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「あまり動かないでくださいね。クリームがずれますから」
「気をつけますよ」
「というか、入江さん。さっき気づいて、ずっと気になってたんですけど」
「ん?」
「これ、大丈夫ですか」
成田さんは、俺の髪をかきあげ、うなじのすぐ手前あたりを指の背でそっとなでた。鏡越しに自分の首元を確認すると、丸い痕が赤く浮いている。
誰がどう見ても口づけのしるしだった。
…これって、相原のヤツにされた痕か。ぜんぜん気づかなかった。ていうか、強く吸いすぎだろ。
成田さんはニヤリと笑うと、わざとらしく頬をふくらませる。
「もう!だめじゃないですか。モデルさんなのにこんな痕つけて。このあと撮影ですし、今日のところはコンシーラーで隠しときますけど」
「はは、助かります。つうか、最悪…」
俺が顔をひきつらせると、成田さんはからかうように続けた。
「彼女さんですか?ずいぶんと仲がよろしいことで。若いっていいなあ」
「成田さんもそんな離れてないでしょ。あとこれは事故みたいなもんだから。俺、彼女も彼氏もいないし」
「彼女も彼氏もって、なんか意味深ですね。ひょっとして入江さん、同性に抵抗はないタイプですか」
俺はわざと声のトーンを落とし、
「んー、どっちかっていうとゲイ寄りなんですよね。…あ、これ他の人には内緒で」
成田さんは目を見開いた。
「それ、俺に言ってよかったんです?いやあの、もちろん誰にも言うつもりはないですけど」
「成田さんは、信用できると思ったから」
「…そんな調子で大事なことほいほいしゃべっちゃうと、あっという間に広まりますよ。人を簡単に信用しちゃだめです」
まっすぐに俺の顔をのぞき込み、どこか怒っているような口調だった。
…やっとこっちを見た。
きっと真剣に話をしてくれているのだろうけれど、俺は、健気でかわいいなあ、くらいにしか思っていなかった。
「へえ。じゃあ、成田さんのことは信用しない方がよかったかな」
弱々しげにそう言ってみせると、成田さんは何かをこらえるような顔をして首をふる。
「いえあの!…俺は、大丈夫です。実は俺もゲイですし」
知ってるよ。そんなこと。
「…マジで?ほんとに?」
成田さんは顔を真っ赤にしながらうつむく。俺は舌なめずりをしたい気持ちをぐっとこらえる。
「なんだ、よかった。じゃあ、俺のこと気持ち悪いともなんとも思わないってわけね。最高」
「思いませんよそんなこと!というかむしろ…」
成田さんはハッとしたように口元をおさえた。
「むしろ、何?」
「いや、違くて。これは」
「成田さん」
「はっはい!」
俺は成田さんのうなじに手を回し、ぐいと引きよせた。おでこがコツンとぶつかり、成田さんが唾をのむ音が聞こえた。
「あんた、かわいいね。すっげえタイプだわ」
先ほど保湿クリームをぬられた唇は、目の前でこわばった唇にやさしく吸いつき、そして音をたてて離れた。
「俺に抱かれてもいいと思うなら、このまま手をまわして」
撮影がはじまるまで、あと40分も残されていない。それまでにヘアメイクを終わらせないといけなかった。
何をバカなことを言っているんだ。そんなのわかっている。わかっているのに。
背中に、ゆっくりと両腕がのばされる。俺は愉快でたまらない。
…そうだ。それでいい。みんな俺の上っ面にだまされていろ。
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