第6話  死んでいたのは、だれ?

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第6話  死んでいたのは、だれ?

 みずるは、軽い困惑とともに車窓の外に目をやった。長い夏の午後もついに終わろうとしていた。  残念だが高原の緑はもう見えない。薄灰色の防音壁があるだけだった。  車は、相変わらずゆっくりと前に進んでいた。 「あ、ぞうだ」  話を終えるまえに宇藤木は、以下をつけ足した。  その後、あの日ラジオにかかった曲を探したりもした。しかし、見つからなかった。よくあるポップスに思えたのに、それっぽい曲とすら2度と会わないままだ。  混乱状態での記憶はあてにならない。そう考えて諦めたものの、あの夏の日に聞いたかぼそい歌声だけは、いまもなんとなく思いだせる。  そして宇藤木は両手を広げて見せた。これでほんとうに終わり、という意味だった。  「オチをどうも」難波が言った。「宇藤木メイドの怪談だって姪に伝えます」  「どにかく、ごれが私の過ぎ去りし夏の思い出。いばになって、がんがえるど」と、なにかを語り出そうとしてまたくしゃみをした。 「まだ、ありますか」みずるは自分からペンとメモ用紙を渡した。 「小出老人はともかく、河原崎氏は詐病の可能性大」と、宇藤木は書き記した。 「ため込み症を演じていたと言いたいのね。動機はなに」  次のメモにはこうあった。「殺人を隠すため。直接には腐乱した死体のにおいを誤魔化すのがねらい。死体を庭に埋めてゴミ屋敷を偽装し、白骨化の時間を稼ぎ、掘り起こしてゴミと一緒に処分し、ゴミ屋敷もやめた」  みずるがメモを音読すると、難波がなげいた。 「言い足りないのはやっぱりそこ。そんな金田一少年チックな展開よりコナン君にしましょうよ。七海と遼を約束通り映画に連れて行って、アクリルスタンドも買ってやりましたよ、ボク」 「良い叔父さんじゃない」 「あ、ウルトラマンにも。最後の主題歌がぐっときた。はーるか〜」 「歌わなくていいから。それと電話がかかってる、いまキミのスマホに」   いなしてから、みずるは宇藤木に向き直った。 「ところで死体は誰?小出さんは病院で死んだはず。見当はつくけど念のため」  盛大に鼻をすすってから、「づま」とだけ宇藤木は言った。 「もちろんそれは、勘よね」  当然だと言うように探偵はうなずいた。 「そっか…」ぼんやりと窓に目をやったみずるは、さきほどまでの高原の輝きを思い出していた。  あの、すばらしい緑の下には、もしかするとあまたの死体が埋まっているのだろうか。 「証拠はあります?エビちゃんは?」と、難波がいやに弱々しく聞いた。 「だい」宇藤木はきっぱり無いと否定した。 「あぐまでラジオの絡んだ怪談、と思ってくで」 「ですよね。ぜひそうであってほしい」  奥さんが熱心なラジオリスナーだったり、元女子アナだとオチには都合いいが、そんな情報は伝わってない、と付け加えた。  難波は黙ってうなずいた。ついさっきあった短い電話以来、彼は急にハリを無くしてしまった。昼間のみずると入れ替わったみたいだ。  なにも言わないが、どうせ上司から嬉しくない指示でもあったのだろう。同じ宮仕えの身、心中察するにあまりあるものの、特に言葉はかけなかった。 「とりあえず主張をまとめます」一挙に辛気くさくなった難波に代わって、つとめて明るくみずるは言った。 「なんらかの理由、例えば夫婦喧嘩の果てに河原崎氏は妻を殺した。そして気の毒な彼女の死体を自宅の庭にこっそり埋めた。高い塀と庭木があって周辺からは目隠しされているだろうし、隣がゴミ屋敷だと人も近づかない」  宇藤木がうなずいている。 「さらに自分でも上からゴミを重ね、腐敗臭を隠した。無事に骨になったので取り出し、掃除にまぎれて始末した。そうだ、ゴミ屋敷化したから喧嘩になって殺したという考えもできる」 「出来るけど、殺しでがらが自然がな」 「何年もゴミ屋敷を続けたのは、土中で骨になるのをじっと待ってたってこと?」 「かもね」とでもいいたげに宇藤木は肩を揺すった。  ラジオはまた番組が変わったのか、若い女性の声が戦後歌謡について楽しげに語っていた。 「それより、河原崎家の庭ではよく無事だったね。相手は逆上してたわけだし」とみずるは言った。  「いくら少年・宇藤木の発育が良くても、10歳やそこらの子供が大人の男に勝てる確率は低い。と、いうことは猫のおかげ、それとも謎のリクエストのおかげ?