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後編
それから一か月くらい経ったある日。携帯にメールが届いた。レポートを提出してからは、図書館に行く回数がかなり減った。資料はもういらないし、バイトが少し忙しくなったこともある。光岡ともあまり会わなくなったんだけど、今日届いたメールは光岡からだ。授業中なのでこっそりスマホを見るとそこにはこう、表示されていた。
『新しくタトゥー入れたんだけど、見にくる?』
あまりに異様な誘いに俺は思わず口を手で塞いだ。あれ以上に、何を入れたんだ? あの人は! 俺は唾を飲み込んで、返信を打ち込む。
『今日、バイト休みなので授業終わったら行きます』
あの翼のタトゥーを、光岡の背中を見れるのだと思うと、何故か動悸が早くなっていく。あの完成されたタトゥーに何を追加したのだろうか。俺はその後授業が全く身に入らなかった。
数時間後、大学を足早に出て光岡の家に向かう。彼は今日、休みらしくて直接家においで、と言われていた。玄関のインターフォンを押すと、玄関から光岡が現れた。一か月ぶりに見る光岡は少しだけ、痩せたように見えた。
「いらっしゃい。久しぶりだね」
靴を脱ぎ、先に奥に入るとき、光岡が鍵をかける音がヤケに大きく聞こえた。
コーヒーの香りが充満する部屋でホッと一息つきながら、俺はソワソワしていた。ラフなポロシャツを着ていても光岡は長袖だ。
「休みの日も長袖って、暑くないの?」
「毎年だからもう慣れたよ。それに蝉もいなくなったから、もう少しすれば長袖目立たなくなるよ」
さて、と光岡は立ち上がりポロシャツに手をかけた。ああ、タトゥーが見れるんだ。俺はドキドキしながら背を向けた光岡を見つめる。スルッとポロシャツを脱いで、床に投げた。俺が目にしたのはあの綺麗な翼のタトゥー。そして無数の、漢字。陽一、陽一、陽一……なんだ?俺は眉を顰めた。何故翼の周りを囲むように陽一という漢字が……名前が彫られてるんだ。背中一面に、腕にも、陽一、陽一……!
「光岡さん……?」
「いいだろ、相澤くん」
こちらを振り向かず中、光岡が答えた。その背中に俺はまた問う。
「……なんで、俺の名前を、入れてんの」
陽一は俺の名前だ。無数の俺の名前を、身体中に彫ってあるのだ。目眩がしそうになりながらも、俺は光岡の背中を見つめる。
「君は腕のタトゥーを偶然見たと思ってるだろうけど、そうじゃない。僕があの時、君に見えるようにわざと腕まくりしたんだよ」
光岡は俺の問いには答えず、ゆっくりと体をこちらに向ける。そして正面を見てさらに俺は吐き気を催しそうになった。後ろだけではなかった。正面の、至る所に自分の名前。そして翼のタトゥー。
「なんで、そんなこと……」
口元を緩めてゆっくりと笑う光岡。そして俺の手を取る。
「僕は初めて君を見た時から、心臓を掴まれたんだ。一目惚れとか、そんな陳腐な言葉では言い表せない。君だってこのタトゥーに魅了されてたでしょう?きっと運命なんだよ」
光岡の顔がどんどん近づいてきても、俺は体が動かない。そのまま、唇を重ねてきても、動けなかった。得体の知れない恐怖に動悸が止まらない。
「貸し出し履歴を端末で見た時、君の名前に驚いたよ。以前からこのタトゥーに、太陽を入れて完成させるつもりだった。イカロスの翼の話が好きでね」
顔を撫でながら、そのまま饒舌に語る。
「それと、僕の名前は『翼』なんだ。僕は陽一と言う太陽に出会う運命だったんだね」
もう一度、唇を重ねてきて今度は舌を入れてくる。ヌルリとする感触に背中がゾクリとした。すると光岡の右手が服の上から体をなぞってくる。唇が離されると今度は耳たぶや首を舐めてきてまるでナメクジが這っているみたいに。ただそのナメクジを俺は撥ね付けることができず、ぼんやりと腕のタトゥーを見ていた。
全てはこのタトゥーがきっかけなんだ。しかも見えるように仕向けてたなんて……俺に惚れただなんて、そんなそぶりを全く見せなかったじゃないか。
「ツッ……!」
ソファーに座ったままの俺の股間に、光岡は膝をぐりぐりと押し当ててくる。
「なんで、俺……なんだよ」
「理由なんてないよ。その声も顔も、僕のタトゥーに見惚れる君も大好き。それに、君だって逃げないし、反応してる」
これは何かの間違いだ、と思いながらも体は確かに反応していた。どうしてなんだろう。こんなことされて、気持ち悪いはずなのに。体を這う舌、まくし上げられた服。
「う……」
服を脱がされて、俺は上半身裸になる。暖房が入っているとはいえ、寒くて震えてしまう。すると光岡さんの舌が突然、俺の乳首をツン、と突く。
「ああ、可哀想に。寒くてココも勃っちゃったね。それともさっきからもう勃ってたかな」
「そんなわけないだろ! 離せってば」
光岡の肩を強く押すと、俺の腕を掴んだ。思った以上の力だったので、思わず顔を顰めてしまう。
「仕方ないなあ、これはしたくなかったけど」
そう言って光岡はポケットから何かを取り出した。それは荷物を束ねるための、結束バンド。ちょっと、待て。何に使うつもりだ。
「大人しくしないと、食い込んじゃうからね」
「う……ああッ、やめろッ」
両手首を結束バンドで縛られて、そのままベッドまで抱きかかえられてうつ伏せにされた。あっという間にGパンは剥ぎ取られてしまい、背中に舌を這わせながら、下着の中に手を入れて俺のモノを扱く。力が入らなくて、抵抗できるのは口先だけ。
「陽一の背中は綺麗だね。このままでもいいかなと思ってたけど……きっとタトゥーが映えるよ」
親指で先端をグリグリと押されて俺は体を捩らせる。身体はもっと触って欲しいと求めているのがわかる。だめだ、これ以上、求めるな!
