ」
私と美羽が話していると、颯太が「そういえばさー夏休みの宿題どうする?」と現実を突きつけてきた。
「えっ」
思わず固まる私と美羽に健一が言う。
「それはさー『マユコ』に頼んでおしまいじゃん?」
「確かに!」
美羽が嬉しそうに言う。「とっとと片付けてたくさん遊ぼーっと」
「そういえば最近『マユコ』使ってないな」
「……そうだねーぶっちゃけ勉強以外で使うところないよね」
颯太の一言に、勉強以外にも「マユコ」を使っている私は動揺を隠して同意した。
健一が言った通りに「マユコ」に答えを教えてもらいながら夏休みの宿題を終わらせると、私たちは毎日のように遊び続けた。当然ママに「夏休みの宿題はどうしたの?」と聞かれたけれど「もう終わった!」と答えたら何も言われなくなった。
「あー、次、どこで遊ぶー?」
美羽が退屈そうに言った。宿題は終わったものの、高校生の身分で遊べるところも遊びに使えるお金も限られている。ここはそこまで田舎と言う訳ではないけど東京みたいにいろんなお店があるわけではないので、結局ファストフード店かカラオケで時間を潰すことが多い。
カラオケは学割がきくけれど、何回か行ったら歌のレパートリーがなくなってしまったので、私たちはファストフード店に集まることが多くなった。
平日で学生しかいないファストフード店で精一杯時間を使ってクラスの噂話とか、「結局佐伯先生と三谷先生って付き合ってんだねーキモ」とか「動画サイトで見たエモい動画」とかそう言う話で時間を潰して帰る日々が続いた。
そんなある日、
「駅の北口に新しくボウリング場できたらしいから行ってみない?」
と健一が提案した。近所にあるボウリング場が数年前に潰れてからずっとボウリングはしていない。つまり私たちはボウリングに飢えていた。しかも毎日ファストフード店で時間を潰すのにも飽きていた。すぐさま颯太が反応した。
「マジで? 知らなかった! 行こ行こ」
「じゃあ明日はボウリングってことで十三時に駅の北口に集合な」
「おっけー」
帰り道。ママに「夕ご飯までには帰ってきてね。パパは出張だからお寿司にしましょう」と言われていたので、いつもより少し早めに帰路につく。お寿司が楽しみだなと思って足早に駅前の繁華街を歩いていた時、一瞬見慣れた背格好の男性が見えた。
え、パパ……?
横には地味目だけれど若い女の人がピッタリと寄り添っている。パパは県外まで出張に行くから今日は帰らないって言ってたのに、駅前にいるなんて。これって、まさか……。
いや、人違いかもしれない。一瞬だったし、パパは平均的な背格好だしスーツの男の人の見分けなんてつかない。隣にいた女の人もママとは全然違う地味目な人だったからパパのタイプじゃないだろうし。パパとママの仲は別に普通だし。うん、別人……だと思う。
「……ただいま」
「お帰りなさい。お寿司もう買ってきてるから早く食べちゃいましょう」
いつもパパがいない時に出てくるちょっといいお寿司だけど、今日は味があまりしなかった。パパが浮気してるかもしれないなんてちょっと重すぎる。だからって美羽とかに相談できる話題でもないし。
私は早々にお寿司を食べ終わると自分の部屋に引っ込んだ。もちろん「マユコ」にパパのことを聞くためだ。いや、知りたくないと言う気持ちもある。でもこのままモヤモヤしているよりはいっそ聞いてしまいたい。ベッドに腰掛けて手に汗を握りながらメッセージアプリを開く。
【お父さんは浮気しているの?】
【していない。見たのは他人】
「っはーーー……」
思わずベッドに仰向けになった。よかった、他人だったんだ。……うん?「マユコ」が私が見た人物についても知っているのは何故だろう? あの場にいたんだろうか?でも女子高生くらいの年齢の人は私だけだった気がする。うーん、まあいっか。お父さんが浮気してないってわかったし。
それよりも明日のボウリングだ。どんな服を着ていこう?自分のクローゼットから比較的動きやすい組み合わせをピックアップして悩む。デニムは確定として、肩出しトップスかヘソ出しトップスか迷う。どっちもいい感じにセクシーなやつだ。
それにメイクもピンクベースかブラウンベースか悩みどころだ。セクシーに合わせるならブラウンだけど、恋が叶うメイクとして話題なのはピンクベースのメイクなのだ。
【ボウリングに着ていく服、肩出しかヘソ出しどっちがいい?】
【ヘソ出し】
【メイクはピンクベースかブラウンベースかどっちがいい?】
【ピンクベース】
「マユコ」が答えてくれる。私は安心してヘソ出しを着てピンクベースのメイクをしていくことに決めた。合わせて髪の毛もアップにして行こう。お父さんの件も解決したし、私は安心して眠った。「マユコ」は恋する女子の味方だ。
翌日。
「美羽やほーってかめっちゃ気合入ってない?」
「プールでは夏子にやられたからね!今回は気合入れて来たんだ〜」
美羽は肩出しトップスにロングスカート。メイクはブラウンベースで全体的に大人っぽい。私もこっちの方が良かったかも?
