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第一話「入学式~桜並木の先へ~」
魔法使いと繋がる世界~三つ子の魂編~
第一話「入学式~桜並木の先へ~」
「シンデレラ、起床の時間です、早く起きていただけないと、舞踏会に遅れてしまいます」
舞台演劇のセリフじみた言葉と共に、樋坂浩二は妹の真奈の肩を揺すって囁くように言葉を掛けた。
「お兄ちゃま……、何用ですか……?」
まだ幼さの残る六歳の真奈が眠気眼で目を擦り、眠そうな声を上げて浩二を見る。
「だから、あれほど昨日からお兄ちゃまはやめるようにと申したではありませんか。今日から小学生なんですよ、これでは笑われてしまいます」
「えー、わたしは困らないよー。お兄ちゃまが変態だと思われるだけだよー」
「いや……、だからそれが困るんだって、俺の人権が奪われるだろ」
「おにい言動が素に戻ってますよ?」
「いいから、はよ起きんかい!」
険しい表情を浮かべる浩二の鋭いツッコミが入ったところで、パジャマ姿の樋坂真奈が身体を起こした。
両親の死後、樋坂浩二とその妹、真奈は隣に暮らす幼馴染の永弥音家のお世話になりながら、今日まで二人三脚、同じ屋根の下で暮らしてきた。
*
「――――生体ネットワーク基本法の集中審議が、いよいよ来週から始まります。本法の審議にあたっては―――――――」
今朝のテレビ中継が流れるリビング、代わり映えのない光景が今日も続く中、浩二は朝食の準備を手伝っていた。
「おにい、おはようなのです」
一人着替えを済ませた真奈が部屋を出てリビングに顔を出した。
「もう朝飯の準備は出来てるぞ」
エプロン姿で台所からテーブルまで料理を運びながらモーニングの準備をする兄、樋坂浩二の姿は真奈にとっては普段とは違って不自然に見えた。
「そんなに無理に張り切って、おにぃらしくないのです」
今日の日を楽しみに、慌てふためいている兄の姿を目撃して真奈はむしろ落ち着き冷静な気持ちになった。
「真奈ちゃん、お着替えできたのね、おはよう」
「あっ、おねえちゃんおはようなの~」
台所の方から声がしたので振り返ると、お隣に住んでいる永弥音家の一人娘、唯花の姿が目に映った。
「おねえちゃん、お洋服とってもキレイでお似合いなの!」
真奈が相変わらずな独特の言い回しで、唯花の入学式用に身を固めた正装を褒めた。黒のカラーレスジャケットとタイトスカートのフォーマルスーツ姿でいつになく保護者といった大人な雰囲気を醸し出している。
「ありがとう、真奈ちゃん」
エプロンを脱いで台所から出てきた唯花は優しい微笑みを浮かべて真奈の黒髪を優しく撫でた。
「えへへへ、おにぃも思うよね? おねえちゃん今日はとってもキレイなの!」
「うぁ、あぁ……、そうだな……」
突然話を振られて、いつになく動揺してしまった浩二は視線をそらした。
「おにぃ、照れてるのだ! おねえちゃんよかったね、おにぃも似合ってるって!」
「うん……、ありがとう……」
朝から思わぬ展開に巻き込まれ、浩二も唯花もあたふたとして落ち着かない気持ちになった。
真奈は物心つく頃から親代わりにそばにいてくれた浩二と唯花が大好きで、二人がくっ付いて本当の家族になることを期待していつも応援している。
そういうわけでたびたびこうした先走った願望の入った発言が飛び出すわけで、二人はいまだこうした発言に対する最適解を持ち合わせておらず、照れた気持ちで微妙な空気が流れてしまうのだった。
「二人とも早く座って、早く朝食食べて出掛けるぞ」
浩二の言葉に慣れた動作で席に着く二人。こうして三人で食事をする機会は珍しくなかった。
「今日はおねえちゃんも一緒にお食事なの?」
「うん、早めに真奈ちゃんをお迎えしようと思ってね、真奈ちゃんにとって今日は大切な日だから」
唯花は優しい口調でそう言うと、フォークを手にしてケチャップの付いた目玉焼きに手を伸ばす真奈は嬉しそうに笑った。
