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 そろりと風が流れて、彼女の前髪を一束動かした。  和泉は指先でそれを後ろに流しながら空を見る。僕も釣られるように満月を見上げた。 「確かめる?」 「最近、仕事のできるイケメン先輩社員をひそかに尊敬してた新入社員女子がひょんなことから急接近する漫画読んでさ」 「どんな漫画読んでんだよ」 「女の子は男の子より一歩先を行ってるのよ。その漫画、最終的には憧れの先輩に恋して付き合ってハッピーエンドを迎えるわけなんだけど」 「良かったじゃん」 「夢あるよね。でも私、それ読んでちょっと気になったんだ」  ちょっとポエミーだけどさ。  そう彼女は前置きして口を開いた。 「尊敬と恋ってどっちが先なんだろうって」  静かな夜のグラウンドに彼女の問いが響く。   「できるが先かイケメンが先か」 「そうそう。主人公は尊敬してるから好きになったのか、最初から好きだったから尊敬しはじめたのか」 「難しいなそれ」 「だよね。でも今日ここに来てわかったよ。主人公じゃなくて、私のことだけど」  どういうこと、と僕は訊けなかった。  それより先に和泉が「二宮くん」と名前を呼んだからだ。その声に帯びた熱が僕を振り向かせる。  夜空から再びこちらに向けた彼女の瞳が、月光を奪い取ったかのように煌めいた。 「――夏は夜を、」  歌うように彼女は唇を動かす。 「秋は夕暮れを、」    湿り気を帯びた夜風が僕たちの間を吹き抜けていく。 「冬は朝を、」  雲が月光を遮って僕たちに影を被せる。 「春はあけぼのを、」  再び現れた満月の光は、彼女だけをスポットライトのように照らし出す。  彼女は笑っていなかった。 「私は二宮くんと一緒に過ごしたい」
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