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9月2日
絞り出された言葉と、伏せられた視線に、安堵した。普段から大人しい人間ほど、話が複雑になると思っていたからだ。
知っている。悪いのは、俺の方だ。
「何でも、してくれるんですよね」
「ん?ああ...」
結婚間際。数週間前までの自分達は、そんなカップルだっただろう。
でも、出会ってしまったのだ。運命だと思った。今でも揺るがず、信じている。
あくまでも俺の事情であって、彼女には関係ない。「何でも」というのは言葉の綾だが、謝罪程度の申し訳なさは感じている。いちばんいい時の数年間を無駄にしてしまった。
「普段履きの靴が、傷んでしまっていて。歩きやすいのを一足、欲しいんですけど」
「いいよ。買おう」
足下を見ると、パンプスの色が変わっていた。ボーナスで買ったのだと嬉しそうに見せられたのが、随分前のように思える。
ショッピングモールの休憩スペースから立ち上がった2人は、目の前の靴屋チェーン店を物色した。
想像以上に安い買い物だった上に、「友人として」と気になっていたブランドの靴を送ってもらった。円満に解決した話し合いと、金銭的に儲かった別れ話に、心から満足した。あそこまで気前のいいプレゼントは、初めてだったからだ。
だから、友人としては上手くやれるんじゃないかと思ってる。
「2人がいいんなら俺は構わないけどさ、ソレ、ケッコーマズいんじゃない?」
言葉の割に険しい表情を浮かべたのは、共通の友人だった。
「恋人同士で靴を贈るのって、よくなかったんじゃ...」
「別れるってやつか?別れてから買い物したのに」
2人を引き合わせた友人が彼女の肩を持つのは当然だったが、信じてないくせに迷信を持ち出されるのは心外だった。
「もし、あいつがそのつもりじゃなかったら?」
「は?」
「彼女は『ガールフレンド』だろ?彼氏は『ボーイフレンド』だから、友人であることには変わりない。夫婦じゃないからね」
屁理屈をこねるこの友人は、やはり怒っているのだろう。痛くも痒くもないが。
「ガールフレンドとして靴を送れば、金銭的にはあの子の方が損してるんだから」
振られたのは、俺の方だと?
「訊いても教えてくれないだろうから、確かめようはないけどね。でも俺の知ってるあの子は、屁理屈をこねるプライドの高いやつだよ」
お前の前では、猫被ってたみたいだけど?
コーヒーなんて、苦くない。
「で、どんな別れ話だったの?」
満面の笑みで尋ねてくる男を見て、彼の推理が当たっているように思えた。あの子だって、彼の友人なのだ。一度も、「別れましょう」なんて言われていない。
自分勝手で申し訳ないけど、別れてくれないか。何でも、言うこと聞くから。
――そうですか。ねえ、
何でも、してくれるんですよね。
くつの日
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