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  わたくしは気がついたら身体が透明になって宙に浮いていた。  確か、先程は右側の脇腹にナイフを刺されて。ポタポタとおびただしい紅い血が床に滴り落ちていた。口からも血を流して激痛に苛まれていたのに。今は全てから解き放たれて身体が不思議と軽い。 『わたくしは一体どうしてしまったの……?』  下を見るとそこには黄金の髪に赤紫色の瞳の1人の青年が血だらけになった少女を掻き抱いていた。それは淡い蒼の髪に同色の瞳をしていたはずのわたくしだ。 「……スサンナ!」  青年は悲しみをたたえた声でわたくしの名を呼ぶ。それを眺めていたらじわじわとある実感が湧いた。  わたくしは既に事切れてしまったのね……。それがわかると瞳から一筋の涙が流れた。  その後、わたくしの身体は青年――婚約者であったデイビッド王太子によって実家であるウィーンレイ公爵家に運ばれた。確か、わたくしの名はスサンナ・ウィーンレイだったはず。それは思い出せた。年齢は18歳だったか。  わたくしにナイフを突き立てた犯人は。ズキリと頭が痛み、それ以上は思い出せない。仕方ないので馬車に乗り込んだ王太子の後を追ったのだった。  実家に着いた馬車から王太子はわたくしの身体――亡骸を侍従が用意した外套に包む。他の誰かにやらせればいいのに王太子は「自身の手でやりたい」と言って譲ろうとしない。わたくしは馬車の近くでプカプカと空中に浮かびながらそれを見ていた。 「……すまない。スサンナ。絶対に君を殺した犯人を捕まえてみせる」 『……デイビッド様』  ぽつりとかつての婚約者の名を呼んだ。すると驚いた事に王太子はわたくしのいる方向を向いた。 「スサンナ?」 『……あ。わたくしの声が聞こえるのですか?!』 「なっ。何故、スサンナがそこにいるんだ?」 『わたくしも気がついたらこんな状態になっていました』 「……ふむ。身体から魂魄が出てしまったか」  王太子もといデイビッド様は難しい表情で考え込む。わたくしの身体を抱きかかえながら屋敷に入ったのだった。  無言の帰還になったわたくしに両親は泣きながら出迎えた。傍らには3歳上の兄のセシルと2歳上の姉のタチアナがいる。2人も悲しげな表情だ。けれど幽霊になったわたくしを認識できるのはデイビッド様だけだった。ちなみに兄も姉も既婚者だ。姉は婚家からわざわざ駆けつけてくれたらしい。 「……スサンナ。まさか、こんな事になるとは!」 「ああ。スー。何という事なの」 「ウィーンレイ公、並びに夫人。スサンナを守りきれずにこんな形になってしまいました。申し訳ない」 「いえ。殿下は出来得る限りの事をなさいました。私どもは責めるつもりはございません」 「……ウィーンレイ公。ならば、スサンナにある術をかけたいのだが。いいでしょうか?」 「……もしや。死者蘇生の?」  父は眉をひそめながら言う。が、デイビッド様は首を横に振る。 「いや違う。死者蘇生ではなくて。まだ、肉体と魂が完全に断ち切られていない。ならば、魂をこの場に留まらせる術を掛けられるはずだ」 「成程。娘が助かる見込みはまだあると言う事ですね」 「そうだ。俺だけだと心もとないが。後で魔術師団長や団員にも来てもらう。彼らに交代でスサンナを看てもらうよ」  わたくしは驚いた。まさか、まだ肉体と繋がっていたとは。確かに額の辺りにキラキラとした金色の糸のような物が見えた。これが魂と肉体を繋ぐ役割を持つらしい。こうしてデイビッド様はわたくしの部屋に行ったのだった。  医師が呼ばれ、右脇腹の刺し傷の処置がなされた。医師曰く、わたくしは仮死状態だと言われる。どうやら母方の祖母の形見の腕輪の作用もあるようだ。