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吉井一穂は眠りたい
大西さん…アンタはまだ解ってないだろうけど、長い目で見れば、きっと僕と同じ景色を見る事になるんだよ。
僕はよく知っている。永遠の静寂によって引き起こされた緩慢で怠惰な生命の維持と、強力に希釈された生きる意味をね。
大西が放つ斬撃は、やはり吉井の武装には通じない。彼はよく知っている。調べつくしていた。
ここ(流9洲)の人間が最も得意とする戦法、相手の肉体の一部を欠損させること。
つまり、要所を鋼鉄の装甲で固めていれば、特に、最初から殺意を持って脳天に喰らわせない「アンタ」みたいなアマイ人間には、僕は殺(と)れない…
刀は二つに折れた。だが、大西の心は挫けない。矢継ぎ早に斬撃を繰り返す。
吉井は一瞬の隙を突いて、右腕に仕込まれた折り畳みの刃で大西の胸を割く。
大西は咄嗟の判断で深く刺さらないように背後に飛ぶも、それは間に合わない。
舞う鮮血。パチパチと音を立てて畳まれる刃。大西のうめき声。
ここにはもう、これらしかない。
大西さん、そんなに何も見えていないんじゃあ、生きてても面白くないでしょう?
大西さん、アンタは何も知らなさすぎる。でも何も知らないうちに死ねるってことは、案外幸せなのかもしれないよ。
吉井は確固たる殺意を持って、大西の額を拳銃で狙う。
吉井はここまで何人も人を殺してきたが、大西に対する殺意は特別なモノだった。だからこそ、色々と思いを馳せてしまう。ここでアッサリと殺してしまって良いものか、若干の迷い。
するとそこへ、珍客が来てしまった。
おい。
櫟士は、何故だが吉井という男が非常に哀れな存在に思えた。
こいつは、俺と同じだ。厳密には、昔の俺に似ていた。
ただただ、暴れたい。この街の流儀に肖って、という建前で、暴力を金に換えて自堕落の日々を送っていたあの日の俺が、こいつなんだ。
失せろ…っ!
吉井の早撃ちは空を切った。やはり、彼に弾丸は当たらない。
櫟士の右腕が放つ驚異的な破壊力が吉井の胴を突き抜ける。
吉井、2階から1階へ。約20mの空の旅。
咲村達也は、変わり果てたかつての同僚を見下ろす。
水たまりに己の姿を映し、吉井と対面す。
咲村さん…
吉井…、疲れたろ…?
吉井は笑う。これから何が起こるのかわかってのこと。
咲村さんに殺(と)られるなら、まあ、いいかな。
でも、咲村さん、アンタは耐えられるのかなぁ?クリーンな地上育ちのアンタには、かなりの重荷だと思うけど…って、僕も、地上の出だったなぁ…
おやすみなさい、咲村さん。
吉井一穂、死亡。
オルガノの幹部構成員の暗殺、救民連合のアジト焼失、ラカンの主要ヤサの爆破、昼下がりの流9洲に訪れた3勢力の必然的衝突。
回復の見込みが無い重傷者、並びに死者を大量に出したこの惨劇の昼下がりは、地上から来たとされるたった一人の男によって引き起こされた。
この事実に紐付いた衝撃の噂は、流9洲全市民を震撼させた。
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