足をジタバタさせると、背中から舌を離し、一瞬だけ舌打ちの音が聞こえた。そして次の瞬間、思い切り、尻を手で叩かれた。
「まだ状況がわからないの? 陽一はもう僕を受け入れるしかないんだよ」
ぐ、っと下着に手をかけて一気に脱がされる。外気に触れた俺のモノは完全に勃ってしまい、もう先走りでシーツを汚している。
「ああ、勿体無い」
そう言うと俺の体を仰向けにくるんと回して、口でそれを咥えた。咥えられた瞬間に、生暖かい感触でもう正直、それだけでイキそうになってしまう。
「んあッツ、なに、やって…あああッ」
俺は頭を振りながら抗おうとするが、深く強く口で愛撫されて正直もう、イキたくてたまらない。舌が絡みつきながら、先端と付け根を行き来する。
「ふ…ッツ、も、イク…ッ!」
もうだめだ、と思った瞬間。強く吸われて、俺はたまらなくなって、思い切りぶちまけてしまった。出して少しして、光岡は顔をあげて、俺の顔を見つめる。口元を緩めると、つうっと白いものが口元から溢れる。それは見たくもない、自分の精液だ。溢れた生液を指に掬い取りながら、口内にあるだろうモノをごくんと飲み込んだ。
「ねえ、ずいぶん濃いね? 最近抜いてなかったのかな」
ふふっと笑いながらそんなことを言う光岡。出したばっかりの脱力感に苛まれているうちに、尻に手が伸びていていることに気づく。その指が孔に触れた瞬間、俺は青くなる。ちょっと待て、という間も無く、その指が入ってきた。
「バカ、やめろ、そんなとこ……!」
「大丈夫、これでぬるぬるにしておくから」
ベッドのサイドテーブルに手を伸ばすと、何やらトロリとした液体の入っている容器を見せた。中身を取り出し、指に塗りたくり、再度孔に指を入れる。ジュプ、と音を立てながらかき混ぜていく。その行為の先に何があるか、恐ろしくて声も出せない。そうしてどれぐらい経っただろうか。俺はもうほぼ、抵抗らしい抵抗もせずに、光岡の指に快楽さえ覚え始めた。
「だいぶ、よくなってきたかな?いいもの、見せたげる」
そう言うと、光岡は自分のそれを俺に見せつける。俺は朦朧とする中、それをチラリと見て……唖然とした。天井に向かって反り返っている光岡のアレに、俺の名前が彫ってあるのだ。陽一、陽一、陽一。
「ねえ、今から陽一のナカに、陽一を挿れるよ」
それを聞いた瞬間、酸っぱいものがこみあげてくる。悪趣味にもほどがある。気持ち悪い、気持ち悪い……!
「い、嫌だああ!」
「もう、無理だよ」
必死に足をばたつかせて抵抗しようにもあっさりと掴まれて足を開かされる。そして、さっき見たそれが後ろの孔にはいってくる。
「んんッツ、や、だああああ」
グチュ、と言う音とともに挿入されて、俺は思わず涙を流す。何が運命だ、こんなの、運命でもなんでもない!
