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それが生命の光だとしたら、俺は弔っていいのだろうか。
陽炎と螢
蒸し暑さがじわじわと体力と気力を蝕む。
その熱は、無意識にアシの神経を鈍らせていた。
だとしないと、説明がつかない。
怪異の通報が有った暗い道路で、アシは陽炎を見た。
「神隠し?」
眼鏡を直し、アシは通知の文字を見る。
そのスマホに入電されたのは、次の討伐依頼だ。
実質試験だろう。成績優秀なアシは、他のクラスメイトと違って実戦の依頼も指示された。
「えーいいなー。オレまた草むしりだぜえー」
ぶらぶらと椅子で揺れる赤髪の少年にアシは呆れの溜息を吐く。
「だったら筆記を真面目にやれや。つか授業に出てすらいねえだろ」
「だってぇかったるいんだもん〜」
努力をしない者はそれ相応の権利しか得られない。
そう説教してもバラは右耳から左耳へ抜けるので、アシは口にしなかった。
アシの肩に一つ目の黒犬霊がのし掛かる。内容は?としゃがれた声で問われたのでその端末を見た。
夜になると、その道を歩いている人間が消えるという。
監視カメラの動画を見ても、確かに一瞬で通行人が消えていた。
監視カメラの動画は複数貼られている。
それを見たら、確かに只事では無い事はわかった。
「神隠し、か…」
「これ、確かに怪異の仕業だな」
人間であるアシにはわからなかったが、肩に乗る黒一字は言い切る。
「わかるか?」
「居なくなる瞬間、靄が広がってるな。それが妖気かどうかまではわからねえが」
夜というのがまた怪しい。ふむ、とアシは動画を見つつ顎を持った。
「まあ、ぶった斬ればいいだろ」
暗いの道を歩きつつアシは一人ごちる。何気にこの優等生も脳筋だった。
大太刀を腰にぶら下げていたら来る怪異も来ない。という訳で、黒一字は霧霊の形態でアシの後ろをついていっていた。
ふと、モノクロは足を止める。
「…あれは、何だ?」
つい、呟いた。
視界にぼやけた部分が有る。
それは、陽炎だった。
「陽炎?」
こんな夜中にある筈が、と黒一字が言い掛けた時、風が吹く。
生温い空気の流れに、黒一字は一瞬その一つ目を閉じてしまった。
その一瞬で、
「…アシ?」
モノクロの姿は、消えてしまった。
歩いている。
黒しか見えない世界を歩いている。
靴の裏に感じる硬さと、じゃらじゃらという音だけが砂利を歩いているのだと示している。
体が重い。
アシは、その歩みを止めてしゃがみ込んだ。
つかれた
誰かの視線を感じる。
それでも、もう何も考えられなくなっていった。
体育座りになり、顔を腕の中に沈める。
石つぶを踏む何かの音にも、反応が出来なかった。
唸り声が近づいてくる。
それでも、動けなかった。
その息遣いが、感じられる程に近付く。
アシは動かなかった。
ひらり
光に、アシは顔を上げる。
ただの点かと思う程、小さな光。
それが薄らと世界を教えた。
「…ほたる…?」
螢が照らした視界は、河辺の石道だ。
アシは急に立ち上がり、その光を追った。
じゃ、じゃ、と革靴が踏む砂利は走り辛い。
でも、それも気にならなかった。
その微かな光に頭が働き始める。
追ってくる獣から逃げなければならないのも、わかった。
「アシ!!!」
知ったしゃがれ声に呼ばれ振り返る。
急に角度を変えたアシに、獣は怯んだ。
「黒一字!!!」
アシは相棒を喚ぶ。
広げた右手に、大太刀が現れた。
すらり、と抜いた黒刀に光が反射し、その敵の姿を捉える。
アシが刀を振り下ろせば、手応えが有った。
何かを切り裂いた感覚と共に、その気配は消えた。
荒い呼吸で辺りを見渡す。
螢の群れが、アシと大太刀を照らしていた。
それで視界が戻り、河の流れる音も聞こえる。
そして、黒一字が切り捨てた怪異が、今回の討伐目標だったと気付いた。
「ありがとう」
人の形になった黒一字は螢達に言った。
「この子達がアシの居場所を教えてくれたんだぜ」
二人を取り囲む光の粒が、黒一字をこの場所へ導いてくれたのだと言う。
それは、怪異が食らった生命の魂なのだと、同じく人間では無い黒一字は説明した。
「じゃあ目的は達せられたと?」
「うん。あれが神隠しの正体」
そして、連れ去った人々を此処で食っていたのだ。
「…じゃあ、もう、」
螢達に照らされ、アシの言いたい事を察した黒一字は頷いた。
「君達は、後で連れて行くから」
魂の成仏化は、アシ達には出来ない。
それが出来る者を後に派遣する事を、螢達に約束した。
螢達は言葉を発さないが、了解してくれたと思う。
一瞬、その儚い光が強くなり目を瞑った。
その黒曜の眼を再度開けると、見知った道が見えた。
「…任務、達成か」
夜だというのに、蒸し暑さはアシに纏わりつく。
そうだな、と霧霊に戻った黒一字が耳元で呟いた。
アシは安堵の溜息を吐き、ズボンのポケットから端末を取り出す。
陽炎は、帰り道に現れる事は無かった。
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