岬にて

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「いやだ、どうして、どうして、こんなの違う、やめて、苦しい、苦しい、苦しい、いや、いや、もういや、お願い、助けて、お願い、苦しい、痛い、痛い、助けて――」  祖母の声だった――はず、と彼は言った。いつもの穏やかな声とも、押入で聞いた楽しそうな笑い声とも違っていた。ざらざらで、濁って、ひどく荒れた痛々しい声だった。聞いていると耳の中をおろし金で削り取られるように感じたという。それでも子供の彼は、祖母の声だと確信していた。  祖母の苦痛を訴える絶叫はいつまでも続いた。数十分にも感じられたそうだが、実際にどれほどの時間が経過したかは分からない。  呆然と立ち尽くしていた彼が我に帰ると、声は止んでいた。ぼんやりと明るい廊下には静寂が戻っていた。それと同時に、彼の全身はガタガタと震え出した。怖くて怖くて、たまらなかったという。  彼はそのまま二階の両親の寝室に駆け込んだ。母親にしがみつき、泣きながら事情を訴えた。自分が何をどう説明したのかは覚えていないそうだが、とにかくおばあちゃんがおかしいということを言ったらしい。  母が彼をなだめる一方、父が念のために祖母の様子を確かめに行ったという。  座敷をのぞいた父は、祖母の死体を発見したそうだ。  祖母は首を吊っていた。    彼が祖母の声を聞くことは二度となかった。
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