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歩は畑仕事が終わると、叔父の家からすぐの実家に、自分で食べる分の野菜だけ取って、コンテナごと置いてから、アパートに帰る。
これはいつもの朝の動きで、気分はいつもとは違う。夏の日差しはますます高く、もう起きてから何時間も経ったような錯覚に襲われる。
アパートに帰ると、やはり山西の靴は玄関にはない。ビニールに入れた野菜をテーブルに置くと、そこに手付かずのミニトマトがあるのを見て、いつものこととラップをして冷蔵庫に入れた。
「冷えていないから食べないのかな?」
歩は独り言を言って首をひねりながら、いや、見えなければ結局は食べない。あいつは野菜が苦手なだけだと、手に数個取っておいたミニトマトを口に放り込んだ。
山西は歩の作った野菜を食べてくれたことがなかった。ちゃんと、うまいけどなと、まだ花の付いている、さっき収穫してきたキュウリをパキリと齧ると、青臭くて、その中にも爽やかな甘みを感じる。
無農薬、無化学肥料にこだわった野菜、なんてものではない。
虫が付いたら必要な農薬は使うし、化学肥料は野菜を栽培する上で必要な栄養素を効率良く補ってくれる大事なものだ、と歩は考えている。
有機栽培じゃないと俺は食べないとかレベルの高い奴なのか?いや、出先で出されたサラダをバリバリ食べているのを何度も見たことがある。じゃあ、なんで?
短くなっていくこのキュウリを食べきれば、答えが出る単純な問題ではない。何年も考えて、未だに解は出ない。
キュウリは歩の指の先で、花だけになった。さっきまで畑で温められていたから、少しぬるいのがもの足りないけれど。パキパキと折れるような食感は採れたてでしか味わえないんだけどなと、ひとりで満たされた気分を味わう。
でも、歩はこれを食べろとは、山西に強要するつもりはない。
山西志弦とは、板割高校からの付き合いだから、今となっては存在は自然とそこにあって、お互いに過ぎた干渉はしなくなっていた。
1年生の頃は友達で、2年生になると関係に変化があった。そのまま3年生になり。
歩が私立大学の農学部に、山西が私立大学の経済学部に進むことが決まってから。卒業に合わせるように関係も進み、自然と大人のものに変化していった。
唇を合わせるだけの関係から、体を触れ合う関係に。
ただ、そこまで。未だに「それ以上」には進んでいない。それ以上をしようとは、どちらも言わないから、山西とはお互いに触り合い、擦り合うだけの行為しかしていない。
つまり、挿入をしない、ということ。
恋人と言ってもいいのかもしれないけれど、その確証が持てなかったし、歩は「俺たち付き合ってるんだよね?」と確認したことはなかった。だから歩は、山西の世話をかいがいしくは焼かないし、彼の私生活にも干渉はしない。
性処理をする関係がある、友達だろう?なんて、山西は言うかもしれないと思うと、このままを選んでいれば気楽だと、いつもそのままにした。
山西も同じようなもので、気まぐれにやって来ては、歩のアパートで買ってきたものを食べて、お互いの性欲を処理して眠る。
朝は畑に行ってしまう歩とは会わずに、適当に朝食を食べて仕事に行ってしまう。
汗を流すためにシャワーを浴びながら、歩は鏡に映った自分を見ていた。
昔から女の子のようだと言われた顔は、先日27歳を迎えた今ではだいぶ落ち着いてきたように思える。気を抜いて目を開いてしまうと、瞳が大きく見えてしまうから、細くする癖が身についている。
長めにすると、オンナだオンナだと言われるから、中学生の頃からずっと、髪は短くしている。それでも高校生の頃は、仲の良い友達と話をしていると気が抜けて、あははと笑うとすぐに言われた。
『歩となら付き合ってもいいな。そこらへんの女子よりよっぽどかわいい』
そう言われると、途端に楽しい気分は去った。山西だけは、そんなこと言うなと、それを止めてくれたけれど。
本当は山西が一番、そう思っていて、そんな山西によって扉が開かれて、山西と関わりを続けるうちに、自分の性について納得したことが皮肉だな、と思っていた。
裸になると、いつも確認するのが癖になっている。目を細められているかと鏡を見て、上から下に。胸は平たく、腕と腹に付いた筋肉はかたい。茂みに隠れて、男の象徴は付いているし、そこから伸びる足にもやわらかさは見られない。
俺の体は男で、それでいいと思っている。でも、山西に欲情して、それ以前に、柿谷に強く惹かれた。女性を好きになったこともない。
シャワーを冷たく切り替えると、それを頭から浴びた。柿谷のことはいいだろうと、頭から追い出しながら、下から持ち上がる欲望を見てみぬふりをした。
頭にタオルを巻いて、畑の畝間を歩く、黒く日焼けをした柿谷が、「あゆむ」と声を掛けてくれた放課後の思い出も。そのまま水に流れてくれたらと願っていた。
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