そうだ、花火見に行こう

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そうだ、花火見に行こう

「あー……暑さがキツイ……」  三十路超えのオッサンである俺は、家のアパートでゴロゴロしつつ、そう呻いていた。  季節は夏真っ盛り。暑いのが大の苦手な俺はエアコンをフル稼働させ、日々の仕事の疲れを取るべくひたすらゴロゴロしていた。  しかし湿気があるせいか、じんわりとした暑さは全くとれない。  エアコンの温度もかなり下げ――冷やしすぎは体に良くないとか自律神経に悪影響とかいう話は知っているが、それでも暑いものは暑いのだ――更に体に風を直接当てるようにしてなどいるが、それでもとれないのだ。 「うー、チクショウ……なんでこう、夏ってのは暑いんだよお……」  フトンの上でゴロゴロ転がる俺は、そんなことをほざく。夏なんてそんなもんだってのは、30年以上生きてて嫌というほど知ってるだろうに。  いい加減何かをして、気を紛らわせた方がいいか――そんなことを考え始めた、その時だった。  ドーン……ドーン……  遠くから、結構大きい音が聞こえてきた。  一瞬何だと思ったが、すぐに気がつく。今日は祭りと、花火大会の日だ。駅の掲示板、そこにポスターが貼ってあった。  体を起こし、少しの間花火の音を聞く。それから俺は何を思ったか、外行きの服に着替え、外出の準備をし始めていた。  正直、その時の考えは俺にも分からない。  何となく――そう、言葉として表すことができないくらいぼんやりとした思いに従って、俺はそんな行動を取っていた。  ごそごそと準備し、3分もかからず準備は終わる。外はクソ暑いだろうなー、誰かと一緒に見るわけでもねえしやっぱやめといた方が良いかなー、そんなことを考えつつも手や足は止まらず、俺は外に出ていた。  ※  想像通り、外はクソ暑かった。  もう日は落ちてるってのに暑さだけはしぶとく残っていて、「何で日が落ちてるのにこんな暑いんだ」などとブツブツ俺は言う。  しかしそう言いつつも、なぜか家に戻る気にはならなくて。  ともかく祭り兼花火大会の会場となっている公園に向かい、俺は足を進めていた。 「早く行こうよー!」 「ちょっと待ちなさい。そんなに急ぐと危ないから!」  俺の脇をやんちゃな子供が通り過ぎていく。その後で母親が続き、それを更に父親が追いかけて、はしゃぐ子供をなだめつつその家族は花火会場へと向かっていた。  ふと、周りを見る。普段はあまり人通りの無い住宅街の道路に、それなりの人が行き交っていた。  俺が住んでいるこの町は、規模は大して大きくない。せいぜい8千だか9千だか、そこら辺の規模。  そのため花火大会といっても大きな都市がやるようなヤツとは比べものにならない程規模が小さく、30分程度で終わってしまうようなものだ。  しかし不思議なもので、いざやるとなるとそれなりに人は集まる。  普段であればこの住宅街だって静かなものだが、今日だけはそれなりの人が行き交うようになっており、少し賑やかだ。  そんな空気に当てられたか、俺の足取りも少しだけ軽くなる。クソ暑いのは変わらないし、俺は一人で花火を見るだけなのも変わってない。それなのに、俺も楽しくなってきていた。 「まったく……単純ってことなのかね、俺って」  苦笑しつつ、小声で言う。  会場に向かう途中、花火大会用のセールだか特売だかをやっていたコンビニに立ち寄っておにぎり二つ、ペットボトルのお茶一つを買い、それらを詰め込んだビニール袋を片手に下げて会場に急いだ。  会場の公園には(やぐら)が立っており、その上には太鼓が置かれている。花火大会の後は盆踊りをすることとなっており、周りにはその参加者と思しき人や、花火を見に来ている人がたくさんいた。  そして、そこまで人が集まってるってことは。  