――立夏

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「なんか、白いね」 「そう?」 「白いし、細いし、ご飯ちゃんと食べてる? ってかそんなことよりいつまで横になってんの? 起きなよ」 「やだよ」  私は伸びをするように手を上に伸ばした。楽はアイスの棒を口に咥えて、上げたままの私の手をつかむ。ぐいっと、ひかれて、勢いよく回転する世界に目が回って、私は目を閉じてひたいを押さえた。  「だいじょうぶ?」  口の端に棒を咥えたままの楽。なんて間抜けな顔なんだろう。 「だいじょうぶじゃないから、横になる」  わざとらしくふらふらとベンチに倒れ込もうとすると、楽に手を掴まれてそれを阻止された。 「なにすんの?」 「もう俺、行くから。ちゃんと、起きて見送って」 「今日も練習?」 「うん………あのさ、みなちゃんは明日もここにいる?」 「いるよ、明日も明後日も、しあさっても、ずーっと」 「そ、よかった」  よかったってなにが? 私にとって、ここにいるってことは、ぜんぜんよいことじゃないのに。 「じゃあ俺、行くから」 「はい。いってらっしゃーい。練習がんばって」   私はひらひらと手を振った。楽はなにか言いたそうな顔をして、でも、結局なにも言わないで背を向けた。昔に比べるとずいぶんとひろくなったせなか。私は目を閉じた。楽が遠ざかっていく音に耳をすませた。楽の音はうるさくない。足音はどんどん、どんどん、小さくなって……やがて聞こえなくなる。  ゆっくりと目を開けた。遠くの彼の姿を見た。夏の日差しを浴びて光る真っ白な制服のシャツが、背負ったスケートボードが、眩しくて眩しくて仕方ない。  「だいじょうぶ……大丈夫」  呪文のように唱えながら、私は膝の上のスケッチブックをめくる。そこにはただ真っ白なページだけが続いている。        太陽がまだ地平に近い夏の朝。窓を開けて緑の香りの湿った空気をすうっと吸い込む。大きくなんどか深呼吸をして、私は、窓を閉めた。  浪人生の朝は早い。  というか私の朝が早い。  最近、朝早く目が覚めてしまう。夜が早いというわけでもないのに。眠れないのだ。私はしたいわけでもない早起きをして予備校の課題に手を付ける。絵……結局それしか私にはすることがない。6畳の和室の真ん中に置かれたイーゼル。その前に座って静物デッサンの続きをやる。瓶と紐と鍋と林檎。対象を見て鉛筆を動かす。喉が渇いてきて、やかんに作ったお茶で一息ついて、また描く。いつのか分からないチョコを食べて、また描く。ただ、ただ、描く。日が昇り、部屋が暑くなり始めたころあいで、私は鉛筆を置いた。やる気がゼロになったから。まぁ、そもそもやる気があったのかも、怪しいのだけれど。惰性だ。こんなの。窓を開ける。蝉の鳴き声が熱気と共に部屋の中に入ってくる。おなか、すいたな。業務用スーパーで買った特用のそうめんを茹でて、キッチンで立ったままめんつゆをかけて食べた。ずっと鳴りやまない蝉の声が煩い。耳障りだ。そんなに必死にならないでほしい。地上ではたった7日間しか生きられない蝉。私はまだ土のなか、息を殺して生きているというのに。
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