「せっかく着替えたんだから、急いで食べて服汚すなよ」
「うん、だいじょぶだいじょぶだから~」
こういう照れた唯花の姿を見ると、浩二もなかなか唯花のことを直視できなくなる。お世話になっているとはいえ、年々美人になっていく唯花の姿は浩二にとって目に毒となっていて、危険な綱渡りを常に渡っているかのような錯覚さえ覚えてしまう。
つまりは危険な感情を抱きそうになるほどの綺麗さなのだ。
家族ぐるみの付き合いとはいえ一線は越えてはならない、そう浩二は自分に戒めながら暮らしている。
「おにぃ、絶賛センチメンタル中?」
「アホなこと言ってないで、はよ食べぃ!」
(いつものように始まる食卓、ずっと続いてきた関係、いつから? そんなこと今更思い出せない。
真奈が生まれてから? 俺の両親が死んでから? それとも唯花の両親が俺の両親と旧友だったから? 明確な回答なんてない、でもこういう日常が続いていることは必然であったと思う。
そう、ここにあるものは特別な関係などではなく、アリスの表す運命の導きの結果なのだ。
ただ、今更そんなことはどうだっていい、こんな日常がいつまでも続いていくなら、それ以上望むものなんてないはずだ)
アカシックレコードに刻まれた一つの可能性、今という並行世界の一つ、浩二は二人の会話が耳に届かないほど、朝から考え事をしてしまった。
「やっぱりおねえちゃんの目玉焼きが一番だね」
真奈が嬉しそうに右手に掴んだフォークで突き刺した目玉焼きを頬張りながら言った。目玉焼きの乗った大きめの丸皿には栄養バランスにも配慮してハムと新鮮なレタスも一緒に添えられている。
「そんなに慌てて食うなよ……、ケチャップが口に付いてんぞ」
「ほんとだ~、おねえちゃん取って~」
「仕方ないわねぇ、真奈ちゃんは」
せっかくの制服が汚れないかと浩二は見つつ、元気いっぱいなのは喜ばしいことだが少し心配になる。真奈は小学校でやっていけるのだろうか。人一倍甘やかして育てていけばその分学校での時間はストレスになるかもしれない。
楽しいことばかりではない、これまで過ごしてきた幼稚園とは違うのだ。
しかし、こんな心配をいちいちしてしまう事自体が過保護なのかもしれないと思い至り、これ以上は考えないようにしておこうと親代わりの浩二は憂鬱な思考を止めた。
唯花が顔を近づけ、ハンカチで真奈の口元に付いたケチャップを取ってあげる。
二人の両親が亡くなってから、唯花はずっと愚痴を言うことなく真奈の面倒を見続けてきた。
そうするのが当たり前であるかのように、本当の家族のように、唯花は真奈に親しく付き添っている。
「今日は待ちに待った入学式でしょう? せっかくの制服が汚れちゃったら大変だから、慌てちゃダメよ真奈ちゃん」
「うん、おねえちゃん」
元気に返事をする真奈、今日から着る小学校の制服に身を包み真奈は少し大人に近づいたような印象がある。今や小学校で制服のある学校も少ない都合上、真奈の今日から通う小学校は珍しいとも言えるのかもしれなかった。
*
「おとーさん、おかーさん、行ってきます」
真奈はリビングの隣にある和室に入り、仏花の飾られた両親の仏壇の前で正座し手を合わせる。普段から手入れが施された仏壇には懐かしい家族四人が揃った集合写真が飾られている。まだ真奈が赤ちゃんだった頃に撮影された、数少ない四人で映っている写真である。
その写真だけは静止した時の中で永遠の絆を証明し続ける。
戻ることのできない日々、両親の記憶のない真奈が成長した姿で背筋を伸ばして手を合わせる。
物心つく前に両親を亡くしたため、真奈は両親の姿を記憶しているわけではない、でも自分を産んでくれたことには変わりなく、その感謝を真奈はずっと忘れないように努めているようだった。
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