殺された奥さんの霊が救ってくれたのか。もしかして、奥さんもそんな感じに殺されてたりして。やだな私。なに言ってるんだろ」  みずるが黙り込むと、 「おかしくないですか」と、突如難波が主張をはじめた。 「骨を掘り起こしたら、ちゃんとをかき混ぜたはず。人の形に草が生えるなんて、変」 「気にするのは、そこかよ」  難波は放置し、ふたたびみずるは考え込んだ。 「たしかに、誰もゴミ屋敷の主人に『こんにちは、ところで奥さん見ませんね?』とか話しかけはしない。もしも奥さんが噂通り天涯孤独だったら、誰も真剣に探さないままなのはありえる。だから遠慮なく殺したのかな。そうだとしたら、すごくかわいそう。花じゃなくゴミを供えられるなんて」  話を聞いただけの女性に、ひどく同情しているのに彼女は気がついた。 「宇藤木さんの推理が間違いであって欲しいって、初めて思う。夫婦の間になにがあったにせよ」   そこまで聞いて、自分の顔をバックミラーの中にたしかめた。色白のみずるだが、それを通り越して青白く思えた。  一方の宇藤木は、調子がでたのか掠れ声で次々と追加説明した。いわく、肉の落ちた骨は土から取り出して細かく砕き、何十ものゴミ袋に少しずつ分散し処理施設に運ばせた、家の掃除に踏み切ったのは、隣家の不在もあって骨の処分にメドをつけたためではないか。大音量のラジオは作業音をごまかす意味もあったかもしれない。 「何年も死体と暮らすってどんな気持ちなんだろう」みずるは言った。「アラン・ポーの『黒猫』とか、『赤ひげ診療譚』でもあったね」 「エチオピアでもぞんな話、ありまじだな。なんなら、身近な例として今朝の久保園さんに聞けばよがったかも。いかなる気分でしたかって」  みずるは宇藤木をあらためて見た。「それ、本気で言ってるの」 「もじろん、ただの思いづき。本気の妄想でず」  しかし、あまり驚いていない自分に、みずるは驚いた。  するとまたまたメモがきた。そこには、「春咲町における十八年前の集中豪雨の影響は?」とあった。春咲町というのは久保園の家のあるエリアだ。  この男の唐突にはもはや慣れっこである。みずるは手早くスマートフォンで検索すると、「今すぐに正確な規模はわからないけど」と前置きしつつ、冠水などの被害があって、当時の住民は小学校に避難したことなどを伝えた。 「そうだ。あの年の北部の復旧は、それはもう大変だったと聞いたことがある。これは砂防課にいた先輩からよ」と、みずるは言った。「たしか駐車場の手前に供養碑があったでしょう。あの時のじゃなかったかな。春咲町も相当な被害があったんだ」  良く見てました、とでも言うように宇藤木はうなずいた。「そのどさくさでしょうね」 「と、言うことは」みずるは、朝の面談のやりとりを記した自分のノートに目を落とした。 「これもウソだらけ?災害に乗じて妹を殺しちゃったって言いたいの?で、あの違和感というか嫌な気分は、私の勘がそれを察知してたって?やだな」  彼女は顔を思いっきりしかめた。当てた爽快感は、まるでない。 「宇藤木さんならともかく、私の勘なんて午後の天気すら当てられない代物よ」 「ご謙遜を」とメモがきた。その続きに、 「あくまで、可能性はゼロとはいえない、のレベル。深く考え過ぎないで。時間潰しの思考実験だから」とあった。 「でも、ねえ…」 「あれっ。てえことはあのオバハンが4っつも殺しを?やりゃあがったな」裏返った難波の声がした。なぜか岡っ引風口調だ。  宇藤木は首をかしげた。単に先行の事件を利用し、自分の犯罪を隠したと見ているようだ。しかし難波は、急に熱を込めて断じた。 「新聞社に勤務してたなら、記者でなくても脅迫状の詳細を世間より早く耳にするのは可能でしょ。それで工作したのかな。編集に口の軽い同期がいたとか。あそこの社ならあり得るぞ、世間を舐めてやがるから」  よほど嫌な記憶があるらしい。 「でも、新聞社にいたのは久保園さんではなくて、失踪した妹当人でしょう」  みずるの言葉に「そこだ」という感じで宇藤木はペンを持った手を宙に差し上げた。  声はひどかったが、話の内容は彼らしかった。  要旨は、「考えると我々の誰も、朝に会った久保園さんが正真正銘本人なのか確かめていない。自己申告のみ。近所付き合いも最小限で若いころを知られてもいない。もし姉妹入れ替わっても、ごまかせるかも」とのことだった。 「いくらなんでも、そんな」と言い返しながら、みずるは今朝見た久保園の顔を懸命に思い浮かべていた。  