全ての始まり

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全ての始まり

 激しい息遣いと、汗ばんだ肌。  無理矢理開かされた濡れそぼった股の間には、ずっぷりと男の陽物が埋まっている。  そこにあるべき俺の性器は影も形も無くなっていて、ただ、女と同じ、雄を受け入れる濡れた肉唇が口を開いていた。  努力で鍛え上げた筋肉は、腹も腕も脚も――この身の他の部分は男のそれのまま、何一つ変わりはしないのに。  何故こんなことになってしまったのか。  俺の祖国がこの地を踏みにじり破壊したことへの、これは報いなのか。  それとも、少年の頃に犯した罪と、俺の叶わぬ恋への報いか……。  俺を組み敷いているのは、燃えるような赤い髪の男。  赤銅色の肌。右の上腕の、生きているかのような黒々とした蜘蛛の刺青。  彼の美しくも憎悪に満ちた翠の瞳の中に、見知らぬ俺がいる。 「……イアン・ハリス、あんたはもう、俺の女だな……」  男は、そう言って唇を歪ませた。  ――俺がのっぴきならない事情で帝国の首都を追われたのは、ちょうど三十路になる手前のことだ。  新たな任地である植民地マウラカは、広大な大陸の中央にあり、峻厳な山々で構成された不毛の土地だった。  『マウラカ』は土地の言葉で神の住まう場所を意味する。  同じ大陸のほぼ北半分を領する大国のシャイナと、南の半島国家、ミシディアとの間を分ける東西に細長い山脈周辺は、確かに人間が住むにはあまりに厳しい土地だった。  この土地では千年も昔から、遊牧民達がヤクや羊などの家畜を連れ、天幕を張り、地に這うように生えるわずかな草を求めて移動しながら暮らしていた。  豊かさを蓄えたり、独り占めするものもなく、大きな都市や煌びやかな街は存在しなかった。  部族の長のような者はいるが、権力を振るうこともなければ、いくさを主導するようなこともない。  独自の呪術的な宗教を持ち、未来永劫、山々を彷徨いながら慎ましく迷信に満ちた生活を送る。  そんな彼らの生活を変えてしまったのは、些細な出来事だった。  ある日、マウラカの山岳地帯から南のミシディアに流れる川の中で、希少な青い宝石が見つかったのだ。  月藍石(げつらんせき)と呼ばれる、その地でのみ採掘される硬く透明な美しい石……。  その時から、貧しく平和なその地域は一気に富の奪い合いのさなかに突き落とされた。  ――海の向こうからやってきた、強大な軍事力を持つ新興海洋国家、ゼシル帝国による侵略。  彼らは既に南のミシディアを支配していたが、やがてマウラカにも手を伸ばしてきた。  効くのか効かぬのか分からぬ呪術のほか、何も抵抗するすべを持たぬ人々は瞬く間に制圧され、マウラカはゼシル帝国領土の一部となったのだ。  それから百年ほどが経った、現在――夏の夕べ。  この辺境の山岳地帯には、骨身までしみるような冷たい風が吹いていた。  高地のせいで背の高い樹木が生えず、昼間は暑いほどの気温だったが、夜は酷く冷える。  俺が立っているのは、岩山の山頂を削るようにぽっかりと空いた鉱山の巨大な採掘穴の前だ。  穴、というより崖のようになっている削り跡は深く、底が見えない。  地上には蒸気で動いている巻上機の巨大な滑車が置かれ、時折音を立てて動き、奥底の採掘現場で作業している人間の存在を感じさせた。 「少佐殿。マウラカの夜は冷えます。外套をお召し下さい」  俺の肩に毛織りの軍用コートが優しく掛けられる。  振り返ると、銀縁の眼鏡を掛け、マウラカ人特有の美しい黒髪を一本に編んで腰まで垂らした、赤銅色の肌の青年が立っていた。  整った、その理知的で優しげな顔立ちに、銀縁の眼鏡がよく似合っている。  身に付けたシンプルな緑の軍用服は俺と同じ、帝国の駐留陸軍の制服だ。 「……ありがとう、オルファン。だがもう屋敷に戻るし必要はない」  外套を脱ごうとした俺の手をオルファンが握って止めた。  途端に俺の胸がドクンと疼く。 「駄目です」  背中に厚い胸が密着し、逞しい腕が俺の胸に回った。  サンダルウッドのエキゾチックな香りが鼻をくすぐり、器用な手が胸のトグルボタンを一つ一つ嵌めてゆく。  耳の後ろに熱い息が当たり、動悸が激しくなった。  気づかれないよう、わざとゆっくりと呼吸と整える。  すべてが済むと、オルファンはそっと身を離し、俺の背後に控えた。  火照った頬を悟られぬよう背中を向けたまま、俺は口を開いた。 「……今夜鉱山に、例の赤い髪をした賊が出るという噂だったが……」 「出たとしても、わざわざ副総督殿のお手を煩わすようなことにはなりますまい」  オルファンが静かに答える。 「……いや、あの賊は放っておけば必ず禍根になる。……だが、今日はもう帰ろう」  言って振り返り、俺は寒風の吹き込む採掘穴を後にした。  砂利の道に、作業用のアセチレンランプが所々灯っている。  この地は秋の訪れと共に乾季に入り、雨は殆ど降らなくなった。  木一本、草一つ生えていない砂利ばかりの斜面をオルファンが先に歩き、待たせていた二頭の黒馬の手綱を引いてくる。  俺はそれを待ちながら、余りにも広い藍色の空を見上げた。  深く傷つけられた冷たい大地を、瞬き始めた星明かりが包んでゆく。  俺の胸の奥に膿む傷にも、それは同じように染みた。
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