その腕輪には「魂結び」と呼ばれる魔法が何重にも掛けられていた。これのおかげで死なずにいるらしい。デイビッド様や後でやって来た魔術師団長達により堅固な結界が張られ、わたくしには改めて治癒魔法も施された。魔術師団長は魔法の塔から魔道具を2つ程持ってきていた。 「……殿下。これらは結界を維持する為の魔道具です。後、もう1つ。スサンナ様の身体を守る為に生命維持装置を装着しますので」 「生命維持装置だと?」 「これは医学が非常に発達した東方の国から取り寄せた魔道呼吸機です。また、心電計も。この2つは必要ですね。本当は病院に行って頂きたいんですが」  師団長はそう言いながらもデイビッド様と共に寝室に入った。わたくしの身体に呼吸機や心電計が取り付けられる。2つ共に魔力を込めて電源をつけるだけで動き出した。寝室内にシューッという呼吸機の音や心電計のピッピッと鳴る独特の音が響く。 「……よし。結界も厳重に張りましたし。後は部下で信用できる奴を付けますので。殿下は王宮へお戻りください」 「わかった。陛下に報告しないとな」 「スサンナ様が存命だと言う事はなるべく伏せた方がいいでしょうね。私が言うまでもなくでしょうが」  デイビッド様が頷いた。師団長はそんな彼を寝室から出すと。わたくしが浮いている辺りに視線を合わせてにっこりと笑った。 「……やっと。2人きりになれましたね。スーちゃん」 『……そうですね。カイリ様』 「やだなあ。昔からの仲じゃない。あたしの事はカイちゃんって呼んでよ」  わたくしはそれを無言で返した。師団長はカイリ・イトウ様といい、異世界からの渡り人だ。年齢は24歳だったか。黒髪黒目で色白のすらりとした長身の男性だが。中身は女らしい言葉を好むいわゆるオネエという人だった。わたくしの兄とは気が合うようでよく我が家に昔から遊びに来ていたわね。 『カイリ様。おふざけもいい加減になさいまし。それよりも。何故、わたくしがまだ死んでいないとわかったんですの?』 「……それね。君はもうわかっているかもしれないけど。祖母君から受け継いだ腕輪。それは古代魔術が施されたアーティファクトだ。私の国にも魂結びのお守りってのはあったかな。その腕輪のおかげでスーちゃんは死なずにいるな」 『成程。では。わたくしはどうやったら身体に戻れますか?』 「ううむ。それはまだ検討しているとこなんだけど。そうだね。簡単に言うと。君が身体に戻るには腕輪だけだと足りないんだ」 『足りない。何がとはお訊きしても?』  わたくしが問うと。ぽりぽりとカイリ様は頬をかいた。 「……そうだな。はっきり言うと。腕輪には対になる魔道具があるんだ。それさえあれば。スーちゃんの魂は無事に肉体に戻れるんだけど」 『まあ。そうだったんですか。けど。その魔道具の在処がわからないのですわね?』 「うん。まだ、デイビッド殿下にも話していないけど。その魔道具は一振の短剣でね。確か、この国――ソラン王国の地下迷宮にあるはずなんだよ」  わたくしは短剣と聞いて思い出した。ソラン国に昔から伝わるという時の腕輪と光明の短剣の伝承をだ。 『……では。早めに光明の短剣を見つけないといけませんわね。わたくしに出来る事はありませんか?』 「……ふむ。君にか。そうだなあ。ジェラルド騎士団長や息子のダレン達と一緒に短剣を探しに行ってほしい。もちろん、私も付いて行くよ」 『わかりましたわ。ならば、明日にでも地下迷宮に行った方が良いでしょうね』  カイリ様はそうだねと頷いた。わたくしはその後も彼と打ち合わせをしたのだった。  翌日、わたくしは寝室にてフヨフヨと宙に浮きながらも目を覚ました。カイリ様は既にいない。魔法の塔――仕事場に戻ったらしいが。いつの間にか眠っていたようだ。今の幽霊の状態だと喉が乾いたとかお腹が空くとかいう感覚が鈍るようで。