それを目当てにしている人も集まるってことで。  様々な屋台も公園中に出ており、小腹が空いた人やおもちゃ目当ての子供が店の周りにたむろしていた。  一方俺はというと、適当な草むらに腰を下ろし、コンビニで買ってきたおにぎりを食べ、お茶を飲む。そのまま首を上げて、夜空に上がる花火を眺めていた。  ちらと、腕時計を見る。花火が始まってから約二十分という所だった。  来る途中からでも花火は見えていたが、花火を上げる所の近くではやっぱり迫力が違う。それにラスト十分のところで一番大きい花火を上げることになっているのだ。  それに間に合った俺は、一時的に花火が上がるのが止まった夜空を眺める。  最後の花火だというアナウンスが流れ、いよいよと目をこらした。  一発目、上がった。結構大きい。煌びやかな光が、夜空に散らばった。  二発目、三発目がその後すぐ上がる。今度も大きい。連続した分、より多くの光が散る。  何回かその流れを繰り返し、その後は、小さいのが連続して上がるようになった。もう数えることもできないくらい小さいのが夜空に上がって、しかし量が量だけに、散る光も多い。  気付けば夜の空を花火が埋め尽くすようになって――ふと、この前花火を見に来たのはいつだったかという思いが、頭を過った。  あれは確か、6年前のことだったか。……まだ……父親が、生きていた頃。  親孝行のつもりで、近場の大きい花火大会に両親を連れて行ったんだっけ。そのときは、嬉しいことしてくれるなあと結構喜んでくれた。  でもその後、父に認知症が発症しちまって――そう、そうだ。その後は母親と俺とで、介護の日々だったっけか。花火なんて、行けるわけねえ。  最初は特に変化はなかった。けど日が経つにつれて症状は悪化して……俺は仕事があったから、世話は主に母がしてたけど――その母が漏らした言葉が、耳に蘇る。 「もう、こんな毎日は嫌だ」  そう言うのも、無理はないと思った。  来る日も来る日も、下の世話に風呂の世話、食事の世話にトイレの世話、奇行もするようになって、何をやらかすか分からないから常に見張ってもいなくちゃいけない。  俺もできる限りの手伝いはしてたけど、母の苦労は続いて……夜に眠ることすら難しくなってきて……ようやく老人ホームに入れられるって決まったときは、大きなため息を吐いて「やっと落ち着ける……」と言ってたっけ。  そして父がホームに入り、二人して落ち着いた生活ができるようになって、数ヶ月。  ……父が、死んだ。 (あの時は、本当に突然だったっけ……)  ホームの人間が言うには、食べ物を喉に詰まらせて、それで死んだそうだ。医者は呼ばなかったのかとか、お前らは何をやってたんだとか言ってもいいような状況だったけど、不思議と文句を言う気になれなかった。多分そのときは、色々と心がマヒしてたんだと思う。  その後はすぐに家族だけで葬式を行い、一人でも大丈夫だし心の整理をしたいという母の言葉を信じて、俺は一人暮らしを始め―― (今に至る、ってわけだ)  久しぶりに父親のことを思いだしたせいか、鼻の奥がツンとする。  そういえば子供の頃、父に連れられて花火を見に来たこともあったっけ――あの時は、感動したなあ……  そのことを思いだしたのが切っ掛けだったのか。花火に関するとりとめもない思い出が、頭の中に浮かんでは消える。  小学校に入ってからすぐ、友達と見に行った時のこと――  大きな花火大会に行って、あまりの人の多さに驚いたこと――  その時の花火が、今まで見たどの花火よりも綺麗だったこと――  色々なことを思い出している内に、今目の前で上がっている花火も、終わりを迎えようとしていた。  小さいのが、連続して上がる。夜空の下の方がそれらの光で埋まり、続いて大きいのが二発、打ち上げられた。  そして、ドカーンというでかい音。  視界いっぱいに光が広がり、夏の夜空が様々な光で埋め尽くされて、やがて消えていった。  