悪夢の夏

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 つまりそれが、賭場帰りの養父に聞かされた話の全てであった。  いかに名家の跡取りとて、自分を捨てた家の敷居を跨ぐなど周も本意ではない。  だが一方で、思い出の母と暮らした蔵の中が恋しくもあった。  そう、蔵の中だ。史乃の仕切る母家には在居を許されなかった母子は、家の離れの蔵の中でかろうじて息を吸うことを許された。  さらに夢かうつつか、周は蔵の中でいまひとりの誰かと暮らしていた感覚もするのである。  草花のような薄ら緑がかった髪と目をした童女を、あれはそれ親を失くした狐の子だから、おまえ一緒に住んでおやり。その童女の名も思い出せぬのに、妙に甘ったるい顔と声で史乃に言い含められた記憶だけは、その丸い肩越しに見た干し大根の黒いしみまで、はっきりと覚えているのである。  まぼろしの狐女にまた会えるかもしれない。すれば沸々とみぞおちに興奮が湧いて、何やら無性に笑い出したくなる唇をきつと引き結び、周は養家に別れを告げた。
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