暑いとか寒いとかいうのもあまり感じないのだ。不思議なものだと思った。 「……おはようございます。スサンナお嬢様」  聞き覚えのある声が聞こえたのでドアの方を見る。ドアが開いて入って来たのはわたくしの専属メイドのカルアとキャリーだった。どうやら声をかけてきたのは2人の内のどちらかのようだ。カルアとキャリーでわたくしの身体をぬるま湯に浸したタオルで拭いたり着替えをさせている。ちなみに呼吸機や心電図の機械に繋がっているチューブなどが外れないようにしながらだが。最後にカルアは医師が取り付けたカテーテルにある輸液を取り替えたりもする。 「さ。キャリー。簡単にお掃除もしましょう」 「うん。わかりました。カルアさん」  小声で2人はそう言うと。寝室の掃除も手早く済ませた。そうしてから「お昼にまた来ます」といい置いて出ていく。わたくしはそれを見送る。よしっと両手を握りしめて決意を固めたのだった。  わたくしは寝室から試しに出てみた。ドアや壁をすり抜けてだが。身体が透けているからもしやと思ったのだ。やはり出られた。 『……よし。まずは屋敷を出て。自力で地下迷宮の入口を探すわよ!』  カイリ様や兄達はいない。1人でも手がかりを見つけてみせる。そう意気込みながら応接間を出たのだった。  廊下を抜け、階段を降りて。とうとうエントランスホールにたどり着く。ドアをまたすり抜けて外へと出た。  次は王宮へ行き、地下迷宮へ続く場所を探すのだ。わたくしは空中に浮かび上がりゆっくりと飛んでみる。よし。いけそうね。とりあえずは王宮を目指すのだった。  その後、やっとの思いで王宮にたどり着けた。門番にも咎められずに中に入れる。胸中で陛下やデイビット様に詫びながら王宮の中をウロウロした。が、なかなかに広くて複雑で。地下迷宮への入口どころか手がかりすら見つからない。やはりせめてカイリ様に同行をお願いするべきだったかしら。そう考えていたらフヨフヨと何かが近づいてきた。 『……あなた。そんな所で何をしているの?』  その何かをよく見たら。人の女性の姿をしていた。髪は肩口で切り揃えている。淡い白金の色に瞳は深みのある藍色で超がつく美女だ。服装はタートルネックの黄色のドレス姿でちょっと高めのヒールを履いていた。 『……わたくしは。あの。失礼ですが。どなたでしょうか?』 『私は。初代の王妃と言ったらわかるかしら。名はセリーナ。あなたは?』 『わたくしはスサンナと申します。セリーナ様とお呼びしてもよろしいでしょうか』 『構わないわ。私もスサンナさんと呼ばせてもらうわね』 『それはそうと。セリーナ様はこの王宮を守っておられるようですわね』  わたくしが言うとセリーナ様――初代王妃らしき女性は苦笑する。肩を竦めた。 『……ええ。ご明察よ。このソラン王国の結界の要を初代の陛下と担っているわ。いわば、人柱ね』 『そうだったのですか。ならば。光明の短剣をご存知ですか?』 『知っているわ。あの剣が必要なのね。仕方ない。私が案内するから。付いて来て』  セリーナ様はそう言うと踵を返す。わたくしは慌てて付いて行った。  セリーナ様はある塔の入口にたどり着くと不思議な呪文を唱え始めた。 『……我、今願わん。時を操りし者、ここに来たれり。光を宿せし剣を授け給え』  そう唱えると。入口が一人出に開いた。ギィと木の扉が勝手に開いたようにしか傍目には見えないが。セリーナ様は手招きをする。付いて来なさいと言いたいらしい。頷いて彼女の後に続く。入口から入るとまた勝手に壁に取り付けてある松明に火が次々とついた。 『……さすがに伝説級のアーティファクトがある場所だからでしょうか。松明が勝手に灯るだなんて』 『それはそうでしょうね。