主人公が辞めた後

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「松本さーん、集計したデータ格納しときますね」 「おお、ありがとう。仕事早いね」 パソコンの画面から目を逸らさず、前田さんにお礼を言う。社内フォルダの【2022.07模試結果集計】というファイルに、塾生全員分の模試の結果を数値化して各単元ごとに纏めたデータが格納されていた。 「じゃあ私帰りますね」 「うん、お疲れ様。遅くまでありがとう」 「松本さんもそこそこにして切り上げてくださいね。いい加減にしないと息子さんと奥さんに怒られちゃいますよ?」 「ははは……そうだね、早く帰るようにするよ」 お先でーすと言いながら前田さんは帰っていった。 首を回しながらホワイトボードの上に吊られた針時計を見る。現在時刻は22時、あと2時間ほどで七月が終わる。でも、まだまだ仕事は終わりそうにない。 中学受験にとって夏は天王山。この夏をやり切った者のみ合格という栄光が待っている。 私達講師にとっても夏は修羅場。夏休み期間だから自習室は毎日開けているし、自分の講義時間以外にも待機して生徒の質問に答えなければならない。通う生徒が小学生だからこの時期みたいに勉強付けになると人間関係のトラブルなんてザラに起こるし、過保護な親の対応をするのにも一苦労。 何よりもうすぐ夏期講習合宿がある。この学習塾の一大イベント、保護者からは俺の月収以上の金額を頂戴してるのでこのイベントは絶対ヘマできない。 「んーー……はぁ」 思い切り伸びをして骨を鳴らす。乾いた音ごと俺のストレスも出ていっちまえばいいのに。 「はぁ、やるか」 一人取り残された部屋で溜息をついても虚しいだけだ。 俺は温くなった缶コーヒーを啜りながら再びキーボードに手を置いた。 去年はここまで過酷じゃなかった。 生徒数も去年と変わらず、カリキュラムも全く一緒。 だというのに今年だけこんなに忙しいのは……絶対にあいつのせいだ。 あいつさえ居なければこんなことには…… 俺は斜め前の空席を睨む。今年の三月まで一之瀬が使っていた席を。 あの『主人公様』が退職してもう4ヶ月が経った。
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