でも「マユコ」は絶対だ。絶対ピンクベースの方が正解。
美羽と他愛ない話をしていると颯太たちがきた。
「お待たせー」
健一がそう言って四人が集合した。颯太の目線は……私の顔を見て、おへそのあたりを見て、彼の耳が少し赤くなった。やった!今回も「マユコ」の言う通りにして良かった。
そんな気持ちを隠して会話に参加する。
「チーム分けどうする?」
「さすがに男子対女子じゃ勝負にならないよねー」
確かにそうだ。チーム分けのことまでは想定していなかった。絶対颯太と同じチームになりたい。
「グッチーで決めよ」
「そうだね」
健一と美羽が話している隙に「来ているメッセージに返信します」みたいな顔で素早く「マユコ」のメッセージ画面を開いた。
【颯太と同じチームになりたい。グー? チョキ?】
【グー】
「夏子?」
美羽が声を掛けてくる。
「あ、ごめん。メッセージ返してた。グッチーやろ」
「おっけー」
「せーのっ、グッチー!」
私と颯太はグー、美羽と健一はチョキ。見事に一回で別れた。……美羽は心なしか残念そうな顔をしている。ずっと美羽は私と張り合ってるだけかと思ってたけど、どうも颯太のこと好きっぽい。他のグループの女の子たちは牽制できてたけど、同じグループにいる美羽は牽制しきれなかった。
颯太は私のことが好きだって「マユコ」は言ってたけど、美羽は可愛いしあざといから油断できない。このボウリングで颯太との仲を深めなくては。
ボウリング場で靴を借りてチームごとに座る。新しいボウリング場はまだ知名度がないらしくお客さんは少なめだ。でも設備は新しくて綺麗だし、床もピカピカ。めっちゃテンション上がってきた!
「ただ勝ち負けつけるのじゃつまんないから、負けた方の奢りってことにしよーぜ」
健一が意気揚々と提案する。
「いーじゃん!高山、絶対勝とうな!」
「うん」
颯太と目を合わせて気合を入れる。それから皆で球を選びにいった。最後にボウリングをしたのは数年前。八ポンドとか九ポンドの重さの球を手に取ってみたけれど、どの球が自分に合っているかわからない。でもこのボウリングではちゃんと活躍して颯太と沢山ハイタッチしたい……。
【私に合う球の重さは?】
【九ポンド】
「マユコ」はなんでも答えてくれる。答えられない質問なんてないんじゃないだろうか。私は九ポンドの球を手にすると、レーンまで戻った。
「えー夏子九ポンドなのー?すごーい。私八ポンドしか持てないよー」
「私も久しぶりだから投げられるかわかんないけど、重い方がいいかなって思って」
球の重さは一ポンドしか違わないのに、すかさずか弱いアピールをしてくる美羽が少しだけ鬱陶しいなと思いながらも、颯太と同じチームであるという心の余裕でそこまで苛立ちは覚えなかった。
「勝負は五ゲーム、三ゲーム以上取った方の勝ちなー」
健一が進行する。いつの間にかスコアが表示される画面も設定されていた。二レーン使って一チーム一レーンを使い、各チームの合計得点で勝敗が決まる。
「おっけー、じゃあゲーム開始!」
まずは健一から投げ始めた。私は健一の投げ方に驚いた。すごいカーブがかかってて早い。数年ぶりにボウリングに一緒にきたけれど、最後に来た時と投げ方があまりにも違っていて驚いた。当たり前のようにストライクを獲って美羽とハイタッチしていた。
続いて颯太が投げる。颯太も同じような投げ方で鮮やかにストライクを獲っていった。慌ててハイタッチをする。その手も私の記憶より大きくて骨っぽくなっている。ああ、男の子ってこういう風に成長するんだな、と思ってドキドキしてしまう。
次は美羽の番だ。「よいしょ……」とボールを持ち上げ、ゆっくり歩きながら「投げる」と言うより「落とす」といった感じで球を転がす。ゴトン! と落とした球はゆっくりとピンに向かって進んでいき、端っこの四本のピンを倒して終わった。
「わー難しい」
「ドンマイ」
健一が励ます。美羽は取り立てて落ち込んだ様子もなく、席に座った。
最後に私の番だ。
「めっちゃ久しぶりだから下手だったらごめん」
「大丈夫だって! 俺ストライクしか出さないからさ」
