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薄ら笑いを浮かべながら幼少期の思い出を語った男は、話をこう締めくくった。
「私の実家は自殺の名所とは言えません。だって祖母は苦しんで死にましたから。同じように苦しんで死にたい人なんているわけないですよね」
男はまだ笑っていた。笑いながら、身内の自殺について語った。私はその笑みにぞっとするものを感じつつ、表情には出すまいと努めた。
「声は、つまり……本物だったんですか?」
「さあねぇ、分かりません。私以外誰も聞いてなかったらしいですが、寝てたから気づかなかったのかも。ただ、祖母が死亡したのは夜の零時だったらしいです。私は四時ころ起きてトイレに行ったときに声を聞いたって言ったんですけど、大人たちに勘違いじゃないのかって何度も確かめられました。嘘じゃないって言い張ったら怒られたくらいです。結局私の証言は子供が寝ぼけてたからって無視されたみたいですよ」
風が止んでいることに気がついた。まただ。ぬるい空気が静止して、私と男がその中に浸されている。男の声に靄がかかる。熱のせいで音が発散している。
「祖母は誰と話してたんだろうって、ずっと考えてたんです。祖母の空想だったにせよ、その相手は誰だったんだろうって。少なくともそいつはたぶん、祖母に首を吊らせたんです。楽しいよって言って誘ったんでしょうね。実際はあんなに苦しいなんて、祖母は想像もしてなかった。きっとそいつは祖母にとって信頼のおける人だったんですよね」
男が海に向き直って、ため息をついた。くたびれた顔つきに似合う、くたびれたため息だった。吐息はぬるい熱気のゼリーをゆっくり透過して、そのままなじんで消えて行った。
突然、私は恐怖を感じた。風が吹かない。空気が止まっている。海も止まっている。私もまた、止まっている。すべてを包むどろりとした熱の塊の中で、男だけは動いている。
その男が、ゆっくり、ゆっくり、顔を傾けて、私を見た。口元は薄ら笑いを浮かべている。上目遣いの目は笑っていない。暗い瞳がただ私を見ている。
「見たいと思います?」
男が尋ねた。
その瞬間、風が吹き荒れた。髪や服の裾がはためくのを感じ、私はとっさにきつく目をつむった。
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