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第4話 疑わしき大掃除
そこまで聞いて、みずるが質問した。
「美容院のオーナーの自宅がゴミ屋敷ってのはどうだったのかな」
店の経営に目立った影響はなかった、というのが宇藤木の返事だった。
河原崎の美容院『モナミ』は、自宅から離れた国道沿いにあって、客筋もご近所とは違いがあった。また店そのものの評価は高く、とりわけ駅前ビルにあった支店は若い女性に人気があり、長い待ち時間でも知られていた。
それに、店での彼は身ぎれいにしていた。口の悪かった小出のおじさんとは異なり、世間にはごく腰の低い人物と見られていたため、隣人のせいでおかしくなったと同情する声も多く、店にクレームを寄せられることもなかったようだ、と宇藤木は言った。
「河原崎さんのご家族は?」
「おぐざん」
河原崎には妻がいた。
淳子というその女性は、やさ男の夫とは対照的だった。大柄な体格に華やかな顔立ち。年齢は5、6歳下のはずだが、貫禄があって人あしらいも巧みだった。
なお、河原崎は再婚だった。二十歳そこそこで結婚した前妻とは離婚の際、かなりもめたとされる。そのせいもあって淳子とは内縁だったとの説もあったが、そこまで確かめてはいない。
「奥さんの出身は?」いまや熱心なリスナーとなった難波が聞いた。鼻をかむと宇藤木は言った。「九州の、だじが熊本。ぞれも相当な田舎だっだはず」
なぜ知っているかといえば、河原崎の母親の故郷がそうだったからだ。腰の据わらない息子を案じ、身寄りのない遠縁を母親が呼び寄せたと聞いた記憶があるが、こちらも詳細はわからない。
ただ、淳子は働き者だった。毎日忙しそうに2店を行き来し、若いスタッフたちを上手に束ねていた。夫たる河原崎は、カットの腕はたしかでも酒好き享楽好きの面があり、『髪結の亭主』を地で行くところがあった。
「よくいう『女房のおかげで保っている店』だったのね」
だが、見かけたことはあっても、淳子と直接に会話した記憶はないと宇藤木は言った。
すなわち、家がゴミ屋敷化した時期から、その姿はぱったりと失せた。
彼女は、ある時期から支店近くにマンションを借り、あまり自宅には戻らなかったとも言われるが、とにかく、その明るい笑い声は、いつしか店からも消えた。
愛想尽かしされて逃げられたというのが、ご近所のもっぱらの噂だった。
以来、河原崎は人変わりした。
次第にアルコールか何かの中毒を連想させる、孤独で放埒な雰囲気をただよわせるようになった。
店では依然、大人しかったそうだが、自宅付近では不機嫌な顔を隠さなかった。
その後、祖父母の家に泊りがけでやってくることの増えた宇藤木少年が、顔馴染みとなった地元の子供らからまず教わったのは、
「ゴミ屋敷には近づくな」だった。特に要注意は球技だと聞かされた。並んだ二軒は恐怖のゴールポストであり、右左どちらであろうとボールが飛び込めば決して見つからない。うっかり探しに入って気づかれようものなら、そろってイカれた家主どもによって、怪我をする寸前までひどい目に遭わされるというのだ。
静かな口調で語る宇藤木は、ゆったり座って軽く目を閉じていた。いつもの推理の姿勢だった。
その姿になったのを見て、みずるはなんとなく安心した。
名残惜しそうにカップに残った氷をすすっていた難波が、その場で背伸びして道路の先を見てから、聞いた。渋滞は少しだけましになっていた。
「結局、ゴミ屋敷はどうなりましたあ?二軒そろって強制執行くらったとかだと痛快なのに…ちがいますよね」
どうやら、怪談の苦手な彼は、近づきつつある不穏な気配に耐えられなくなってきたようだった。
最終的にゴミ屋敷ではなくなった。つまりきれいになった、と宇藤木は掠れ声で返した。
