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9月3日
お値段以上の価値がウリの家具チェーン店。後ろを歩いていたカップルが私を追い抜いて、店の奥へと進む。2人とも自分より若そうなのを見て、ひとり、視線を落とした。
あのカップルが買うのは、ダブルベッドかもしれない。それ以上に大きいかもしれない。ついでにソファやダイニングテーブルも買っちゃうかもしれない。新生活というのは物入りなのだ。
子どもの姿がなかったのがせめてもの救いだと遠吠える負け犬は、折りたたみベッドの前で立ち止まった。
ベッドだってコンパクトになる方がいいじゃない。広い部屋じゃないんだし。床も掃除できて、衛生的だし。
予算勘定をしながら、自分の経験値を呪った。
実家を出てこのかた、私には「1人での引越し」という経験がないのである。
というのも、大学時代は家賃を抑えるためにシェアハウスを借りていた。引越作業は親と親切な先輩住人が手伝ってくれたので、大変さをイマイチ理解していなかった。
ここで運が尽きている。
近隣で就職を決めた私は、ハウスの居心地の良さに甘えて居座り続けたのだ。
私が住んでいた約10年で、キャリアアップだの恋人と住むだのとメンバーは大きく入れ替わり、私が最年長になって約2年が経とうとしている。
これで孤独死はないな、などとあぐらをかいていた数ヶ月前の私に言ってやりたい。
バーカ。
定員5名のシェアハウスで、私以外の4人は大学生。全員分の引越しを手伝ったし、たまにお菓子を差し入れるくらいには可愛がっていた。でも、仲間だと思っていたのは私だけみたい。住民同士でカップルが成立していたのだ。2組も。
無理ないよね。大学生なんて、恋愛とバイトしか頭にないんだもの。
内心毒づきながらも、祝福したかもしれない。正面切って報告してくれれば。
SNSでダブルデートを見せつけられてひがんでるなんて、嫌な大人でしょ。なりたくないでしょ。私だってそうだったよ。
物件がすぐに見つかったのは、幸運だった。何週間も選べるほど気は長くないので、ひとり拗ね続けていたかもしれない。
『今回引っ越すことになりました。職場は変わんないから、近くに寄ったらよろしくね』
気軽で前向きな報告口上を考えながら、レジの列に並んだ。前に並んだカップルのことも、もう気にならなかった。
「次の方、こちらー」
店員に促されるまま、折りたたみベッドの札をテーブルの上に出す。
「えっ?」
不自然な間に顔を上げると、見覚えのある男の子がエプロンを着けて立っていた。ルームメイトだ。
「引っ越すんすか」
家具付きのシェアハウスに、折りたたみベッドは必要ない。
「ま、まあ」
「ふうん」
業務的に読まれる値段に、気分が下がった。小銭の計算も無茶苦茶で、サイアクの買い物だった。
ベッドの日
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