変装とか老けメイクではなく、嘘偽りなく実年齢より10から15は老けた感じだった。 「洪水騒ぎのどさくさに紛れて、姉と妹が入れ替わったと言いたいの?それだったら、どうしよう」げっそりして、ぼやいた。「殺人犯に同情してたの、わたし」  だが久保園、いやもしかして酒井明美の凶行への憤りが、あまり湧いてこない自分に、みずるはとまどってもいた。  現実味を感じていないのか、それとも私はまだ、彼女に同情する気持ちが残っているのだろうか –––– などと自問自答した。  姉妹というものについても考えた。みずるには姉はいない。が、いれば殺したいほど憎むことはあるだろうか。実父と確執のあった彼女には、肉親を憎んだり、一矢報いたいと願う気持ちまでは理解できた。しかし、殺人という大事業を遂行させるほど憎しみの情熱を保てるかについては、正直なところわからない。  不仲の姉妹についてはよく聞くし、同性は嫉妬や憎しみも強まるというのはわかる。しかし、  –––– なんたって、人ごろしだしなあ。 「ただの思いつき、冗談の域を出ない。入れ替わり殺人なんて想像の世界。気にしない」  彼女の様子が気になったのか、宇藤木はまたメモを見せた。不快な気持ちにさせて悪かった、難波を少しヒヤリとさせようとしただけだったんだ、とも言った。 「わかってます。けど、今日の宇藤木さんはやさしいな。それも花粉症のせい?」  そう言うと、宇藤木は珍しくそっぽを向いた。みずるはやっと小さく笑みを浮かべた。 「本当ですよー。ゾゾッとしましたあ」難波も唱和した。 「いくら仕事中毒のボクでも、もう一度あの家に行くのはご遠慮したい。再捜査に持ち込んでも、オチは証拠不十分ってところでしょうし。だいいち、ボクの担当じゃないもん」 「ぞうね」と宇藤木はうなずいたが、 「久保園家のゴミ袋を持ち上げたら、劣化じでながっだ」とも付け加えた。ゴミ屑然として置いてあるものも、その気になれば手間なく片付けられそうなものばかり、あれはもしかすると、自宅を処分して姿をくらます準備をほぼ終えているのではないか ––––。 「おえっ、脅かすのはやめて。そうなってもボクの責任にはなりませんって」 「ぞれに、あの女性は」宇藤木はさらに続けた。ようやく真面目に考えてみたが、こちらの想像より、はるかにしたたかな人物の可能性もある。むしろこっちの反応を楽しんでいたりして。 「そうなの?」とみずるが聞くと、宇藤木は嬉しそうに腕を組んで首をかしげた。「これも、もじかじたらの話」 しゃべるだけしゃべってから、彼はまたシートにもたれた。 「やっといつもの無責任トークが戻ってきたね」と、みずるが感想を述べた。「渋滞も抜けそうだし、これでようやく日常に戻るのかな」    すると、「やだな、またザラブに悩む日々がはじまるのか。ああ、お二人が羨ましい。繊細なボクは明日がつらい。明後日が怖い。こんな悩み、鉄の神経のお二人には理解できないでしょ。怪談も平気だし」と難波が八つ当たり気味に絡んできた。ちなみにザラブとは上司を指すようだ。 「ぞんなに戻りたくないんなら、志願して久保園家にじばらぐ張りついていたら」と鼻をこすりながら宇藤木が言った。「大山鳴動じてゴキ一匹の可能性は高くても、それはそれで青春だじ」 「やめて、もう聞きたくないっ」いきなり難波が両手で耳を塞いだ。 「ハンドルを離すなっ、ばかっ」同時にみずるが大声をあげた。「なに考えてんの。していい冗談と悪い冗談の違いぐらい、さっさと判れ」 「バカってなんです」なぜか潤んだ声で彼は言い返した。「嫌いなんだその呼び方。姉貴たちにさんざん…」 「なら、ドアホっ」  はじまった前席と後席の口論を、宇藤木は半ば横倒しになって見ていた。  カタっと、まるで注意を促すような音がして、ラジオから調子のいい歌が流れはじめた。  それが昭和30年代の大ヒット歌「お富さん」なのはすぐわかった。  そして、その歌詞の意味するところも。  不気味な暗合には違いなかったが、  –––– 黙っていたほうが、平和かな。  彼はそう考え、割り込んでまで説明するのはやめた。  この二人は、ろくに曲を聞いていないようだし。    そして、楽な姿勢をとると、目に見えて色の変化が速くなった空を見上げた。  どうやら星も出てきたようだ。 「逢う魔が刻だものなあ」  宇藤木の独り言も、言い争う二人には聞こえていないようだった。
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