と颯太が励ましてくれる。
私は球を持ち、少し早めに足を踏み込んで投げた。球は速度を持ってまっすぐ進みなんと八本のピンを倒した。美羽の二倍。
「おーナイス!」
でも残りのピンは両端に位置していて、私の実力では良くて片方のピンを倒せるかどうかと言うところだ。右側と左側、どちらのピンを狙うべきか……。
【右側と左側のどちらのピンを狙うべき?】
【左側】
美羽が投げてガーターになった後、私は左側のピンを狙って球を投げた。
「わ!」
「ナイスー!」
なんと左側のピンが跳ねて右側のピンとぶつかり、スペアを取ることができたのだ。颯太がハイタッチしてくれて、ドキドキした。美羽の視線が痛い。
そのボウリングの勝負は私と颯太のチームが勝った。颯太と健一は同じくらい投げていたけれど、美羽が明らかに足を引っ張っていてそれが原因で負けてしまった。
「もー!お小遣いかなり減ったじゃん!」
「まあまあ、今度は僕が奢るからさ」
「今月はアクセも買いたかったのにー!」
私たちはそんな二人を苦笑いをしながら見て、「勝てて良かったね」と言い合った。今回のボウリングでかなり颯太との距離が縮まって良かった。
ボウリングが終わって解散し、帰宅した後、私は早速「マユコ」に気になることを聞いてみた。
【美羽は颯太のことが好きなの?】
【好き】
やっぱりか。道理で何かと張り合ってくるわけだ。このまま美羽が攻め込んでくると颯太の気が変わってしまいそうで不安だ。
早く颯太と付き合いたいなあ。そう思って、「マユコ」に聞いてみた。
【颯太と付き合う方法は?】
【願い事を叶える方法:夜八時以降に稲荷神社に四人で来る事。そして神社の本殿の四隅に座ること。そして中央に這い出し、順番に「一隅の婆様」、「二隅の婆様」……と数えていくこと。そうすれば願いが叶う】
【そうすれば私の願いが叶うの?】
【計画した人の願いが叶う】
謎のお呪いを教えられた。どうにも怪しい。「マユコ」のことは信じているし、このまま美羽がどんどん颯太にアピールして颯太の気が変わってしまう前に颯太と付き合いたい気持ちはあるけれど、四人となるといつメンの美羽、颯太、健一に声をかけることになるから、彼らをこのわけのわからないお呪いに巻き込んでもいいものか……と考える。
このお呪いの正体を調べて、無害か有害か判断しよう。
そこで私はスマホで「隅の婆様」について検索してみた。
『隅の婆様(すまのばさま):江戸時代にあった降霊術のこと。夜中に真っ暗な部屋の四隅にそれぞれ一人ずつ座り、四人一斉に部屋の中央にあつまる。そしてそれぞれの頭を「一隅の婆様」「ニ隅の婆様」と言って触る。すると、四人しかいないはずの暗い部屋の中に、五人目がいるという』
「え、降霊術!?全然願いが叶うお呪いじゃないじゃん」
願いが叶うお呪いと言って降霊術を教えてきた「マユコ」に対して一気に不信感が募る。今までもどうやって知ったかわからない情報を教えてくれていた「マユコ」は人間ではないのではないか?と薄々思っていた。しかしあまりに便利だったのでそれを無視して「ツール」として使っていたのだ。
それにしても「マユコ」は私に「何」を降霊させようとしているんだろうか?
そもそも「マユコ」って一体何なんだろうか?お手軽に聞きたいことが聞けるアプリ感覚で使っているけれど、神社でお参りして友達になるって良く考えたら異常だ。
私は引き続き「マユコ」「稲荷神社」というキーワードを調べた。
『現代のコックリさん!? 「マユコ」について
「マユコ」はとある高校の裏側にある稲荷神社で「お友達ができますように」とお願いするとメッセージアプリに登場する謎の人物だ。明日の天気から誰が誰を好きかまで答えてくれるらしい。特に課金は必要なく(お賽銭に入れる五円程度はお金がかかるが)、何でも答えてくれるこの「マユコ」に一部の高校生は頼って生活しているようだ。
しかしこの「マユコ」、筆者くらいの年齢になるとあるものを思い出さないだろうか?
そう、「マユコ」その昔、一九三〇年代頃から流行った「コックリさん」とそっくりではないか!
