岬にて

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 彼は通りがかりに、隣の祖母の部屋をのぞいて見た。襖は開いていて、中に祖母の姿はない。座布団や茶器といった来客を示すものも特に見当たらなかった。  祖母は居間で兄と一緒に座ってテレビを見ていた。普段は祖母に対して話しかけづらいと感じていたが、さっき聞いた楽しそうなしゃべり声を思い出して、思い切って聞いてみることにした。 「おばあちゃん、友達来てたの?」  尋ねると、祖母は顔を上げて上目遣いに彼を見た。首を傾げているようだった。伝わっていないと思って言葉を探していると、兄も彼を見やって「何言ってんの」と言ってくる。  祖母のしゃべる声を聞いたのだと訳を話したが、兄は来客などなかったと言う。祖母も黙ってそれに頷くばかりだった。  今覚えば、ただの夢で済ませられただろうと彼は言った。しかし当時は、絶対に聞いたのに祖母はなぜとぼけるのだろうと、不審な思いがぬぐえなかったそうだ。とはいえそれ以上追及することもなく、翌日になればもうそんな出来事などすっかり忘れていたという。  後日、彼はまた押入におもちゃを持ち込んで一人遊びをしていた。そこに再び、以前耳にしたのと同じ祖母の笑い声が聞こえてきたのだそうだ。今度は昼寝していたわけではない。夢ではない。彼は興奮して、押入の奥の壁に耳を押し付けて聞き耳を立てたという。  ――いやだ、そんなの無理よ、とてもじゃないけど……ええ、でもね、私だって……そうお? ……そうかしら、そう言ってるの? そうなの……。あはは、そうなの、ほんとに? あら、あはは……。  この前と同じく、祖母の声ばかりが聞こえてきて相手の声はしない。でも祖母は相変わらず楽しそうな調子で話している。  ふと彼は、なるほどと思いついた。祖母はきっと独り言を言っているのだ。誰かとしゃべってる振りをして遊んでいるに違いない。だから来客がなかったというのは本当のことで、祖母が訳を話してくれなかったのは恥ずかしかったからなのだ。  一人納得していると、彼の胸中にいたずら心が沸いてきた。今、急に部屋に入って行ってやったら、祖母はきっと跳び上がって驚くだろう。いつも穏やかな祖母のびっくりした顔なんて、そうそう見られるものじゃない。  彼は音を立てないように気を付けて中から押入を開け、抜き足差し足で廊下に出た。祖母の部屋の襖は閉まっているが、話し声はなおも聞こえてくる。気づかれてはいないようだ。  そのまま襖の片側に手を描けると、スパンと勢いよく開け放った。  おどけて部屋の中に飛び込んだ彼は、「おばあちゃん!」と呼びかけようとして――口を開けたままピタリと止まった。
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