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滝和麻は、腹の底に怒りをため込みながら小走りで廊下を進んでいた。
…なにやってんだ、緋希のやつ。
スポーツブランドの新作水着の撮影がそろそろはじまるというのに、いっこうにスタジオに姿を見せない。
この撮影が終わったら、そのまま別の現場でバラエティの収録がはじまる。一秒だってムダな時間はなかった。
いやな予感がして楽屋まで来てみると、ちょうど緋希がドアを開けて出てきた。
ほっと胸をなでおろしたのも束の間、緋希の有様を見てぎょっとする。
「おっ…まえ、なあっ!!」
絶叫しながらかけ足で近よると、その姿にめまいを起こしそうになった。
よぉ、と右手をあげた緋希は、衣服ははだけ、髪は無造作に乱れ、汗で肌にはりついていた。
「ヘアメはどうしたっ!いったいどういう状況だ!」
「あー…やっぱこのまま撮影じゃダメ?」
「あたりまえだろ!鏡見てみろよ、ぼろぼろじゃないか!」
緋希はふてくされたように頭をかいている。こんなにもみすぼらしい姿なのに、なぜか色気だけはだだもれていた。
「スタイリストはどこだ、文句言ってやる!」
「いや、あの、ちょっと」
緋希が止めるのもかまわずに楽屋のドアを勢いよく開けると、そこには半裸の青年がタオルで下半身をぬぐっているところだった。青年はあわてて秘部を隠し、ガタガタとふるえながらうつむいていた。
俺はもう、言葉が出なかった。
青年の肌はピンク色に上気していて、肌のあちこちに赤い痕が落ちている。
そしてこの、汗にまじって香る、独特の臭気。
ここでなにが行われていたのかは明らかだった。
人は怒りが限界を越えると、思考が停止する生き物らしい。俺は呆然としたまま立ちつくすしかなかった。
「…悪い」
緋希がボソリとつぶやく。だが謝られたところでどうしようもない。知らず、目から雫がこぼれた。緋希は目を見はり、苦しげに顔をゆがめる。
「どうしちゃったんだよお前。昔はこんなことするやつじゃなかったのに」
緋希は顔をそむけ、悪かった、とだけ口にした。
そう、前はこんなことをするやつじゃなかった。映画の監督や原作者にたてついたり、仕事に不誠実な人間を人一倍きらっていたはずなのに。
去年、一年半の休業をとってから、緋希は変わった。それまでは、ぜったいにこんなことを起こしはしなかった。
「ブランドマネージャーと撮影監督に、謝ってくるよ」
はだけていたボタンをとめ、髪を手ぐしで整えると、そのまま滝が走ってきた方向へと向かっていった。
…事務所の社長に、なんて報告をしよう。この後の収録には間に合うだろうか。
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