1話 アイコンタクト

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その日はぽかぽかとした春の陽気が一日続いた。 麗らかな太陽が、ゆっくりと傾き、夕日が足元に影を長く伸ばしはじめる。 馬車はガラガラと軽快な音を立てながら、夕暮れの道を進んでいた。 馬車の物見戸から外を眺めていた菰野が、ぽつりと呟いた。 「今朝とは違う道だな……」 少し距離を置いて座る従者が、静かに答える。 「山側は危険ですので」 従者は決意を新たにしていた。 今朝のような危機的状況(遅刻寸前)であっても、もう菰野様をあの山には……。 菰野様のお母様を奪った山には近付かせまい、と。 「……そうか」 菰野はそんな従者の表情に、言葉を飲み込む。 あの山に何かがいたかも知れないなんて、この心配性の従者に言えば、余計に心配をかけてしまうだろう。 今日の事は黙っておこうと、菰野は決めて口をつぐんだ。 --------- 一方、山ではフリーが、とうとう力尽きていた。 あまりの疲労に足がもつれて、その場に膝をつく。 日はもう、とっぷりと暮れようとしていた。 「見つからないねー……」 呟くリルに「う、うん……」とだけなんとか返事をしつつ、フリーは心で叫ぶ。 (いい加減諦めようよ!!!!) 弟は自分より小柄だったし、瞬発力も今ひとつだけれど、持久力だとか体力だけはとにかく無尽蔵にあると感じる。 鬼である父の血を濃く継いでいるからだろうか。 妖精に近いフリーには、到底付き合いきれそうになかった。 自分の浅はかさを呪いつつ、なんとか切り出す。 「……日も暮れるし……そろそろ帰ろう?」 声をかけられて振り返ったリルは、フリーが草の上に寝転んでいるのを見て理解する。 「うん、そうだね。フリーも限界みたいだし」 もう動けない……と半べその姉に、リルは手を差し伸べる。 「なんていうか……フリーって体力ないよね」 姉の両手を引っ張り上げて、なんとか立たせつつリルがこぼす。 「あんたがありすぎなの!!」 残り僅かな力を振り絞って、フリーは叫んだ。 ---------- 「譲原皇、菰野です。ただいま戻りました」 城では、謁見を許された少年が、従者と共に皇の前へと歩みを進めていた。 広々とした謁見の間の最奥に、皇はゆったりと座していた。 「おお、やっと戻ったか」 少年の姿を目にして口元を綻ばせる皇へ、菰野は体調を気遣う言葉をかける。 「お加減はいかがですか」 「今日はずいぶん良い」 どうやら、この国(藩)の主は病がちであるようだ。 「式典はどうであった?」 菰野は皇の前で膝を付いて礼の姿勢を取りながら答える。 「はい。つつがなく……」 「なんでも、遅刻寸前だったらしいが?」 皇に楽しげに突っ込まれ、菰野が狼狽える。 「ど、どうしてそれを……」 「いやはや、間に合ったから良かったようなものの。遅刻でもしようものなら、元服は来年までお預けになるところだったな」 皇の言葉にダラダラと冷や汗をかく菰野の後ろで、同様に膝を付いていた従者が深々と頭を下げる。 「申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに……」 「いや、それはないな」 皇は気さくにパタパタと手を振りながら断言する。 「久居(ひさい)がいたからこそ遅刻”寸前”で済んだのだろう。なぁ?」 振られて、菰野が身を縮めながらも「うう……その通りです……」と同意する。 後ろでは「もったいないお言葉……」と従者が感動に震えていた。 久居と呼ばれた青年従者は、まだ十八歳ほどで、主人とそう変わらない歳だったが、皇からの信頼は厚いようだ。 皇は、そんな二人を眺めながら、懐かしそうに目を細める。 皇の眼裏には、まだ小さい頃の菰野と、その母であり自身の姉である加野(かの)の姿が鮮明に甦る。 姉はいつも優しく、聡明で、美しい人だった。 姉を失ってから、もう六年目にもなろうとしている事を、譲原はどこか信じられないような気持ちで受け止める。 (時が経つのは早いものだ……。一人息子の晴れ姿、姉上はさぞ見たかっただろうに……) 眼前では、久居に紋球の傾きを指摘された菰野が、直そうと悪戦苦闘している。 元服以降身につけることを許される家紋の球は、球状であるため、慣れるまでは家紋が傾かぬよう付けるのが難しい。 自分もしばらくは、上手く付けきれなかったなと思い返していると、自身によく似た菰野の栗色の瞳がこちらに気付いてふわりと微笑んだ。 「明日は母の墓参りに行こうと思っています」 菰野が同じく加野を思っている事を嬉しく思いながら、皇も微笑んで答えた。 「ああ、そうしてやってくれ」 謁見の間の外では、そんな会話を憎々しく思っている者がいた。 すらりとした体格の二十歳を少し超えたくらいの青年が、これでもかと眉を顰めて呟く。 「父上……」 ぎりりと噛み締めた奥歯の音が、静かな廊下に小さく落とされる。 「何故……。何故この私より、菰野の謁見が先なのですか……」 どうやら、戻り次第通すように言われていた菰野達に謁見の順序を越されてしまったようだ。 青年は燻んだ青鈍色の髪で目元を隠したまま、二人が出てくるまで、扉を強く強く睨んでいた。
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