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あの人は本当に面白い人だ。 そう思ったのは入社して暫く経った頃。 あの人は仕事に大して人一倍厳しくて、どこか壁を作っていて、でもよくよく見れば隙だらけで。そういうところに惹かれたのかもしれない。 自分が笑えば大抵みんな笑ってくれるのに、あの人だけはニコリともしてくれなかった。 自分にとって上司だから当たり前といえば当たり前かもしれないけど。 にしても、愛想笑いしてくれてもいいと思う。 このオフィスで一緒のチームになったのに、チームメンバーの中でもどこか浮いているのはたぶんそのニコリともしない表情のせいだ。だから、笑わせてみたくなった。 無機質なオフィスの中で、女の子たちが花開くように笑って話しているけど、彼女たちは毒を持っている。あの笑顔の下で、いつ誰を貶めようかと策略を練っているのだ。 色々付き合ってみて分かってきたことでそこも含めて可愛い子もたくさんいたけど、僕自身違う花の蜜も舐めたくなった。だから、あの人に接近してみた。 だけど、ことごとく失敗。何度告白してみたところで断られ続けた。断られると人はムキになるって教えられた気がした。今までこんなことはなかったのに。 時は流れ―― 彼が入社してから1年になろうかとした頃、全くそんな気はなかったはずなのに絆された私は結局彼とお付き合いをすることになった。 付き合い始めてから今日でちょうど3ヶ月。 あの時、彼に酷いことを言った自覚はあったのだが彼はそれが面白かったらしい。 実際あれからも彼は事あるごとに私に絡んできては、邪険にされてもめげずに毎度毎度告白を続けてきた。だから、誰にでもそういうことを言うヤツなのだろうと思っていたのだけれど。そうであったが、そうでなくなったと、彼が言った。 「ぶっちゃけ諦めようと思った。だけど、そう思った時に息が苦しくなって、こんなこと初めてだったんで病気かなって。でも、諦めないって決めたら息できたから」 「何それ。私のせい?」 「恋の病ってヤツ?だから、オッケーしてくれた時は息が止まるかと」 「私の前で倒れられたら困るから。私もなんで頷いたのか今もよく分からないけれど。約1年間?ずっと言われ続けていたものね。でも、思ったよりは悪くないから安心して」 「それなら良かった。安心した。じゃあこれからもっと好きになってもらわないと」 彼が笑う。その笑顔が憎たらしくて私も笑い返す。その笑顔が怖いとでも言わんばかりに、両肩を押さえてオーバーリアクションを見せる彼は反応が若いなということと、自分が年長者であることを無理やり理解させられる気がする。 彼が探してくれたカフェはネットでも星4つの人気のカフェらしいのだが、今日はたまたまなのか客も少なく静かな時間を過ごせそうだ。照明が薄暗いのがまたいい。自家製のブレンドの豆を挽く音と、運ばれてきたコーヒーカップからふわりと漂う香ばしい香りが私の心を鎮めてくれる。カップもシンプルな白で特に特徴もないカップだが、気軽に入れるカフェの本格的な焙煎珈琲というのが売りなので、珈琲好きな私も気に入って2人で会う時には良く入るようになった。 珈琲は飲めるけれど甘くないと飲めない彼。そんな彼が可愛いのに可愛いと言うと微妙な顔をする。そこも含めて可愛い。そんな風に感じるような私も我ながらどうかしてると思う。 「ブラックで香りを楽しんで一口、だよね?」 「最初から甘くしても誰も文句は言わないのに」 「だってそれだと負けてる感じしない?」 そう言って頬を膨らませる。その仕草は確信犯? そういうところがあざとい。前までの私ならため息だったのに、今は彼に毒されているのかもしれない。私も結局、彼に群がる人たちと変わらない。私の最後の砦は年上だと分からせるように余裕のある口ぶりで彼をからかうくらいしかない。 「そこも含めて可愛いと思う私の方が負けなのだけれど」 「可愛いっていうのナシだって言ってるのに」 彼も負けじとブラックの珈琲に口付けるが、やはり苦手なのか相変わらず微妙な表情をするので、クスリと笑ってしまう。笑う私をずっと見ている彼がニッと笑い、声は出さずに言葉を伝えてくる。 「何言ってるの。私は可愛くないけれど?」 「そんなに否定しなくてもいいのに。でも可愛いって褒め言葉なのか分からないね」 「そう言われるとそうかも」 「だから可愛い禁止」 笑いながら彼は今度は素直に角砂糖をトングで摘み、自分のカップへと落とす。しっかりとミルクも入れると今度こそ甘くした珈琲に口づけた。満足そうな彼の顔を見ていたら。 私はブラックの珈琲を飲んでいるはずなのに。 苦いはずの珈琲は、そのやり取りだけで甘くなる気がした。
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