若い読者に説明すると、「コックリさん」は五十音と鳥居を書いた紙と十円玉を使って「コックリさんコックリさんおいで下さい」と呼び出す。そして「マユコ」と同じように明日の天気から誰が誰を好きかまで答えてくれる。
ちなみにこの「コックリさん」は一説によると漢字で書くと「狐狗狸さん」、つまり狐、狗、狸などの霊との対話であるという。
「マユコ」は稲荷神社で呼び出す。「コックリさん」は紙に書いた鳥居から呼び出す狐などの霊……これは何か付合しているように思えてならない。
引き続き当ホームページでは「コックリさん」および「マユコ」の体験談を募集しています!』
何この「コックリさん」って……気持ち悪い。今度は「コックリさん」について調べてみた。……昭和から平成初期に流行ったゲーム? らしい。
「コックリさん」にまつわる話を色々検索していくと、「友達が狐みたいに四つん這いになってお祓いに行った」「友達がトランス状態? になって精神病院に行ったままもう五年帰ってきてない」「教室でやったら窓のガラスが全部割れて怪我人が出た」「使った十円玉を使おうとしたけど何度使っても元に戻ってきた。ずっと獣臭かったのもあって親に頼んでお祓いに行った」「ずっとやってた三人はみんな精神疾患になって自殺しちゃった」などとやたら怪奇現象が起こっている。
え、これヤバいやつじゃん。めっちゃ怖い。え。
「マユコ」イコール「コックリさん」だったらマジでヤバい。四人揃って死んじゃうかもしれない。
私はインターネットで調べた結果を美羽、颯太、健一に送った。「『マユコ』=『コックリさん』説めっちゃある!みんな使わないほうがいいよ。ってかブロックしよ」という文章を添えて。
そして自分のメッセージアプリの友達一覧から「マユコ」をタップして「ブロック」を押した。
みんなからは「え、やば。ブロックした! 葉子にも教えてくる」「教えてくれてありがと! 速攻ブロックした」「超怖い!! ブロックしたよー」と返信があった。
これで安心。これから「マユコ」が使えなくなるのは不便だけれど、颯太の気持ちも知れたし、夏休みの宿題は終わってるし当面は困ることはないだろう。
インターネットで調べ物をしていい時間になったので、私はお風呂に入ることにした。さっきたくさん「コックリさん」の怖い話を読んでしまったので一人で入るのは怖かったけれど、この歳になってママと一緒にお風呂に入ろうなんて言えない。
だから、いつもは家族のみんなが寝静まった深夜に入るのだけれど、今日はまだ家族が起きてる時間帯に入ることにした。
「あら、もうお風呂? 早いわね」
やはりママに不思議がられた。それを無視して浴室へ向かい、シャワーを浴びてから湯船に浸かる。耳を澄ますとリビングのテレビの音が聞こえてきて安心した。
テレビの番組は「スッキリ!日本」という、日常であった思わずスッキリしたエピソードを視聴者から募って、再現VTRにするというものだ。ママが好きで良く観ている。相変わらずだなあと思いながら、ふわふわ聞こえてくるテレビの音声に耳を傾ける。
すると音声が急にハッキリして、
「それで〜私のことブロックしてきた友達全員呪い殺しちゃんたんですよ〜これってスッキリしません?」
湯船に浸かっているのに体が芯から冷える。今の何? 聞き間違い?
「もう本当にムカついて〜ずっとずっと病気で苦しめて〜最後は自殺しちゃって〜キャハハ!ね〜面白いでしょ?」
女の子の声だ。その声がだんだん大きくハッキリとしてくる。まるでどんどん「マユコ」が近づいてきているような。
「やっぱりブロックとか腹たつんで、呪い殺しちゃいますね〜」
声はさらに近づいてきて、リビングで流れているテレビの音だと思っていたものが、お風呂の中で話しているように聞こえてきた。
そして耳元で、
「だから夏子ちゃんも殺すね」
「――!!」
同時に湯船の中に思いっきり引き込まれた。腰まで浸かる深さの湯船だったはずなのに、一瞬で足のつかない冷たい水底に居た。
呼吸ができない。そして獣の臭い。
「ガハッ、ゴボッ」
「ねえ夏子ちゃん、ブロック解除してよ」
肺から空気が抜けていく。冷たい水で手足は痺れ、心臓はバクバクと音を立てる。獣の臭いはどんどん強まっていく。水の中を伝って聞こえる「マユコ」の冷たい声。
溺死。
そんな単語が頭の中を過ぎった。
「〜ンンンンンンンン!」
気がついたら私は頭を必死に縦に振っていた。すると冷たい水底からお風呂場に戻ってこられた。
「ガハッ、ゲホッ、ヒューッハアッハアッハアッハアッ……」
顔を湯船から出し、思い切り空気を吸い込む。このままでは本当に殺されてしまう。私は急いで入浴を済ませて部屋に戻ると「マユコ」のブロックを解除した。
【夏子ちゃん!ブロック解除してくれて嬉しい!】
ブロックを解除した瞬間、初めて「マユコ」からメッセージが来た。
【願いのかなうお呪いもやろうね】
私はさっきの恐怖が忘れられなくて、ガタガタと震えている。体が芯から冷えて、まるで「マユコ」に体の芯に恐怖の楔を打ち込まれたようだ。相変わらずうっすらと獣の臭いがする。この「願いのかなうお呪い」もやらないと何をされるかわからない。
【わかりました、ちゃんとやります】
【ありがとー♪】
あのお呪いは四人でやるものだった。私は……メッセージアプリの美羽、颯太、健一の「いつメン」グループのメッセージ履歴を見た。アルバム機能でこれまでに撮ったたくさんの写真も。
あのお呪いを頼めるとしたらこの三人しか居ない。でも。
きっとあのお呪いをやったら碌なことにはならない。それにこの三人を巻き込んでしまうなんて……。
でもさっきの「マユコ」は本気だった。肺に入った水、獣の臭い、冷たい声。
私の命か、皆の安全。
こんなことママやパパに相談しても一笑されて終わりだろう。宗教とかそういうの嫌いって言ってたし、お正月に神社へお参りした記憶もない。
「隅の婆様」をやったとして何が起こるのだろう? 「マユコ」は本気でやらせたがっていたからきっと彼女にとっては重要なことなのだろう。
私を殺すと脅すくらいには。
だから「隅の婆様」をやらなければ私は間違いなく死ぬ。でもやった場合は?
