命の水

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 田中オマツという女が警察に逮捕され、裁判にかけられた。  罪状は殺人、しかもコックとして雇われていた主人一家6人全員を毒殺したのだ。  使用した毒は強力で、オマツは食事に混ぜて食べさせた。  殺害現場は、そういう光景は見慣れたはずの捜査官たちでさえ、目を背けたくなるほど凄惨なものだったそうだ。  裁判が始まり、オマツは罪をすべて認めた。計画的な犯行だったのだ。  当然のごとく死刑判決が出されたが、動揺した様子もなく、オマツは最後に発言する機会を求めた。  裁判長は許可を出した。  証人席に立ち、やせた小柄な女だが、きりりと前を向いたままオマツは口を開いた。 「裁判長様、30年前、私の一家は農家をしておりました。わらぶき屋根の家は川のそばにあり、田や畑も広く、雇い人などもいて、人もうらやむ暮らしぶりだったのです。  でも平和な日々も長くは続きませんでした。すぐ川上に、佐藤さんが工場を建設したのです。はじめは小さな工場でしたが、だんだんと大きくなり、黒い煙を吐き出す背の高い煙突が何キロも離れたところから見えるほどにまで成長したのです。  でも佐藤さんの工場が吐き出したのは煙だけではありません。毒々しい赤い水も川に流して捨てるようになったのです。美しかった川はすぐその色に染まり、あれだけたくさんいた魚も、あっという間に姿を消しました。その魚をねらって昔はカワセミなども飛んでいたのが、一切姿を見せなくなりました。  私の家の田や畑は、その川から水を引いていたのです。川の毒を受けて、私たちが身体を悪くしないはずがありません。家の者は次々に病気になり、雇い人たちもやめていきました。  家族はみな倒れてしまったのです。健康なままで残ったのは、遠くの女学校へやられていた私一人でした。家族の最後の生き残りだった弟の葬式を出したのは20年前のことです。その日、私は誓ったのです。  川の水が汚れ始めた頃から、もちろん佐藤さんには苦情を入れました。汚れた水を流さないようにお願いしたのです。でも佐藤さんは聞いてくれませんでした。市や県にもお願いしました。東京の本省へ足を運びもしました。だけどもうきっと佐藤さんがワイロを渡していたのでしょう。お役人は誰一人、会ってもくれませんでした。  そうやって私の家は死に絶え、とうとう私一人が残るだけになりました。  私は計画を立てました。専門の学校へ通って料理を学び、本職のコックになったのです。腕を磨き、それなりに知られる存在になりました。この町でも1、2を争う名前になったと思います。  そうなると、あの虚栄好きな佐藤さんのことです。ほっておくわけがありません。すぐに私は、『わしの家で働いてくれないか』と誘いを受けたのです。  もちろん断るはずがありません。そのために私はコックになったのです。  佐藤さんの家に雇われ、私は働くようになりました。佐藤さんは、私があの死に絶えた家の縁者だとは夢にも思わなかったでしょう。私は腕をふるい、半年もたたないうちに、家族全員の食事を日に3度、すべて任されるまでの信頼を得たのです。それから私は計画を実行に移しました。結果は皆さんもすでにご存知のはずです。  ええ、この判決には満足しています。自分からしたことですから、意味はよくわかっています。でも一つだけ不満が言えるとしたら、私が犯行に用いたとされる毒のことですね。検察官さんのお言葉でしたね。 『詳しい成分は不明であるが、まれに見る毒性を持つ恐怖の物質』ですって?  私は毒なんか使ってはいませんよ。私はただ、水道の水ではなく、川の水を料理に使っただけです。佐藤さんの工場の前を流れる川から取ってきた水です。それが罪になるとおっしゃるなら、私を死刑にでも何でもなさるがいい。それが罪だとおっしゃるのなら…」
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