ここの松明には火の精霊が宿っているから』 『精霊ですか。何だか、古代の伝説みたいです』  そう言うとセリーナ様は振り返ってにこりと笑った。 『ふふっ。実際に私も古代に生きていた人間だしね』 『……そうでした』 『スサンナさん。歩きながらでいいから。ちょっとだけ話に付き合ってくれないかしら』  わたくしは頷いた。するとセリーナ様は歩くのを再開しながら訥々と話し出した。 『……私は今はセリーナと名乗っているけど。元の名前はセリナと言ったの。伊藤芹奈。それが本当の名前よ』 『……イトウ。その姓は確かにこの国界隈では聞きませんね』 『それはそうよ。だって。私はこちらで言う渡り人だから。もう今から800年も昔に。聖女を呼び出す召喚術によって私は呼び出されたわ』 『成程』 『私には弟がいたの。海璃(かいり)と言ったんだけど。5歳下だったかしら。今頃、あの子はどうしているかと心配でね』  セリーナ様――セリナ様はそう言いながらも歩みは止めない。わたくしも霊体ではあるけど一所懸命に付いて行く。そうしたら手前に階段が見えてきた。 『ここからは地下迷宮に入るわ。その最奥にアーティファクトもとい光明の短剣があるの。私達は魂魄の状態だからモンスターも寄ってこないと思うけど』 『そうなのですか』 『けど。危険な事には変わりがないから。絶対に私の側から離れないでね』  わたくしはしっかりと頷いた。セリナ様は振り向いて片手を差し出す。その手をギュッと握ったのだった。  透けてはいるがセリナ様の足取りはしっかりしていた。淀みなく地下迷宮の中を進んでいく。確かに言われたようにモンスターは寄ってこない。あまりにも迷宮は静寂に包まれていた。ただ、松明のはぜる音やわたくし達が立てているはずの足音しかしない。 『……スサンナさん。後少しで最奥よ。短剣は主を選ぶというから。それなりの気構えはしておいて』 『わかりました』 『じゃあ。行くわよ』  わたくしは再び頷くとセリナ様の手を強く握りしめた。最奥を目指した。  案外すんなりと最奥にはたどり着けた。セリナ様が指で短剣が置かれた祭壇を示す。 『あれが光明の短剣よ』 『……あれがですか』  わたくしはポツリと呟いていた。祭壇にはシンプルな木製の茶色の柄に銀色に鈍く輝く実用性重視の短剣が鎮座している。あまりのシンプルさに驚いてしまう。 『……そなたは何者だ?』  頭の中に直接低く厳格そうな声が響く。わたくしは固まった。 『……あ、あなたは?』 『我は光明の短剣とも剣とも呼ばれておる。まず、そなたも名乗れ』 『わたくしは。スサンナ。スサンナ・ウィーンレイよ』  ちゃんとフルネームを名乗ってみた。短剣だと名乗った声の主は言った。 『ほう。スサンナか。見た所そなたは時の腕輪の主のようだな。ならば訊こう。そなたの願いは?』 『わたくしの願いは。元の肉体に戻りたい。もう1度、デイビッド様や皆と生きたいの』 『……わかった。それがそなたの願いだな。叶えよう』  声の主である短剣はそう言うと不意に強く輝き出す。あまりの眩しさにセリナ様やわたくしは反射的に瞼を閉じた。  光が収まるとそこには1人の背の高い男性が佇んでいた。黒の髪によく日に焼けた浅黒い肌、淡い翠色の瞳の美しい男性だが。 『……あなたは』 「……我は光明の短剣なり。そなたが願いを叶えたいなら。我を連れて行け」 『そう。わかったわ。けど。わたくしはこの通り霊体だし』  肩を竦めたら。男性もとい、短剣はニッと笑った。 「心配は無用だ。我はもう1度剣の姿に戻る故」 『はあ』  男性は指をパチリと鳴らす。そうしたら瞬時に短剣の姿に戻る。 『……剣の姿ならそなたも触れるはずだ。柄の部分を持ってみよ』 『わかりました』  わたくしは恐る恐る祭壇に近づき、短剣の柄に触れた。