みんなはどうなるのだろう。……危害を加えられたりとか、するのかな。でも四人いるしきっと負けることは……無い気がする。
それでも三人を巻き込んでしまう罪悪感からメッセージを打つ手が震えた。重い指でメッセージを送信する。
【願いの叶うお呪いがあるんだけど、協力してもらってもいい?】
【願いが叶うって誰の?】
と美羽が聞いてきたので、思わず嘘を吐いた。
【みんなの願いが叶うよ】
【同じ願いの人がいたらどっちの願いが叶うの?】
さらに美羽が聞いてくる。きっと颯太のことだろうな、と思ったのでどうにかして美羽をゲームに引き込まなければとさらに嘘を重ねる。
【思いの強い方の願いが叶うんだって】
美羽は自分に自信があるから、自分の方が私より颯太のことを好きだと思っているに違いない。
【えー面白そう! やってみよ】
美羽の反応は「願いのかなうお呪い」を最初に聞いた私と同じで複雑な気分になる。
【それって「マユコ」みたいな怪しいやつ?】
【「マユコ」関係ないよーインターネットで流れてた】
【ふーん、俺は別にいいけど】
罪悪感に苛まれながらも、自分の命が惜しかったので颯太にも嘘を吐いてしまう。好きな人に嘘をついて怪しいお呪いに誘ってしまうことになるなんて、気軽な気持ちで「マユコ」と友達になんてなるんじゃなかった。
【僕もOKだよー願い事何にしようかな】
健一は完全に乗り気だ。いつもポジティブな健一には助かっている。お呪い「隅の婆様」をやり遂げて「マユコ」の気が済んだらスマホを変えてでも「マユコ」とは縁を切りたい。
【で、お呪いって何すんの?】
【それは当日説明するー。特に準備する物もないし簡単だから。明日の夜八時に学校集合ね】
【りょ】
【はーい】
【OK】
メッセージアプリを閉じてため息をつく。親友や好きな人に嘘を吐いてまで……でもさっき感じた生命の危機を思い出すだけで体が震えてくる。冷たい水が肺に侵入する感覚。獣の気配。
今日は眠れそうにない。お呪いの結果、何が起こるのか。嫌な予感しかしないからだ。暗闇に「マユコ」の気配を感じるような気がする。「ちゃんと『隅の婆様』をやるか見ているからね」と囁く声が聞こえたような気がした。
翌日、夜八時。真夏と言ってもこの時間帯はもう真っ暗だ。そんなに田舎には住んでいないけれど、街灯が照らす道路は薄暗い。昼間よりだいぶ下がった気温は生ぬるく、過剰な湿度を含んでいて空気が重い。空気が重いと感じる理由はきっとそれだけではないのだろうけど。
「お待たせー」
美羽が薄暗い中でもはっきり見える白いワンピースを着て現れた。メイクもバッチリ決まっている。
「全然まってないよー時間ぴったりじゃん」
そう言う私は気持ちに余裕がなかったので適当な洋服に適当なメイクだ。薄暗いしわからないだろうと思ったけれど、美羽の顔を見た瞬間少し後悔した。
男子二人は既に集合している。
「お呪いの場所はここから少し歩くから」
「お呪いってどうやるの?」
颯太の質問に私は「場所に着いたら教えながらやるよー」と返答した。
「隅の婆様」について道中スマホで調べられると、これからやるのが「願いのかなうお呪い」ではなく「降霊術」であることがバレてしまう。だから私はギリギリまでどんなことをやるのかは伝えないつもりだ。
「え、ここって……」
学校の裏の稲荷神社に入っていく私に向かって「美羽」が声を上げる。
「おい、本当に「マユコ」は関係ないんだよな?」
颯太が訝しげに聞いてくる。
「関係ないよ。……真っ暗な真四角の部屋でやる必要があって、それがたまたまここだっただけ」
「……」
