第一話 「ソクラテスの弁明」プラトン

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第一話 「ソクラテスの弁明」プラトン

 記念すべき第一話にプラトンを持ってきた。なぜなら、現代の西洋哲学はプラトンを抜きにしては語れないからである。これから連載して行く哲学の小話もプラトン哲学を根幹に置いている。最終的に私自身の哲学「バイオリズム(受容体の哲学)」を完成させるプロセスになる訳だが、その全てにおいてプラトン哲学が息づいている。  プラトンが描くソクラテス曰く、若くして政治に携わっていたなら既に命を失っていただろうと。つまり国家には政治に絡む不正、不法が蔓延っていて、善なる心で立ち向かえば、一部の利権者や多勢の盲目な者たちに圧殺されるということである。これはプラトンの全体主義への批判を意味している。そこで自分はどのような生き様を貫くのか?ソクラテスは本当の正義のために戦おうとするのであれば、必然と公人ではなく私人として生きるしかないと言っている。これに対し、批判というより乗り越えようとしたのがサルトルのアンガージュ、アレントの政治参加に代表する実存主義ではなかろうか?そうであればアレントのプラトン批判も頷ける。プラトン思想を全体主義の根源のように言うのは間違っている。「国家」にて理想の統治を哲人による王政とし、民主主義を否定したことが誤解の要因かもしれないが、プラトン初期の本書にはソクラテスの生き様を通して全体主義への批判が鮮明に描かれている。ソクラテスの生き様とは、一生をただ安穏とせず、蓄財や公の演説その他の公職、国内に存する徒党や党派これらの大多数が念頭に置く一切のものに無頓着で、善行を何人にも親しく個人的に行うことができること。僕の言葉で言えば「無名を受け入れて善を成すこと。これ即ち『徳』なり」と理解した。いやいや、そんな消極的なことでは何も変わらないよと思うかもしれない。積極的な関わりが変革をもたらす場合もあるでしょう。だから僕はそれらを全てを否定しない。しかし、一言だけ言うなら、それもまた全てではないと知ることである。ソクラテスは自分の信念を貫いた。そして不当な裁判での死刑判決を受け入れる訳だが、賛否は当然あるだろう。信念を貫くことだけが全てではないからである。でもそれが生き様というものである。友人のクリトンがなりふり構わず逃げ出そうと説得するがソクラテスは応じない。彼にも死への恐怖はあったであろう。しかしその信念を支えていたのは不死の魂の存在であり、魂が実存するかしないかということなど既にどうでもよいことで、それを信じられるか否かが、人を死の恐怖から救うことができる分水嶺なのである。プラトンを浅く読んで欲しくない。優しい文章だなと思うからこそ、そこに込められたものはとてつもなく深いのである。了
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