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台風の夜
夕暮れ時、いよいよ台風がやって来た。
「よし、避難するぞ!」
俺は元気よく言って、ウキウキと遠足の準備でもするかのようにレインウェアを広げる。
ローテーブルで俺が作った素麺をすすっていた幼なじみの櫂が、呆れた顔で俺を一瞥した。
「悠斗も、素麺食べれば?」
「何言ってんだよ、食ってないで避難しようぜ!」
俺は力強く訴えたが、櫂は「まだ警報も出てない。焦るな」と言って素麺を食べ続ける。
こいつは昔から呑気、というか冷静で慎重なんだよなぁ。
小学校から高校までずっと一緒だった櫂は、眼鏡のインテリ系で目が細めのイケメンだ。趣味は映画鑑賞。ぶっきらぼうな口調のせいで冷たい印象を持たれがちだが、中身は悪いやつじゃない。
俺はと言えば、思い立ったらすぐ行動する直情型。子どもの頃から野球に打ち込んできたスポーツマンである。櫂より背は低いけれど、俺のほうが愛嬌のある顔立ちだし、目も大きくて目力があるぞと、内心で勝手に張り合っていた。
「悠斗が食べないなら俺が全部食べるぞ?」
俺は焦れながらも「食う!」と叫んでドカッと座った。避難する前に腹ごしらえをするのは有りだ。
俺は小さなアパートで一人暮らし、櫂は大学の寮で暮らしている。ほぼ毎週末、櫂は俺のアパートに飯を食べに来る。
寮では好きなものを食べられないから俺の飯を食べに来るのかと聞いたら、そんなわけあるかと返された。
一人暮らしは寂しいだろうから会いに来てやってるんだと言われ、寂しくなんかねえよと強がったけれど、実はちょっと寂しかったのでありがたい。飯を食べて一泊するのが櫂の日常。
「なあ、俺一人で避難するぞ。置いてくぞ」
「まあ待て。そんなに焦るなと言ってるだろ。そもそも避難する必要はないわけだし」
ここはアパートの二階。台風が直撃しても倒壊するほどボロくはない。わざわざ避難するよりアパートでじっと台風が去るのを待つほうが得策。
それはわかっているのだが、それでも俺には避難したい理由があった。
「俺の気持ち、知ってるくせに!」
櫂は面倒くさそうに整った顔をしかめ、のそりと立ち上がる。
やっと避難する気になったらしい。
「よーし、行くぞ! 応援してくれよ?」
「応援はしない。でも大雨の中を一人で出歩かせるのは危ないから、ついていってやる」
「ちぇー、感じわりぃ」
ちょっと釈然としないけれど、一人で避難するよりは心強いから、まあいっか。
この一年、俺は大雨が降るたびに「もっと降れ」と空に願ってきた。
豪雨で川が氾濫すると町中が水浸しになる。だからこんなことを願うのは不謹慎だとわかっているけれど、願わずにはいられなかった。
雨が降って町の住人が小学校の体育館に避難すれば、またあの人に会える。
豪雨で避難したときに出会った年上の男性に、俺はどうしてもまた会いたいのだ──。
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