ゆるしてほしい

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「じゃあ、買い物に行ってきます」  彼女にそう声をかけ、外に出かける。  僕の部屋に来てから4日目、ようやくあのときの母親、美智さんは落ち着きを取り戻し始めている。なにせこの部屋に来てからしばらくは、一人にされるのが嫌だと言って外にも行かせてもらえなかったのだ。  美智さんの尋常じゃない怯え。外に出ないでとすがりつく腕の力。きっと相当に危険な相手だ。この場所を知られたら二人はどうなるかわからない。もちろん僕も無事ではすまないだろう。  あの日結局、僕は母子に声をかけた。  美智さんは旦那による暴力に耐えかねて、子供を連れて家を飛びだし、当てもなく裸足でさまよった末にあのコンビニにたどり着いたところだった。  僕は買い出しのメモを見ながら、スーパーで買い物をした。だいぶ気分が落ち着いたのか、今日はご飯を作ってくれるという。  あの部屋に女性が来るのも初めてなら、手料理を作ってもらうのも初めてだ。不謹慎だが、ワクワクする気持ちを抑えられなかった。 「ありがとうございます。おもちゃまで買っていただいて。ほら、タカシ、ありがとうは?」 「ありやとう!」  舌足らずなしゃべり方で、タカシ君はちょこんと頭を下げた。その間も目は特撮キャラクターの人形に向けたままだ。  相変わらず美智さんは敬語だけど、それでもだいぶ二人の距離は近くなったような気がする。なにせこの狭いワンルームでずっと共同生活なのだ。  彼女もようやく、夜も眠れるようになっている。  最初の数日間は毎日うなされて、叫びながら飛び起きていたのだ。どれだけ恐ろしい目に遭っていたのか想像もできない。  僕は優しい目でタカシ君を見つめる美智さんの横顔を眺めていた。  美智さんは、きれいだ。  最近漫画家と結婚したグラビアアイドルに似ているような気がする。少しミステリアスさを抜いて愛嬌を足した感じ。  ここにきてからずっと表情が硬いけど、きっともとはよく笑う人なんだと思う。たまに彼女が笑うと、空気が和む。 「何日も、すいません」 「気にしないでください。あの……、何があったのか。聞いてもいいですか?」  僕はここまでのいきさつを聞いた。  高校を卒業してすぐ、小さな運送会社で事務をはじめたこと。  そこでドライバーをしていた最初の旦那さんと出会い、タカシくんを授かったことを機に退社したこと。  妊娠中に旦那さんは高速道路で事故に遭い、タカシくんを見ることなく無くなってしまったこと。  旦那も仕事も失い、それでも子供を育てていくために子供を預けてキャバクラで働き始め、客として来ていた今の旦那に出会ったこと。  付き合っているうちは優しかったのだが……、結婚してからは束縛がひどくなり、手も挙げるようになり……、そして日常的になった暴力に耐えかねて家を出た。  これまでも何度か実家や知り合いの家に逃げこんだことはあったが、旦那は必ず場所を嗅ぎつけたのだという。  今回は僕という、なんの関係もない第三者の家に隠れているから見つからずに済んでいるのだろう。 「あの人、きっと私たちを探し回ってる。今度見つかったらきっと殺される」  そう言うと彼女は涙を流し、小刻みに震え始めた。暴力の恐怖、それが体に染みついているのだろう。 「大丈夫ですよ、僕が守ります。それに、ここにいればまず見つからないですよ」  僕は真剣に、そう口にした。  彼女は静かにうなずき、譫言のようにありがとうと繰り返した。でもその顔に安堵の色はなかった。
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