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畳の上で、祖母は横になっていた。折りたたんだ座布団を枕に、こちらを向いて横向きに寝そべり目を閉じている。薄い肩が静かに上下していて、どうやら眠っているらしい。
訳が分からなくて、彼は硬直してしまった。だって襖を開ける直前まで、祖母の楽し気な笑い声が聞こえていたのだ。たとえ横になって独り言を言っていたのだとしても、不意に襖を開けられた瞬間に口を止められるものだろうか。
彼はそのまましばらく、祖母の寝顔を見つめていた。かすかな寝息の他に祖母の声が発せられることはなかったという。
今思えば――と彼は言った。祖母の声は、押入の壁に耳を当てていたときも、押入の外に出て廊下に移動したときも、座敷の前に立った時も、ずっと同じように聞こえていた。同じ音量で、同じ調子でだ。押入の薄い壁越しに声が聞こえていたとしたら、移動にともなって聞こえ方が変わったはず。だからあれはきっと、現実の声ではなかったのだ。
子供の頃の彼はそうと思い至らなかったらしい。ただ混乱して、なんだか怖くなって、祖母本人はもちろん親や兄にもこの話をしなかったという。
その後、彼はまたしても祖母の話し声を聞いてしまった。今度は押入の中でではなかった。
ある日の明け方、四時ころのことだったという。彼はトイレに行きたくなって目を覚ました。起き出して用を足し、兄と一緒に寝ている寝室に戻ろうとしたときのことだ。トイレから出て廊下を曲がった彼は、思わず立ち止まった。
――ええ、ええ、うん、分かった。やってみるけどね、でも……あはは、そうよねえ、分かった、分かった……。
祖母の声が聞こえるのだ。押入で聞いたのと同じ、笑いながら楽しそうに話す声。
彼は廊下の先、祖母が眠っているであろう襖を見やった。廊下には足元用の電灯が点いていて、ぼんやりとオレンジ色の光が漂っている。薄明かりに満ちた静かな夜の廊下に、祖母の聞き慣れない笑い声だけが響いている状況は、たとえようもなく不気味だったという。
――これでいいの? こう? よし、じゃあ……そうね、大丈夫。一瞬なんでしょ。お産よりずっと楽よね。……あはは、本当にねえ。それじゃあ……ええ、ありがとうね。もういいよ。……うん、うん……。
そこで、祖母の声が途絶えたように感じられた。今だと思った。彼は廊下を走り抜けて寝室に飛び込もうと、足の裏に力を込めた。しかし床を踏み抜こうとした瞬間――
「ああ!!」
絶叫が聞こえた。壁や床をびりびりと鳴らすような大声だった。彼は動けなくなった。
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