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現代の天国
メタバースエンジニア
それは、メタバースという現代の冥土の使者だ。それが天使か悪魔かの区別は今となっては神も閻魔も決めることはなくなるだろう。
「だって、もうすぐ壁は僕が壊すもの。」
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私の仕事は多岐におよぶ。
まずは、メタバースへのログイン。
そして、同時に直接世界仮想現実機構の日本支部へ赴く。毎日のように行くわけではなく、週に一度、サーバーのエンジニアリングとして、それぞれ専門のメタバースエンジニアが担当している。今回は些細なエラー処理を依頼されている。外に出るのは嫌いだ。別に長距離歩くわけではないが、治安は悪いし、とにかく空気が汚れている、スモッグで太陽も見えない。この濃霧のせいで交通事故も絶えない。まったく、過去という毒親の負の遺産を相続するのはまっぴらだ。Divine Is通称DI機器の導き出した安全なルート歩く。雑踏を極む大通りを抜け、路地に進む。各路地には固有の地域ネットワークを有するゲットーが点在する。このゲットーでは社会性ポイントの総計が180以下またはマイナスの連中がいる。マイナス付近に至っては豚箱の野郎よりポイントが低い。つまり、人権がない。マイナスになると法律が適応されない。つまり法の加護も罰も受けない。ただ表に出れば虫のように容赦なく叩き潰され殺される。路地にはそこらじゅうに死体紛いが転がっている。本物かどうかの見分け方は裸かどうかだ。今も他の死体紛いが、数日は経つ死体を漁っている。とりあえず服は売れる。そして物品があれば、闇市でまた売れる。礼節を売り、衣食住を買っている彼らにとってはそれが日常だった。路地の換気扇は夏の蒸し暑さをより強めている。激臭がすごい。腐った死体と化学物質の入り交じった臭い。摘まんでいないと鼻の嗅覚神経が麻痺して使えなくなるぐらい。段々朦朧とする空気に僕は飲み込まれていく。「ッ!痛ッ!」
突然、鈍器で殴られたような頭痛が僕を襲う。ぼやける視界。
あぁ、まただ。またこの夢を見ている。
僕の幸せな悪夢。時計の針が早く進んでいる。夢の中の部屋は、地球のどこかになったり、はたまたどこかの銀河に飛んだり。時間がいったり着たり、遅くなったり早くなったりしながら、視界が揺らいでいる。
気づいたら衛星軌道上で僕が誰かと喋っている。というより一方的に話を聞かされている。誰が話しているのかわからない。まるでブラックホールの周りみたいに周りの空間が歪んで見れない。そこの空間だけ抜け落ちてるような感じだ。何を話しているかは不思議とはっきり聞こえる。
「この世界は人間に罹っている。では、治療を施さなければならない。世界にはがんを患っても老衰死可能な事例はある。主にがんを宣告された患者が、生きようと心身ともに努力した結果がほとんどだ。がんも寄生虫のようなもので、宿主を食い潰してしまえば自分が死ぬことが自明であることが本能的にわかっていたような事例と言えよう。天文学的時間におよぶ進化以外、生きるには自分に与えられた能力で生きる。それが自然の摂理であり、神が許す限りであった。がんも例外ではない。だが、この地球に住み着くがんは宿主がせめて共存の道を提示するかのように懸命にがんの侵食に耐えたにもかかわらず共存を拒む、愚かな寄生虫であった。たかが虫ごときが神の作りしこのガイアを古巣扱いするなど、知恵の実を食べられた神にとってはもう許されぬものとなっていた。人間はいつしか自分等で作った神様を殺していた。イエスの処刑には二つある。ニーチェが目にした死と。科学による忘却の死である。火を克服した猿はその力をまるで自分のもののように扱っていたが、広まってしまった山火事を誰が止められたことがあっただろうか。人の奢りとは自分が制御不能な力を自分の生活にし、武器にした。それにより、たくさんの生命が潰えた。人の命?そんなものではない。救われない戦争が、有害な化学の散布が、宿主を首の皮一枚させた。もうフェーズ4のがんなんだ、転移先は火星らしいな?また星が食い潰されるだろう。今は均衡を保っているが、崩れたらドミノ倒しに連鎖し、人類がこの地球もろとも生物を道連れに終わりを歓迎するだろう」
子供のころにみた、分厚い絵本の物語を読んだあとみたいだった。話しは長いのに、短く感じる、楽しく、幸せなあの雰囲気。
僕は黙ったままだった。数秒の沈黙のあと、その歪んだ宇宙がこちらを向いているような気がした。そして、こう言った。「君は、我々のメシアになってくれ」顔はないはずなのに、なぜかその顔にはニッコリとした笑みが浮かんでいるのがわかった。
「ドンッ!」
また後ろから鈍器で殴られたような、鈍い痛みが頭のなかに響いた。
「おい、こいつのPP情報を調べろ」「はい!」
声が聞こえてくる。あぁ、と悟った。
こういう状況に慣れているのか、咄嗟に体の反射的な動きの一切を止めた。糞が、何が安全なルートだふざけんなと、頭のなかで叫んだ。内心ではこう思っても、冷静に対応するべきだ。頭は上げない。狸寝入りでことを進めるとしよう。今僕はコンクリートの壁に体育座りの状態。視界の端にいくつかの足と、そのそばに銃口が見えた。手は...両手とも手錠のような金具で固定され、開けない。だが握るような動作はできる...定期的に力を入れよう。手のマイクロチップを使い、モールスでのDI機器へのログインを試みたが...繋がらない...?妨害電波が出ているのか?なおさら、まだ頭はあげないほうが良さそうだな、奴らの情報を集め、時間稼ぎをしつつ、チップでSOS信号を送り、公安を待つのが経験上一番得策だ。
「わかりました!」
まさか、無いな。
「こいつ、管理階級ルシファーのエンジニアです!」
「ほう。」
え?当たっている...!?
ヤバい。こんな事態は初めてだ。DI機器の不法ログイン自体、ゲットー連中じゃ無理なはずだ、ネットワークからではまず不可能。物理的にウイルスを入れてOSを壊すしか方法はない、しかも内部情報を保存したまま。特殊な機器がなければ無理だ、そんなものエンジニアぐらいしか存在を知らないし、持ってないし、作れも使えもしないはずだ。もしそれが可能だとして、だいたいPP情報は厳重なセキュリティーで守られている、これだけは別OSで管理されているからだ。本OSが攻撃されている間に、完全に情報が消されるはずだ。一体どうなってる。
「これは使えそうだな」
「おい、いつまで寝ている?」
ダメだ、落ち着け、頭をあげちゃダメだ。まだ、この狸ごっこが通じると思ったのも束の間、「グバッ!」脇腹を蹴られた。ものすごく痛い。激痛で呼吸が荒くなる。「通じると思ったか?」
こいつ、慣れてやがる。
「まぁいい、こっちこいや。」
「.....」
「また、ボールみたいに蹴ってやろうか?」
「わかった」
その先は、地獄だと思っていた現実が天国かと思えるような、現実よりリアルな地獄があった。言うなれば、現代の天国に対する現代の地獄だった。
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