「ああ、気持ちいい……」
「そんな、の、お前だけ…ああっ」
「そんなわけないでしょ、陽一」
グッと腰を持ち、腰を動かす光岡。これ以上、動かさないでくれ、もう無理だ。これ以上入れられたら、俺は……
「ヒッ……んんっつ、あ、ああッツ」
動かしながら前もシゴかれて、俺はもう声を出すしかなかった。
「ほら、はいってる陽一も、入れられている陽一も、喜んでる…ッ」
「そんなわけな、い…んんんっ」
顔を持たれてキスをする。深いキス。唾液溢れて、顎に流れていく。唇を離すと、光岡は恍惚としながら笑っていた。そう彼はずっと、笑っていた。
俺を組み敷いた腕に、翼にタトゥーが見える。そして上半身にあるたくさんの俺の名前。それを見ながら俺は光岡のリズムに身を委ねていた。気持ち悪いと思っていたはずなのに、次々と声が出て止まらない。
「ああ、陽一ッ…、気持ち、いい」
「も、やだ…んん、はあッツ、あんッ」
もう考えることなんか、できなくなってきた。息をするのも難しいほど声を出しながら、意識はもう挿れられているところに集中している。ああ、もうどうなってもいい。今はとにかく、もうこの快楽の絶頂に身をまかせるしかない。
「すごい…、いい…っ」
「も、イクぅっっ……あああッ!!」
おびただしい量のそれが放出されるとともに、俺の中にもまた同じものが注がれるのを感じて、俺はそのまま、ベッドに倒れ込み肩で息をする。ズルリと俺の中から抜いたモノを、光岡は俺の目の前に出す。体液に塗れたそれには確かに俺の名前が見えた。
「陽一の中、気持ちよかったよ」
その言葉を聞いて俺は意識を失ってしまった。
次に目が覚めたとき、俺は見知らぬ天井に一緒戸惑った。どこだ、ここ……。体を起こして、ぼんやりする頭を左右に振っていると何かいい香りがしてきた。パンの焼ける香りだ。ホッとしたのも束の間、下半身に痛みが走って、思わず腰をさすった。
そしてその腰の痛みで、さっき受けた仕打ちを思い出した。気がつくと手首の結束バンドはなくなっていて、パジャマも着れらていた。ベチョベチョになっていたはずのベッドのシーツも、プレスされた気持ちのいいシーツになっている。
「起きたかな」
ドアが開かれて、光岡が入ってきた。手にはお盆に載せられたパンとオレンジジュース。
「……何」
俺が警戒していると光岡は苦笑する。お盆をサイドテーブルに置くと俺のすぐそばに腰を下ろした。
「驚いたよ、まるまる半日寝てたから。無理させちゃったかな」
半日、と聞いて俺はサイドテーブルに置いてある時計を見た。俺がこの部屋に訪れたのは授業終わってからだから夕方だ。だけど時計は11時。そんなに長い間寝てたのか。腰の痛みさえなければ、昨日のあれは夢だと思えるのに。
「お腹すいてるでしょ?こんなのしか準備できないけど」
昨日あれほどひどいことをしたのに、ケロッとしている光岡。まるで別人のようだ。俺はいい香りのするパンに手を伸ばす。こんな時でもちゃんと食べられるのだから、我ながら呆れるけど腹は確かに減っていた。
「昨日はごめんね。でも、どうしても伝えたくて」
俺がパンを食べるのを見ながら光岡がぽつりと言う。いやいや、伝え方に問題あるだろ……
半袖のTシャツを着た光岡の腕に見えるのは翼のタトゥーと、俺の名前だ。
「光岡さんは……俺をどうしたいんですか」
窓の外の爽やかな陽気とは真逆の会話。少しだけ間を置いて光岡が呟く。
「僕にとって君は運命だけど、君にとって僕が運命かは分からないから。相澤くんの好きにしたら」
「は?」
拍子抜けして思わず声を出してしまった。自分の名を体に刻み込んだ男がこの世にいるのに、のうのうと暮らしていけというのか。
俺はまだ残っているパンを置いて、光岡を睨む。だが、何故か光岡は笑っている。もしかしたら俺が今から言おうとしていることに、気づいてるのかもしれない。
俺は宣言するように、口を開いた。
「もう一度昨日と同じことをしてみてよ。それから俺は決める」
あの時、見た光岡のタトゥーが忘れられない。皮膚に刻まれた翼に汗が滴り落ちていた。初めて見たとき、触れるとただの皮膚になったはずの生き物は、光岡のリズムに合わせて復活していた。密かにそれを美しいとさえ、思ったのだ。俺はあれだけ抵抗していたくせに、終わってみると今までにないくらいの快楽に飲まれて恍惚としていたことを思い出す。もう嫌だと拒む自分ともう一度話味わいたいと思う自分。
光岡の指が俺の顎に触れ、少し上げてキスをしてくる。そのキスは昨日より優しい気がする。
「相澤くんがそう言うなら、喜んで」
それから数ヶ月後。俺の背中に小さな翼と太陽のタトゥーを入れた。そのタトゥーを、ベッドの上で何度も何度も愛おしそうに光岡は舐めていた。
【了】
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