颯太は引き続き訝しんでいる様子だけど、黙って私に着いてきてくれる。健一はあたりをキョロキョロ見回しながら楽しそうにしている。
私は神社の本殿の中に入るために、ボロボロの扉の取手についている南京錠を取手ごと引き千切った。
「えぇ……」
美羽が流石に引いている。私もこれからやることが怖くて仕方ない。でもやり遂げなければ「マユコ」に何をされるかわからないので、恐怖をひた隠しにして、何でもないように装った。
「もうこんなボロ神社だし、別に壊したって大丈夫だよー」
「……う、うん、そうだよね……」
美羽は無理やり自分を納得させている。やはり颯太と付き合いたいという思いが彼女を突き動かしているのだろう。美羽はちゃんとお呪いに付き合ってくれそうで安心した。
「……流石に本殿は不謹慎じゃないか?俺この前お賽銭あげたのがギリで本殿破るのはアウトだと思うぞ」
颯太が言ってくる。そんな悠長な場面じゃないんだけど自分の意見をしっかり言える颯太はやっぱりかっこいいな、と思った。
「た、たぶん神様はもう他所に移してるんじゃないかな?じゃなきゃこんなにボロボロになってないって!大丈夫だよ」
私はあくまで明るく答える。本当は私だって同じ意見だ。でもお呪いを、「隅の婆様」をやらなければ、私の命が危ない。
「うーん……まあそうか……」
颯太は私の説明で一応納得してくれたらしい。このお呪いには四人必要なのだ。このメンバーの中で一人でも欠けたら困る。
ギ、ギ、ギ……と本殿の扉を開ける。中は真っ暗なのでみんなスマホのライトをつけて本殿に入った。本殿の奥には神棚が鎮座している。御神体と思しき鏡にスマホのライトが反射する。真っ暗な中で見るそれらは、根源的な恐しさを持っているように感じる。
本殿の扉を閉めると、私は言った。
「みんな部屋の四隅に一人ずつ座って、スマホのライトを消して。それから私が合図したら這ってこの本殿の中心まできて。そしたら私が皆の頭を触って数える。これでおしまい」
「えーそれだけ?」
美羽は拍子抜けしているようだ。
「それだけだよ。難しいことなんてない。でも絶対スマホのライトは途中でつけちゃダメだからね」
「ちょっと怖いけど、それだけなら出来そう!」
美羽は颯太の方を見ながら言う。
「俺もできると思う。別にそこまで怖くもないし」
颯太は冷静に言った。
「だなー。なんかもっとこう……血とか使うのかと思ったよ。じゃあとっととやっちゃおう」
健一がそう言うと、各自スマホのライトを頼りにしながら四隅まで行く。本殿の手前右に美羽、その奥に私、左手前に健一、その奥に颯太が座った。床は埃だらけなので美羽が不快そうにスカートの裾を払う。
「じゃあスマホのライト消して」
私がそう言うと皆一斉にスマホのライトを消した。本殿の中は真っ暗になる。するとじっとりとした空気の中に、獣の臭いを感じたような気がした。野良猫が隙間から入ったりしているのだろうか。……いや、本能ではそれが何の臭いなのかわかっている……。
スマホのライトを消して少し経つとごく僅かに暗闇に目が慣れてきた。しかし月明かりも街灯の灯りも殆ど差し込まないので、何となく目の前に空間があると言うことしかわからない。
「……じゃあ、真ん中まで這ってきて」
すると部屋の色々な方向から、ずる、ずる、ぺた、ぺた……と人が這う音が聞こえてきた。この暗闇では何人もの人間が這っているように聞こえる。
ずる、ずる、ぺた、ぺた……。獣の匂いはどんどんきつくなっている。これを感じているのは私だけだろうか? 他の皆も感じているのだろうか?
「他の皆」は私が知っている人たちだろうか?