確かに木特有の硬い感触が指から伝わる。そのまま握りしめた。持ち上げる事もできたのだ。 『……あなたの言う通り持つ事ができたわ』 『だろう。さあ。このまま、迷宮を出るぞ』  わたくしは頷いた。が、気がついたらセリナ様がいない。 『……あの人はもう結界の要の中に戻ったぞ。何。我が案内する』 『わかったわ。頼りにしているわよ』  短剣は頷く代わりに淡く発光した。わたくしは短剣の案内で迷宮の出口を目指したのだった。  あれからやっとの思いで迷宮から出る事ができた。短剣なりに近道を案内してくれたようだ。外に出たら来た時より然程経っていなかった。太陽の位置から判断するに昼間の3の刻過ぎくらいかと思う。わたくしは短剣を片手に我が家である屋敷へと急いだ。  屋敷への道のりも遠かったが。それでも何とか帰ってこれた。エントランスホールを抜け、自室に入る。そうしたらカイリ様とデイビッド様の2人が揃っていた。が、2人共に厳しい表情でこちらを見ている。 「……スーちゃん。昨夜は私や騎士団長たちも一緒にって言ったよね?」 「スサンナ。君は1人でどこへ行っていたんだ。凄く心配したんだが」 『……う。ご、ごめんなさい』  とりあえずは謝ったが。カイリ様もデイビッド様もかーなーりお怒り気味だ。2人揃ってにっこりと笑った。そうして怒涛のお説教をくらったのだった。  仕方なくわたくしは王宮へ行き、初代の王妃様のセリナ様と出会った事や地下迷宮を案内して頂き、一緒に光明の短剣を探しに行った事を説明した。帰りは短剣に案内してもらいながら戻ってきた事も補足しておいたが。カイリ様は「全く。君は無鉄砲過ぎるよ。肉体が今以上に弱っていたらどうするつもりだったの」と言った。デイビッド様は「カイリの言う通りだ。セリナ王妃がいらしたから良かったが」と言い、腕を組んだ。 「……とりあえずは。スーちゃんはすぐに身体に戻りな。短剣と一緒ならすんなりと上手くいくはずだよ」 『……はい』  わたくしは頷く。そうして瞼を閉じた。強く身体に戻りたいと再び願った。  あれからどれくらい時間が経ったのか。わたくしは重い瞼を開ける。ぼんやりと視線だけを動かす。馴染みの深い自室が視界に広がる。白のレース状の天蓋がある広い大きなベッド。白木造りで統一された調度品類に淡いベージュの壁紙がわたくしの好みである優しい色合いだ。腕を上げようとしたが。重くて出来ない。まるで鉛を流し込まれたみたいな感覚だ。仕方ないので身体を動かすのは諦めた。口元には固いような柔らかいような不思議な感覚の覆いがしてある。それが透明な管で白い正方形状の箱みたいな道具に繋いであった。そこから新鮮な空気が送られてわたくしは呼吸ができているようだ。ピッピッと独特な音を鳴らす波状の線が現れる画面付きの道具。それもわたくしの胸元辺りにある何かと管で繋がっていた。 (わたくし。何だか、長い夢を見ていたわ。身体に戻れたのね)  そう思いながらサイドテーブルに視線をやると。見覚えがある木製の柄に銀色に鈍く輝く短剣があった。わたくしは驚きのあまり、目を開いた。 「……お嬢様。おはようございます。今日も失礼しますね」 「……カルアにキャリーなの?」  控えめにノックがされた。すぐに専属メイドのカルアやキャリーが入ってきて。わたくしはモゴモゴと掠れた声で呼びかけた。キャリーがすぐに気がついてくれて近くに来る。 「……え。お、お嬢様。意識が戻ったのですね。良かった。本当に良かったです!」 「本当に。あ。私、旦那様や奥様方に知らせてきますね。キャリーさん。お嬢様の事は頼むわね!」 「アイアイサー!行ってらっしゃい。カルアさん!」  あまりの2人の仲の良さに驚きながらも戻って来れたと実感が湧いてくる。キャリーに小さく「心配かけてごめんなさいね」と言ったのだった。  