第二章

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 今もっとも注目を集める人気モデルがゲイと知って、スタッフの間には動揺(どうよう)が広がっていた。  撮影監督が、ふうっと長い息をはく。 「事情はわかったが、かといってまわりに迷惑をかけて許される理由にはならない。君の事務所には正式に抗議文を送らせてもらうよ。…とまあ、それは置いておいて。撮影はどうするんだ」  沈黙がおとずれる。撮影アシスタントたちはみな困った顔をしていた。  今日の撮影では、高級なビジネススーツに身を包んだ入江が、ランウェイさながらにプールサイドまでやってきて、スーツを脱ぎすて新作の水着姿になると、そのまま一度振り返ってウインクをしてプールに飛び込むという流れだった。  こんなにみすぼらしい姿では、スーツ姿がぜんぜんキマらない。  ふと、ブランドマネージャーが広告代理店の担当者の肩をたたく。 「そういえば、撮影プランって2つの案から選んだんだったよな。もう一つの案ってなんだったっけ」  担当者によると、もう一つの案は、逆のパターンだった。  プールで見事な泳ぎをみせる入江が、そのままプールサイドに上がって濡れた髪をかき上げる。見とれる女性たちにウインクを残して、そのまま立ち去っていくというもの。 「…プランBでいくか」  誰もが無言だったが、それしかない、という空気ができていた。  クライアントであるブランドの担当者からオッケーが出ると、なんとかスケジュールをおすことなく撮影が進められることになった。  入江が水着に着替え、撮影がスタートすると、祈るような気持ちで場を見守っていた俺は、安堵(あんど)で足から力が抜けそうだった。  …ひとまず今日を乗り切れそうだ。  社長にはあとで報告を入れるとして、これからどうするか。  入江はセットのプールで力強いクロールを泳ぎ、カメラがその姿を追っているところだった。  …スタッフたちにゲイとカミングアウトした以上、遅かれ早かれマスコミに伝わる。入江が”元恋人”と楽屋で”もめた”ということも。  バランスよく(きた)えあげられた体は、ノンケの滝から見ても惚れ惚れするほどかっこよかった。  …ヘタな想像で記事を書かれると、入江のイメージが地に落ちる。マスコミにはうまく書いてもらわないと。  ざばっとプールサイドに上がった入江は、両手で髪をかき上げるところだった。カメラは入江の正面に移動し、力強く輝くその両の瞳をまっすぐにとらえた。  モニター用の映像を見て、おや、と気づく。  入江の首すじ。右のうなじに近いところに、赤いアザが見えた。監督も気付いたようで、しきりに目を()らしていた。  そのアザがなんなのかを()っして、俺はまた青ざめる。  …緋希のやつ!しっかりとイチャついてきた痕跡(こんせき)を残しやがって!  撮影監督が、白けた顔でふりむく。”もめてたんじゃなかったのか”とその目が問うていた。  …くそ、言い訳を考える身にもなりやがれ!  俺は引きつった笑みを返しながら、頭を高速で回転させていた。
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