恐ろしさに苛まれながらも、私も這って部屋の中心を目指す。やがて……。
部屋の中心に皆が集まったように感じた。目の前の空間しか見えないけれど、吐く息が感じられるほど近くに、人間の頭の影が見える。
「一隅の婆様……」
まずは自分の頭を撫でて言う。
「二隅の婆様……」
美羽の頭だろうか?手探りで髪の毛が長い頭を撫でて言う。
「三隅の婆様……」
位置的には颯太の頭だろうかこれも手探りで当たった頭を撫でた。
「四隅の婆様……」
おそらく健一の頭だ。そして――
「五、隅の婆様……」
誰かの頭を撫でた。
「え、五?」
「五人ってこと?」
「五人もいなかったよね?うちらだけだよね?」
「二回数えてる?」
「皆、落ち着いて」
「他に誰か呼んだの?」
「そうだよ」
「えっ誰?」
「皆も知ってる子だよ」
「……ってか今話してるの誰?」
「マ ユ コ」
可愛らしい声が名前を言った。
「ちょ、え、まってまってまって」
「いやああああああああああ」
「あ、あかり、スマホ、の」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
その時、誰かのスマホの明かりがついた。美羽、颯太、健一の顔が見えてホッとしたのも束の間、その後ろに、
女の子がいた。
「マユコ」だ。
右脚のない、セーラー服を着て昏い目をした少女。「マユコ」は言う。
「よんでくれてありがとう」
そう言うと「マユコ」は、あんぐりと人の頭程の大きさまで口を開けて、健一の首筋に噛み付いた。バツン、と首筋が断絶する音がすると、健一が呻いた。
「あ、ガ……」
ブシャアアアと夥しい量の血液があたりに噴出する。生暖かいそれは私の頬を濡らした。
「きゃあああああああ」
美羽は叫び声を上げる。すると「マユコ」は、
「うるさい子きらい」
と、右脚がないとは思えないほどの速度で移動し、美羽の眼球に食らいつく。ぽすん、と眼球が破裂する音がして、「マユコ」は弾け飛んだそれを啜り、そこから手を突っ込んでさらに何か貪っていた。ずっ、ずっ、と何かを啜る音が聞こえる。
「あ、あ……」
美羽の断末魔は、静かだった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……ウ、お、がぽっ」
あまりの光景に耐えられなくなった私は嘔吐する。
「逃げるぞ!」
颯太が膝をついている私の手を思い切り引いて立ち上がらせ、そのまま逃げようと猛烈に走り出す。
颯太と私は本殿の入り口まで辿り着き、扉に手をかけ勢いよく開いた。
逃げられる! 住宅街はすぐそこなので大声で叫べば誰か出てきてくれるだろう。
そう思った瞬間――
「ア……ア……っろいうー……ぐー……じょ……ろん……ぢねん……」
バリバリクチャクチャという咀嚼音と共に颯太の口から意味不明な単語の羅列が発せられた。
思わず横にいる颯太を見ると口から泡を吹いて、目があらぬ方向を向いていた。その背後には、「マユコ」の姿があって……颯太の後頭部を大きな口で食べている……。
「ヒィッ」
私は恐怖で竦む脚を叱咤して、とても罪悪感があるけれど颯太のことを「マユコ」ごと突き飛ばすと、住宅街まで走り出した。生きなければ、死にたくない。
神社の境内を抜けて、一番近い交番に到着する。しかし交番の中には誰一人としていなかった。見ると「パトロール中」の文字。
もうだめだ、「マユコ」に殺されてしまう。
ブーブブー。
その時私のスマホが鳴った。そうだ、スマホで110番すればいいんだ、と思いついた私はスマホを手に取る。
「颯太さんからのメッセージがあります」
スマホの画面に表示された通知を見て驚愕する。だって、颯太はさっき……。
……もしかしてただ悪夢を見ていただけなんだろうか? 本殿での惨劇は幻?
集団ヒステリーとか、なんかそういうので幻覚を見たんだろうか? 本当は皆は生きていて、一人だけいなくなった私を心配して連絡をくれた……?
そう思って颯太からのメッセージを見ると、写真が添付されていた。
その写真は、首だけになった颯太と「マユコ」の自撮りだった。
【今日はよんでくれてありがと!これで自由に行動できるようになったからまた遊ぼうね】
* * *
山形県で高校生の集団失踪事件が発生しました。帰って来られたのは高山 夏子さん(十六)のみです。高山さんは錯乱状態で病院にて療養中です。
高山さんの話によると「マユコ」と名乗った女性が飯島 美羽さん(十六)、根本 颯太さん(十六)、渡辺 健一さん(十六)の三名を連れ去ったとのことです。
高山さん達は八月二十日の夜八時に神社へ肝試しへ行った際に「マユコ」と名乗った女性に襲い掛かられ、高山さんは逃げ出したものの、他の三名は連れ去られてしまったとのことです。
「マユコ」と名乗った女性は身長約一五〇センチ、標準的な体型で、セーラー服を着用していたとのことです。
警察は高山さんの証言の信憑性を確かめると共に、「マユコ」と名乗った女性の捜索も行っています。
現場となった神社の境内には多量の血液が残っており、警察はこの血液が誰のものなのかも含め捜査にあたっています。
また、現場には根本 颯太さんのスマートフォンのみ残っていなかったことから、警察はこのスマートフォンの行方が重要な手がかりになるとみています……。
* * *
私は兄の颯太の失踪について、警察やマスコミに散々話した。それで兄が帰ってくるのであれば、と、どんな質問にも答えた。両親は情報提供を呼びかけ続けている。両親は日に日に窶れていき、今にも倒れそうだ。
唯一の帰還者である高山 夏子が錯乱状態だと言うのが歯痒い。彼女は全てを目撃しているはずなのだ。早く元の精神状態に戻って証言してほしい。けれど病院は面会謝絶で、両親の話によると布団をかぶって意味不明の言葉を口走り、誰が話しかけても狂乱状態になるらしい。
太陽のような兄が居なくなってから、家庭は暗く、どんよりとしている。両親も私も元々あまり話す方ではなく、兄がうちのムードメーカーだった。だから今や家の中での会話は皆無と言っていい。
学校は学校で、皆が腫物を扱うみたいに接してくるのが居た堪れなくて、最近はほとんど保健室で過ごしている。先生達はそんな私を注意するでもなく、保健室の養護教諭でさえも私に関わろうとはしてこない。
日曜日のお昼。家族は兄以外全員家にいるが、とても静かで誰もいないかのようだ。
私は部屋の壁に飾ってある家族写真を眺める。明るい兄と優しい両親、そして私。これはゴールデンウイークに栃木県の華厳の滝へ家族で行った時のものだ。その帰りにアウトレットモールでたくさん洋服を買ってもらって幸せだった。運転する父親に「早く免許を取りたい」と兄が仕切りに口にしていたのを覚えている。もしかしたら好きな女の子でもできて、ドライブに行きたかったのかも知れない。
今は九月。楽しかったゴールデンウイークから半年も経たないうちに、こんなことになるなんて想像もつかなかった。
何となく、だけれど、兄はもういない気がする。
華厳の滝の前で朗らかに笑う兄の顔を見ていると、そんな気がするのだ。兄妹の繋がりというものだろうか?