意識が戻ってからは両親や兄に姉が部屋に駆け込んできた。息を切らせながらだが。両親は涙にむせびながら「良かった」と言い、兄は安堵したらしく優しく笑いながら「お帰り」とだけ言った。姉は笑い泣きで「心配したのよ。けど。意識が戻って良かったわ」と両手をキュッと握ってくれたのだった。  昼間になりデイビッド様とカイリ様がお見舞いにやって来た。わたくしは寝間着の状態での応対をお詫びする。けど2人共、「気にしなくていい」と言ってくれた。 「スサンナ。意識が戻ったと聞いて。もう少し早く来たかったんだが。今はそれどころじゃなくてな」 「……はい。もしや」 「ああ。目覚めて間なしで悪いが。君を狙った犯人を騎士団が捕縛してな。既に地下牢に収容している」  デイビッド様はそう言うと。順を追って簡単に説明してくれた。  それによるとわたくしが襲われた直後に患部に刺さっていたナイフを押収し騎士団長に預けたらしい。ナイフの柄に刻まれた紋章が犯人捕縛の決め手に繋がった。すぐに団長はその紋章がシャドー侯爵家の家紋だと気づく。デイビット様にも報告が上がりシャドー侯爵邸に騎士達が調査に入ったと言う。  侯爵や夫人、子息や令嬢に使用人達も取り調べを受けた。そうしたら令嬢――タニア嬢が白状した。 『……私がやりました。婚約者がよりにもよって王太子殿下の婚約者たるスサンナ様に横恋慕して。しまいには無理に婚約破棄までさせられたのよ。あまりにも悔しくて。それであの家紋入りのナイフを使いましたわ』  タニア嬢によると。あのナイフは魔剣らしい。相手をそれで傷つけると呪いが発動して確実に魂は煉獄の苦しみを味わわされるという。呪いを解除するためには同じくらいの霊力を持つ神器を使うか強力な聖魔術を使うしかない。タニア嬢――タニアはそこまでを話すと大人しく捕まり地下牢に入ったとか。 「……あの魔剣は魔術師団長のカイリが厳重に人里離れた辺境の洞窟に封印したよ。たぶん、今の魔術師で解けるのはカイリか先代の師団長くらいだろうな」 「そうなのですね」 「ああ。これでタニアの処刑が決まったが。シャドー侯爵家の降格も検討されてもいるな」  わたくしは何とも言えない心地になった。仕方ないとは思うが。まあ、タニアの呼び出しにホイホイと乗り出かけて行ったわたくしにも非はある。それを否定する気はない。それでも複雑な気持ちはなかなかに消えなかった。  夕方になりデイビッド様は先に王宮へと帰って行った。わたくしはカイリ様と2人きりになる。 「……カイリ様。わたくし、どれくらい眠っていましたか?」 「そうだね。3日は昏睡状態が続いていたよ」 「そうでしたか。あの。幽霊になっていた時に。初代の王妃様に会いましたの」  わたくしがそれを言うと。カイリ様はこちらを驚いたように見た。 「……スーちゃん。それは本当なの?」 「はい。確か、お名前をイトウセリナ様と仰っていました。弟君がいらして。お名前は……」 「……カイリと言っていた?」  わたくしは言葉にはせずに小さく頷いた。カイリ様は感に堪えないと言った表情になる。しばらくは互いに無言でいた。  夜になりカイリ様はポツポツと姉であるセリナ様との思い出を話して聞かせてくれた。明るくしっかり者でよく笑う朗らかな人だったとか。カイリ様を可愛がり一緒に幼い頃は遊んだりして仲が良い姉弟だった。けれど。カイリ様が11歳の頃にそんな穏やかで幸せな日常は一変する。セリナ様が自動車というあちら――ニホンの国にある乗り物の事故で亡くなった。その後は失意の日々を送る。  あれから8年後にカイリ様は突如としてこちら――ソラン国に渡り迷い込んでしまう。そうして偶然に出会った陛下に拾われて王宮に来た。魔術の才能があると見抜いた先代の魔術師団長に誘われて師団に入る。