「両方が死んじゃった?」
「ぞう」
ただし、結果においては同じでも、そこに多少の差異があると付け加えた。小出家は当主が死んでからきれいになったが、河原崎は死の前にきれいになっていた。
「どういうこと?少なくとも河原崎さんは自分で家を掃除したって意味かな」みずるが聞くと、宇藤木はうなずいた。
「それ、詳しく教えてほしい。治療の難しい病気から自力で立ち直った経過が知りたい。幼くて十分理解できなかったかもしれないけど……だって少年・宇藤木でしょう。普通の子のわけない」
急に宇藤木は、ポケットからペンと黒い手帳らしきものを取り出し、文字を記してみずるに渡した。手帳には金文字で警察徽章らしき紋章が印字されてある。
「あれ。警察バッジなんて持ってた?」
みずるが受け取ってたしかめると、「DETECTIVE CONAN」とあった。
「相変わらず、幼稚な文房具が好きねえ」
メモには、「ゴミ屋敷が消えた経緯を詳しく書きます」とあった。
「そうね。筆談の方がはやいかな」
「えっ、僕が聞こえない」すかさず難波が言った。
「逐次説明したげるから、運転に集中なさい」
百年先まで公園前に妖気を振り撒いていそうだった二軒の家にも、ついに変化が訪れた。
「先に小出翁が搬送先の病院で亡くなった」と宇藤木は書いてよこした。外出先で胸が苦しいと倒れ、半月ばかり入院したが意識は戻らずじまいだった。
「持病があったの?」との問いには、
「医者嫌いで既往症は不明」とメモが返ってきた。ただ、ビールにうなぎ、焼肉など脂っこいものが好きだったし、全体に水膨れしたみたいな体型だったという。
「あー、大動脈解離か動脈瘤かなあ」いちおうは医者の息子である難波が、知ったかぶりをしてみせた。
小出の亡くなったあとも、家はしばらくそのままだった。しかしある日、町内で電気店を営む人物が公園のそばを通ると、小出家の前に数台のトラックが停まっていた。次に家の前を通った時は、お化け屋敷が普通の家になっていた。
眠ったような町だったのに、あっという間に情報は知れ渡った。
疎遠だったという小出の息子が清掃業者に依頼したのか、玄関部に充満していたガラクタがきれいになくなり、生え放題の樹木も整理された。河原崎家はそのままだったから、当初は半分だけ呪いが解けた感じだったという。
そして大人たちは、その後の両家について適当な憶測を語り合って楽しんだ。
ところが大方の予想を裏切って、ある日突然、隣家でも片付け作業がはじまった。
ちょうど、夏休みになった宇藤木が、祖父母の家に到着した週の話だからよく覚えているのだと、彼はメモをとめ、ひどい鼻声でまた語りはじめた。
掃除は、河原崎当人がまず作業にあたり、ついで彼の連れてきた数名が手伝いに入り、彼らがまとめたゴミの搬出だけを自治体に依頼する形だった。
これらは自発的に行われ、ほかに手助けした人や団体はなかったようだ。小出の息子が説得したとの話もなかった。作業は人々の予測よりすらすらと進み、3、4日のうちにほぼカタがついていた。
その後に追って伝わった話では、小出が倒れ入院すると、河原崎家の庭先には一段と大きな音楽が流れ、ラジオの音が響いた。うるさい隣人がいなくなったためだろうが、そうまでして人の不幸を喜ぶとは、と眉を顰める向きは少なくなかった。
ところが、いざ小出の家がきれいになると、河原崎は手のひらを返したように自分からゴミ回収の依頼の仕方を聞いてきた。これまで、支援センターのスタッフが声を掛けてもけんもほろろだったのに、その時は態度も低姿勢で、表情も憑き物が落ちたように険がとれていた。
快哉を叫ぶだけ叫んだら我にかえったのだ、などとしたり顔で言うご近所もいた。