花火大会終了のアナウンスが流れ、歓声が上がる。アナウンスは続けて盆踊りをすると言い、参加者は櫓の周りに集まるように言った。  俺はゴミ箱におにぎりとお茶のゴミを入れ、さてどうするかと首をひねる。  花火を間近で見て、クソ暑い中来た甲斐はあったと思った。しかしこのまま帰るのも、なんとなく気が引ける。せっかくここまで来たのだし、祭りを楽しんでもいいのではないかという気分になっていた。 (けど、盆踊りをするってのもなあ……)  めんどくさそうだし、第一手順も知らねえし。となると、ここでやれることとなれば…… (……アレか)  屋台に目を向ける。そういえば小さい頃から今まで、屋台で出されているものを食べた記憶がない。小さい頃は母親が弁当を作ってくれたりしたためで、大人になってからは別にいいかと思い手を出さなかった。  しかし今はというと、手を出してもいいかと言う気になっている。それなら、やらない手はないわけで―― 「この際だし、手当たり次第に屋台のもん食っちまお。うん」  そんなことを呟きつつ、俺は屋台に足を向けるのだった。  ※ 「うっぷ……」  俺は口を押さえつつ、腹に入ったものがリバースしないように口を押さえた。  ……そんで、上がったテンションのままはっちゃけた結果。  見事に、調子に乗った報いが来ましたとさ。 「さ、すがに、食い過ぎた……」  気持ち悪さを抑えつつ、言う。  何しろ焼きそばからリンゴ飴、お好み焼きに綿飴、イカ焼きなど、手当たり次第に屋台のものを食いまくったのだ。  そのときはまだいけるまだいける、などと思っていたが―― 「ほんっと、調子には乗るもんじゃねー……」  愚痴る。まだいけるなんて思った過去の俺が心底恨めしかった。 (……けど……)  そこで、ひょいと。 (もしかしたら今のことも……俺がさっきまで思い返してたような、思い出になんのかな……)  そんなことが、頭に浮かんだ。  懐かしい、昔のこと。今はもう、記憶の中にしかいない人やモノ、風景、そしてそのときそのときの場面。その中に今のことも、含まれるのだろうかと。  そしてそんなことを思った瞬間、それだけ自分は、歳をとってきたのだと実感する。 (実際、二十歳の頃は昔を懐かしんだりなんてしなかったしなあ……なんか、複雑だ……)  苦笑する俺。このまま歳を食ってじいさんになる未来が待っていると思うと、正直鬱になる。認知症になった父のことだってあるのだし。けど、同時に、それだけ歳をとれたのだという喜びのような思いも、一方ではあった。  特に怪我らしい怪我もせず、死ぬことだって無く――まあ、少しは苦労もしてきたけど――今を生きることができている。父の死もあって、そのことがとても貴重なことのように思えてくる…… 「……なーんて、な」  なーに似合わない、かっこつけたこと考えてんだ。自分で自分にツッコミを入れる。だけどそんなことを思いつつ、まだ生きていけるかな、なんて思いも心のどこかで浮かんでいた。  過ぎていく、日々のこと。過去になっていく、人やモノのこと。  それがこの先どれくらい増えるのだろうか――或いは、そう増えもせずに死ぬんだろうか。しかし、何はともあれ。 「まずは、稼がねえとなー」  ふう、とため息。金がなけりゃなんもできん。  生きるだの死ぬだの考える前に、やることをやらなければそもそもその自由だってない。世知辛い話だが、そうしなければやってられないのだから、やるしかないのである。  ……それに、多分それも。  自分が生きてきた過去の積み重ねの中に、含まれていくのだろうから。 「あー……ともかく、お仕事頑張るかー……」  今もなお痛い腹を押さえつつ。  日々の仕事に備えるために、俺は家路を急ぐのだった。
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