めきめきと魔術師として頭角を表して今に至ると彼はそう告げて話しを終えた。 「……スーちゃん。殿下も凄く心配していたから。もう休みなさい」 「わかりました。カイリ様」 「うん。また明日だね」  カイリ様はわたくしに優しく笑うとそっと頭に触れた。軽く撫でられながら眠りについたのだった。  あれから時間はゆっくりと流れる。わたくしが襲われてから2ヶ月が過ぎた。季節は初夏の5月中旬から夏の7月が過ぎようとしている。  もう傷口はすっかり塞がって抜糸もできていた。医師や魔術師団長のカイリ様からも日常生活に戻って良いと太鼓判を押してもらえている。治癒魔法のおかげもありわたくしは快調に向かっていた。   惜しむらくは傷痕が残ってしまった事だろうか。こればかりは治癒魔法をもってしてもどうにもならないとカイリ様は言っていたが。  ちなみにカイリ様はあの後に姉君のセリナ様のお墓参りに行けたらしい。そこで幽霊になった彼女と再会できたとわたくしやデイビッド様に嬉しそうに報告してくれた。  さて、肝心のわたくしとデイビッド様の仲はと言うと。事件前よりはちょっとずつ進展していると自身では思っている。実はつい昨日にデイビッド様が我が家を訪問した際にエントランスホールでお出迎えをしたら。 『……わざわざすまないな。スー』  そう言いながら近寄って額にキスをされたのだ。両親の目の前でよ?  ちょっと気恥ずかしかったのは言うまでもない。まあ、そんなこんなで日々は過ぎて行くのだった。  そうして半年後にわたくしは無事にデイビッド様と婚姻式を挙げられた。この時、わたくしは19歳でデイビッド様は20歳だ。披露宴の際に空から白の薔薇の花弁が舞い落ちてきたのには驚いた。参加者の列の中でカイリ様が悪戯っぽく笑っていたから彼の魔術によるものなのはすぐにわかったけど。わたくしは苦笑いしながら肩を竦めてみせた。 (しょうがない人ね)  そう胸中で呟きながらだが。するとカイリ様は嬉しさの中に少し寂しさを滲ませた笑顔を浮かべた。口がこう動いたのにはすぐに気がつく。 (キミガスキダッタヨ。サヨウナラ)  カイリ様は最後に切なげにわたくしを見つめる。それも一瞬の事だった。彼は踵を返すとわたくしやデイビッド様を見る事なく会場を去って行った。  初夜を終え、わたくしは幸福な新婚生活を送る。けれど時折、カイリ様の切なげな瞳を思い出す。彼はあの後どう過ごしているだろうか。気にならないと言えば、嘘だと言えた。けど彼は「サヨウナラ」と告げている。もうカイリ様を気にかける資格はわたくしにはない。しくりとした痛みを抱えながらも表向きは平常通りに生活をするのだった。  カイリ様がわたくしの兄の娘に当たる姪のセシリアと年の差婚をしたのはそれから16年後の出来事だ。カイリ様は40歳、セシリアが19歳だが。兄や夫人、両親など周囲の人々が非常に驚いたのは言うまでもない。まあ、わたくしは一安心だったが。 「お母様。カイリ様がセシリア殿といらっしゃいましたよ」 「あら。もうそんな時間なの。知らせてくれてありがとう。ステラ」 「ええ。キーラン兄様やサミュエル兄様、ソフィーも揃っています」  わたくしはならと四人いる子供達の長女で3番目に生まれたステラと一緒に自室である王妃の間を出た。  ステラは今年で13歳になる。長男で1番上のキーランは15歳、次男で2番目のサミュエルは14歳、次女で末っ子のソフィーも11歳になっている。皆、可愛いわが子だ。  わたくしはサロンに着くとソファーに座り待っていたカイリ様やセシリアに笑いかけた。2人はにこやかに応えてくれたのだった。  ――END――  
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