2人が本棚に入れています
本棚に追加
依存×孤独
教室に居る誰かから『悩みがあるなら聞くよ』と云われ、幾度か心情を吐露したことがある。
正直に『人間関係を構築出来なくて悩んでいる』と打ち明けると、決まって『そんなこと』と揶揄されて終わる。『イジメられているわけではない』『病気を抱えているわけではない』『容姿が醜いわけではない』『五体満足なのだから贅沢』――で始まり、苦しんでいる人の例え話を聞かされ『甘えている』と締め括られる。
紗良は、相手に何も期待していないから、問題は無い。
(If it is something that can be solved by talking, it is already solved)
もしも、話して解決するような簡単なことならば、既に悩んでいない。
打ち明ける見返りに欲するのは、同意と同調。欲していない意見を押し付けられたり、ましてや罵倒されることなんて望んでいない。
否定、持論、マウンティング――不毛なやり取りに、不快にさせられる。相手も、意見が通らなければ不快になる。双方にとって、これ程無駄なものはない。
とはいえ、話さないことで嫌味を言われるストレスの方が大きい。だから相手が望む行動を取っているに過ぎない。
仮に、欲している言葉と、同調だけを得られる相手に相談するとしても、紗良にとっては、無駄な時間。どうするかは、紗良の中で既に確定していて、同調される前提で話す。その結果、安心感を得て、気分が良くなるだけ。接待と何ら変わりない。
紗良には、紗良自身が、致命的だと認識している欠陥がある。
依存心が強く、甘い言葉を掛けられると、真に受けてしまう。紗良の意思では抑制出来ず、一種のトランス状態に陥る。面識が無かったり、親しくない間柄でも、構われるだけで気持ちが高揚し、懐いてしまう。
病的な程の依存体質。タチが悪いのは、たった一言『大丈夫』といわれるだけでタガが外れ、恐怖心さえも、打ち消されてしまうこと。
紗良が取れる自衛策は、人間との最低限の接触も断つこと。誰がどんなタイミングで何を話すか――紗良が制御することは不可能。不意に起きることは、避けようがない。
とはいえ、自分を避ける人間に対し、嫌悪感を抱くのは必然。
嫌われるのは嫌。だけれど、暫くすれば強制的に断たされる関係。永遠の別れが訪れる結果は不変。だから、影響は無い。無理矢理正当化し、強引に孤独になれる環境を構築する。
最初のコメントを投稿しよう!