依頼

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依頼

 40畳ほどの広い部屋。その真ん中の木製の椅子に一人腰掛けている。  3人で利用するのが精一杯と思われる円形の机の上に一口つけたコーヒーカップを置き、小さなため息を付きながら斜め上の方を眺める。どこを眺めたって、あたりは一面無機質な白。唯一壁にあるのは白に同化した線だけの扉だ。  静かな部屋。空気が部屋を圧迫する音だけが耳を通る。  扉が開くのをじっと待つ。もうそろそろ待ち合わせの時間。彼と会うのは久しぶりだ。  2日ほど前、急に同僚から連絡があった。そして先方からの言付けを伝えられた。依頼内容は特別変わらずいつもと同じだろう。しかし、今回なぜ私を指名するのか。それだけが気がかりだ。  待ち合わせ時間が過ぎた。まだ現れない。彼は時間にはしっかりしている方だ。もうじき来るだろう。  1秒毎に緊張が高り鼓動が高鳴る。彼と出会いこれからなにが起こるのだろう。不安と期待が渦巻き混ざりあい、感情がごちゃまぜになる。  扉が開く。音もなく彼が姿を表した。その姿は以前に幾度か会ったときとさほど変わらない。扉が消して心地よく感じない音をたて閉じる。その様子を見て、すぐさま席を立つ。  何も言わず、静かに近づいてくる。全身黒ずくめの姿。両手をズボンのポケットに入れている。その姿は極端に痩せた体格と長い金髪のせいで、遠くから見ると一本の筆のようにも見える。その黒い棒が横にくねらせながら徐々に近づいてくる。  初めて会ったときと同じ身震いが走った。その外見だけからは癒やしなど一寸たりとも感じない。恐怖、威圧、寒気、邪悪。そんな熟語ばかりが思い浮かぶ。ポケットから出した左手で長い金の髪を掻き上げると、髪で隠れていたあの恐ろしい目が露わになり、そして自分の目と合う。細く青白く光る敵を威嚇する蛇のような眼球。目があった瞬間、思わず少し体が仰け反ってしまった。本能が「危険だ、逃げろ」と叫んでいるかのようだ。蛇や猫に窮地に追い込まれた鼠はこんな気持になるのだろう。その一瞬で死にゆく覚悟を決めなければならない。まな板の鯛のように大人しくするのか、無駄を承知で暴れるのか。暴れるのであればほんの少しでも可能性の高い方法を瞬時に選択し行動に移さなねばならない。0.1%でも、0.01%でも。しかしながら実は幸いにもそんな心配をすることは一切ない。彼が自分を襲うようなことはないだろう。  先に挨拶するべきだったが萎縮していたのか言葉が出なかった。そうこうしているうちに彼の濃い紫色の唇が小さく動く。  「やあ。久しぶりだねえ。まあ掛けなよ。」  「ご無沙汰しております。トルストロさん。」  その不気味な色の唇が笑う。最上級の恐怖のような、最上級の安心のような不思議な笑みだ。そのまま何も言わずトルストロは右手をポケットに入れたまま席に腰掛け足を組んだ。  「元気そうで何よりだ。どう、最近は。忙しい?」  「いいえ。そんなではありませんよ。ポツポツと依頼はありますけど、すごく忙しいってほどではないです。」  「そう、それは良かった。」  左手の指を鳴らすと、目の前にもう一杯のコーヒーが現れる。トルストロは左手でそれを持ち軽く口をつける。彼はその姿からは想像できないほど口調は穏やかで行動もとても紳士的だ。初めて出会ったときはそのギャップに驚かされ、頭がおかしくなりそうだったのを覚えている。  「急に呼び出してしまって悪かったね。」  「正直、驚きました。あまり指名されることも少ないもので。しかもそれがトルストロさんからと知ったときは特に。」  「今回はどうしても君にと思ってね。」  そう言うと、背中に隠していた書類の束を左手にもち、裏返しのまま目の前に差し出した。  「それが今回依頼したい人達の書類だ。後でゆっくりと確認してもらえたらと思う。とても奇妙な奴らを見つけてね。より正確に判断してもらいたいと思った。それで君にね。」  「奇妙な・・・ですか?」  「そう。全部で7人。」  「7人ですか?多いですね。。」  「まあ数日に渡ってね。今頃、全員、過去を振り返りながら迷路を堪能しているだろうよ。」  「そうですか。私がその7人全員の『天地判定』を任せていただけるという事ですね。」  「そう。よろしく頼むよ、バンちゃん。僕のキャリアの中でもこれほど奇妙なのは珍しい。」  「わかりました。トルストロさんの依頼です。責任持って承ります。」  トルストロの不気味な口がまた大きく動く。そのまま、彼は左手でもう一度髪を掻き上げながら席を立ち上がった。そのままクルッと180度回転し立ち去ろうとする。先程自分で出したコーヒーは半分も減っていないがそれで満足したようだ。  「あ、あの、すみません。トルストロさん。今回、なぜ僕を?」  「言っただろ。正確に判断して欲しいからだって。君の能力を買っているんだよ。僕は。」  「あ、ありがとうございます。」  少し頬が緩んだ。  「あ、そうそう。大事なことを伝え忘れていたよ。今現在『地』は3人くらいしか空いていないらしい。よろしく頼むよ。」  「え、そうなんですか?」  「上役がそう言っていた。なんだか混み合っているってさ。よろしくね。」  「わ、わかりました。」  背を向けたまま、左手を上げ別れの挨拶をする。右手はずっとポケットに入れたままだ。左手で扉を開けるともう一度左手で合図をしてトルストロは煙が吸い込まれて消えるかのように立ち去っていった。その姿はライブが終わったあとのロックスターのようだ。憧れてしまう。あっという間の時間だった。トルストロもそうだが死神は基本要件だけを伝え余計な話はあまりしない。みな実にクールだ。  あの右手で、幾人もの魂を奪い葬ってきたのだろう。あの手を一度見てみたい気もするが見た瞬間自分も消滅しそうで恐ろしくなる。  そして私は、死神が持ち帰った魂の行き先である『天地』を判断する判定人だ。  早速、机に置かれた書類を手に取り、読み始めた。  一人目の書類を見るやいなや目が釘付けになり、複数人読み始めていくうちになぜトルストロが僕を使命したかの意味が分かり身震いがし始めた。  
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