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彼女は、俺と彼の関係にまだ気付かないらしい。(1)
ようやっとこの時間軸まで追いついた。じんじん痛む頬と唇にあらかじめ用意しておいた氷をあて、ため息をつく。
「ほほほ、見事なまでにくらいおってからに」
「そりゃどうも」
昔の自分から受けた渾身の一撃は、わかっていなければ相当な痛手になっただろう。日頃から鍛えた上で、バレない程度に受け流していてもまだ痛むのだから。
「偽物じゃないんだがなあ」
「変に色気を見せるからじゃ」
「わざとじゃないですよ」
「それでも、あの女子にとっては信じられない態度だったのであろうよ」
目の前でころころと笑う相手に、俺は肩をすくめた。神さまは、今日も中西の親友の姿を借りているので、見ているだけでなんとも言えない気持ちになる。
「その姿を見せられるのは落ち着かないな」
「この娘は、妾たちとの相性がよい。器をなぞりやすいのじゃ。だが、この貌が嫌だと言うのであれば仕方がない。もともとそなたに見えていた世界に合わせて、出てきてやるとするかの」
「すみません。その姿のままでいてください」
「うむ、素直なことはよいことじゃな」
慌てて俺は、頭を下げた。
俺があの日見たもの。それは高校、大学を卒業し、社会人になった今になっても度々俺を苦しめる。正直、もう二度と見たくはない。
心のあり方の違いなのか。
はたまた心に秘めていた願いの違いなのか。
彼女がお参りしたときに引き込まれた世界は、端的に言って地獄だった。
内臓をぶちまけたような空間と、そこら中に立ち込めるすえた臭い。明らかに入ってはいけない場所に入り込んだのがわかった。逃げ出したくとも出口はなく、俺を監視するかのように巨大な目玉がぎょろぎょろと動き回っていた。彼女にしてみれば、ただの寂れた神社に閉じ込められただけでしかなかったようだが。
俺が見た異形――ヘドロのようにベタついた、黒色の姿形を絶え間なく変化させる液体物――も、彼女が「小狐」と言えば、俺の前でもその形に姿を変化させていた。彼女が「口裂け女」とという単語を出さなかったならば、代わりに何が登場したのかなんて俺は考えたくもない。
卵が先か鶏が先か。時間の流れは、いくら考えても俺にはわからない。
ただ、彼女が今の俺を愛してくれたからこそ、おまけである過去の俺もまた救われることになった。何かひとつでも違っていたなら、息絶えたあげく、なんらかの贄にされたり、異形としてあの地獄を永遠にさまようことになっていたかもしれない。
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