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崖近くの木の陰に隠れるようにしながら、少女はそっと崖下を窺う。
音が聞こえてきたのは、崖下の方からだった。
(あ、大きな動物!)
少女が見つけた四本足の動物は、鹿毛の馬だった。
わらび形や腹帯が巻かれ、引き棒に繋がれたそれは馬車を引いていた。
馬が頭を下げると、その向こうに人影が見える。
(人間もいる!!)
少女は慌てて木の裏へと身を隠す。
(うわー、人間初めて見ちゃった! ど、どうしよう、見つかるとマズイよね……)
心臓がドキドキと大きな音を立てている。
少女の場合、それは恐怖というよりも、未知との遭遇への興奮だった。
(けど人間って、私たちよりずっと耳も目も利かないって聞くし……)
すぐにこの場を去った方がいいと、頭では分かっている。
けれど、少女は自分の好奇心に勝てなかった。
(ここからなら、見つからない……よね?)
そろり……と慎重に、少女は木の陰から崖下の様子を伺う。
(もうちょっとだけ……)
崖下では、馬車の戸が開き、少年が顔を出した。
「どうした?」
少年に声をかけられて、御者が慌てたように名を呼ぶ。
「菰野様! す、すみませんっ!」
御者と共に馬の様子を見ていた青年従者が、じとりと半眼になった。
「馬が落ち着かないので目隠しを付けます。問題ありません」
そう答えて、主人に視線で圧をかける。
ついさっき、危ないので出て来ないよう、よく言い含めて降りてきたというのに。
なぜ出てきたのか、と従者の顔には書いてあった。
菰野はそれに気付かないフリをして、馬の様子を見に行く。
馬は、よく慣れている馴染みの馬で、こんなことはまず起こらないような性格をしていた。
いつも温厚で、落ち着いた馬……だが今は、どこか怯えるように身を縮めている。
(ここが怖いのか……?)
菰野は馬の首を慰めるようにポンポンと叩いてやりながら、山の頂へと視線を投げる。
この山は、遥か昔から神の住む山と呼ばれていた。
この山に無闇に近付く者は命を落とすと言われている。
(母様が、妖精を見たという山だ……)
山を見上げる菰野の表情に気付いた従者は、切長の黒い瞳に後悔を滲ませ、僅かに眉を寄せる。
急いでいたとはいえ、主人をこの山に近づけるべきではなかった。と、従者は己の判断を責めた。
「装着できました」
御者の言葉に「すぐ出発します」と従者は答える。
「菰野様、中へお入りください」
促され「ああ」と少年主人は馬車の屋根に手をかけた。
ふと、視線を感じて顔を上げると、崖の上の木陰から金色の何かがはみ出していた。
確かに視線が合った。そんな気がして、菰野はそれを凝視する。
(こんな場所に人……?)
視線が合った感覚からそう判断してみるも、ここからでは離れ過ぎていてよく分からない。
(金色に見えるのは……髪なのか……? まさか、あれはーー……)
「菰野様、お乗りください」
言葉とともに、青年従者が主人の背を押す。
「うわぁっ」
すっかり気を取られていた菰野が、姿勢を崩しかけ、慌てて振り返る。
「あ、危ないじゃな……」
『危ないのは時間です』と顔に書かれている従者を見て、主人は「ごめん」と謝った。
「さあ、お早く」
「わ、分かったから、押すなって」
従者にぐいぐいと背を押されながらも、菰野はもう一度崖上へと視線を投げる。
(あれ、いない……)
プチッと堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた気がする。
次の瞬間には、菰野は従者に抱え上げられ、車内に放り込まれていた。
「うわぁぁぁあっ」
「出してください」
素早く乗り込み、バタンと戸を閉めた従者の言葉を合図に、御者は鞭を振る。
馬車はガラガラと音を立て、走り出した。
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