ブーブブー。
スマホが鳴動する。最近は誰も私にメッセージなど送ってこないのに珍しい。誰からだろう?
見るとクラスであまり話したことのない女子からのメッセージだった。
文頭は「ごめんね」と書いてある。
【ごめんね。
このメッセージを見た貴方は、三日以内にこの文章と写真を三人にコピペして送らないと「マユコ」が来て食い殺されてしまいます。
「マユコ」は飯島 美羽、根本 颯太、渡辺 健一、佐賀 章介、武藤 京子を既に食べました。】
兄の名前が記されている本文は悪ふざけにしては相当悪質だ。学校の先生に相談しよう……。しかしニュースで見た兄の友人の他にも名前が書いてある。これはどういうことだろう?
添付されている写真は、目鼻立ちの整ったセーラー服の女の子と、目線が隠された誰かの生首が写っていた。
合成? 嫌がらせ?
しかしよく見ると、この目線が隠された人物は……兄だ。
「お兄ちゃん……?」
両親に見せようか迷った。直感的にこの写真は本物だと思ったからだ。
しかし、あまりにも酷い。生首の切断面は生々しく千切れ、よく見ると後頭部が無くなっている。
私は堪らずトイレへ行って嘔吐した。
兄の……生首と一緒に写っているセーラー服の女の子が「マユコ」なのだろう。
どうしよう。両親に見せて、警察に見せて……警察は三日以内に「マユコ」を捕まえられるだろうか? 「マユコ」から私たち家族を守ってくれるだろうか?
いや、あの写真、背景の大量の血液に生首となって後頭部を失った兄。無傷の「マユコ」。あの現場には兄の友人の健一も居たはずだ。少なくとも「マユコ」は男子高校生二人と対峙して易々と殺したと思われる。おそらく……人間ではない。警察に捕まりはしないだろう。
兄の友人以外の人物、「佐賀 章介」、「武藤 京子」についてインターネットで調べてみた。
『佐賀 章介(十七)は秋田県の高校生。八月三十日に失踪届が出される。家族に何も言わず部屋から消えた。靴は玄関に置いてあった。部屋には多量の血液あり。警察にて捜索中だが、出血量から、死亡している可能性が高いと推定されている』
『武藤 京子(十七)は栃木県の高校生。九月二日に失踪届が出される。部活動の帰りに失踪。学校から家までの道に多量の血液あり。現場に通学用鞄は残されていた。警察にて捜索中だが、出血量から、死亡している可能性が高いと推定されている』
どちらも出血多量で死亡している可能性が高い、とある。兄たちが失踪した現場も血まみれだったらしい。
ということは、このメッセージに書かれている名前は本当に「マユコ」によって殺されてしまったのだろう。きっと彼らはこのメッセージを受け取って、誰にもコピーを送らなかったのだ。
つまり、このままコピーを送らなければ、私は「マユコ」に兄と同じように食べられてしまう。
震える手でスマホを見る。兄の最期の姿。
死にたくない。
それに、兄がいない今、私までいなくなってしまったら両親は嘆き悲しむだろう。その姿を想像しただけで涙が込み上げてくる。すっかり小さくなってしまった両親の背中、痩けた頬、隈。これ以上あの人達を悲しませるわけにはいかない。
私は意を決して、相手を選ぶ。メッセージアプリの友達欄にいる子達は、今は私のことを腫物のように扱ってくるけれど、それも私を気遣ってのことだ。どの子もいい子で、私は良い友人に恵まれたと思う。
何度も何度も友達欄を見返して、私がメッセージの送り先に選んだのは、以前私を一瞬だけ無視したことのあるクラスメイト達だった。無視の理由は他愛ないもので、すぐに和解したのだけれど、もう選ぶとしたらこの子達しかいない。
私は文章をコピペし、写真を添付して、その子達にメッセージを送った。
ああ、これが「マユコ」という存在なのだと思った。
永遠に帰ってこない兄を思って、私は泣き続けた。
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