第二章

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”俺は役者でいたくない” ”見張っててくれ” ”いつか演技じゃない言葉を口にするかもしれないから”  あれらの言葉はどういう意味だったんだろう。今日の撮影を見ただけでは、入江が俺になにをしてほしいのか、つかむことができなかった。  原作の『サンクチュアリ』は、とある四人の人生がベースになっている連作短編集だ。この四人はまったく関係のない他人同士だけれど、この四人の元には、同じひとりの人間が現れる。それが(さかき)だ。  四人はそれぞれ何らかの被害者として苦しんでいて、榊はそんな彼らに、苦しみから逃れるための”武器”を与えていく。  けれどその”武器”は、使い方によっては別の被害者を生み出す凶悪なものでもあった。  榊は彼らに「使うも使わないも自由だ」と告げる。四人がその後どんな選択をするのか、榊は傍観者(ぼうかんしゃ)として見守っていくというストーリー。  向井監督は榊を、弱者を救うダークヒーローといったが、四人に選択肢だけを与えて責任は取らない榊は、ヒーローというより「神」とか「審判」の立場に近い。  実写版の『サンクチュアリ』は、向井監督の感性をベースに脚本(ほん)が構成されているので、榊の出番やセリフがずいぶんと増えているし、まるでスーパーマンのようにかっこいい見せ場まである。  それがいいか悪いかはわからないけれど、入江の演技を見ていると、向井監督によって単純化された榊というキャラクターに、含みを持たせようとしれくれているのがわかった。  こういうのは、演じることを、作品を作るということを愛していないとできないことなんじゃないか、と俺は思う。  才能もある。想いもある。  だからこそ、入江がなぜ役者であることを拒否するのか、そこだけがわからなかった。 「はいカット!これで本日の撮影は以上になります」  お疲れさまでしたとまばらな拍手が聞こえ、俺は現実に引きもどされた。入江は軽く汗をぬぐうと、大きくのびをしながらこちらに向かってきた。  襟足(えりあし)の近くにつけられた赤いキスマークは、今日は見えなかった。何かをぬってカバーしているのかもしれない。 「おつかれ緋希。とてもよかったよ。この後の予定だけど、次の現場まで時間があるから、すこし休憩(きゅうけい)しよう。カフェの個室を予約してあるから…」  てきぱきと話す滝をチラリとだけ見て、入江はすぐに俺に向き直った。  …なんだ?具合でも悪いのか。  入江はどこか青い顔をして、冷や汗をかいている。 「大丈夫か?顔色悪いぞ」 「どうだった」 「どうって」  思いつめたようなまなざし。この前の”お願い”のことを聞かれているのだとわかった。 「ちゃんと演技してたじゃないか。おかしいところはなかったぞ」 「本当か」 「ああ。ていうか、そういうのって自分がいちばんよくわかってるもんだろ」  入江は大きく息をはいて、またゆっくりと息を吸った。 「ならいいや。もう今日は帰っていいぜ」 「はあ?」  まるで犬でも追い払うみたいに手を動かす。  …弱ってるかと思ったらそっけないし。ほんとわけわかんねえ。
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