それを聞くと、みずるは眼鏡の奥のまぶたをぱちぱちさせた。宇藤木も深くうなずいた。「ぞう。あやじい」
また、突然の大掃除に対しても、まわりの高齢者たちからは、仇敵が死んではたと目が覚めたのだと納得し評価する声が多かった。まだ若いのだから、これからまたやりなおせばいい。そんな鷹揚な意見まであった。
が、黙って聞いていた宇藤木少年には、そこに飛躍があると思えてならなかった。
主流派の見立てに従うなら、河原崎は、ただ隣家に惑わされ、それに対抗せんとゴミを積み上げた。そして敵の自滅によって恨みと妄執が消え去ると、無事平安を取り戻した、ということになる。
しかし、ゴミを溜め込むという行為はそんな単純な反射作用なのだろうか。起因はむしろ、当人の内面にこそあったのではないのだろうか。
そしてもし、河原崎はそれが治ったのだとしても、人はそれほど自在に「深淵」に出かけて戻ってこれるものなのだろうか。
疑いを抱いた少年は、ゴミ掃除の現場を見物に行ったりしたが、それで小学生に解るというものではない。結局、疑問はそのままになった。
次の展開まで、1週間以上の間が開いたと宇藤木は言った。
「少年・宇藤木の疑問は、病気よりもむしろ簡単に治った点にあったんだ。三つ子の魂ってやつね」
みずるがそう言うと、筋道だった疑問が当初からあったわけでないし、誰かから精神医学の知見を得たのでもない。とにかく「どこかおかしい」というフィーリングが先行したと彼は応じた。しかし、強い違和感は前々からあった。
それは、はじめて河原崎のゴミ屋敷を遠望した際の印象のせいでもあった。
河原崎家のゴミ屋敷っぷりは、洋風住宅のせいもあってか隣家とは感じが違って見えた。さらにいえば、無秩序を装っているように思えてならなかった。
「わざとらしかった?」
「パッと見て『お化け屋敷』どか『恐怖の館』に思えだ」
むしろ、それが河原崎に関心を持つきっかけだった。
「掃除なんですけど」と難波が言った。「見える場所のみ掃除して、残りはどこかに押し込んだとか。片付けを命じられた甥っ子がよくやるんです。家族には見抜かれてるのに」
宇藤木は微笑したが、また首を横に振った。河原崎の家は、とりわけ庭の状態がひどく足の踏み場もないとされていたのに、掃除のあとは奥の奥まできれいさっぱりになって、地面も見える状態に戻っていた。
なぜそんなに詳しいかというと、
「掃除直後の庭に入った」と宇藤木は言った。
「ごごがらが本題でず」
宇藤木少年が元・ゴミ屋敷を直接に確かめた日は、よく晴れていた。
陽は長く、時刻は夕方なのに外はまだ明るかった。
帰ってこない猫のガンマーを探し、少年は公園へとやってきた。
「ガンマーと仲の良い猫が公園をナワバリにして、前にも猫の会議に参加してやがった」からだ。
しかし、それらしい集団はいなかった。
仕方なく高みに登って周囲を探すと、見覚えある色合いの猫が例の2軒へ近づき、左の塀の中へ消えるのが見えた。
ガンマーがチラリとこちらを見たのは、おそらく最年少家族である宇藤木をからかっているのだろう。
彼は、すっかり普通の家となった河原崎家を見つめた。
好奇心が後押しした。
とはいえ、その段階になっても、ほかの近所の子供たちが家に近づくことはまだなかった。
「うっかり子供が寄ると暴言を吐かれ、ついにはゴルフドライバーを振り回して追いかけられる」との噂はまだ生きていたし、先日の大掃除の様子をのぞいていたら、厳しい口調で追っ払われたとの話も聞いていた。
だが、彼が冒険に踏み切ったのには理由があった。河原崎本人から、「しばらく留守にする」と、聞いていたのだ。
少年は、ついにあの家へと足を向けた。
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