第二章

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「言われなくても帰るっつうの」 「緋希、俺はこの前言ったよな?最低限の礼儀は身につけようって」 「わかってるよ。じゃあな相原。もうお帰りくださって結構(けっこう)だぜ」 「そうじゃないだろ!」  何だか夫婦(めおと)漫才(まんざい)じみてきたな。  やいやい言い合う二人を見ていると、なぜだか心が落ち着いてくる。 「緋希のやつ、最近忙しいのとマスコミにつけ回されているのとで、心が(すさ)んでしまっているんです」 「これくらいで(すさ)まねえよ。なめんな」 「ああ、なるほどね」  笑いをかみ殺していた俺は、自分のカバンから一冊の本を取り出した。 「じゃあ家では心をリラックスさせないとな。これ、気休めになるかはわからないけれど、この前新刊出したからあげるよ。読んでみて感想でも聞かせて」  ハードカバーの薄めの本を入江に手渡すと、思いっきり警戒した顔で帯を読みはじめた。 「ふうん。『鏡像』?どんな話なの」 「…それは読んで確かめてよ」  入江は、気が向けばな、と言って自分のカバンにしまった。 「なあ。また次も、呼んだら来るよな?」 「え?…ああ」  正直、毎回見学するのは面倒だなあ、と思い始めてもいた。1、2回ならいいけれど、そうではないもんな。  うまく返事ができずにいると、入江はひどく(おび)えたような顔をした。  …そんな顔するなよ。断りづらいだろうが。  なぜだかこの時は、入江の反応を、演技だとは思えなかった。 「お前もなんか俺に頼み事しろよ。そしたらフェアだろ」 「そう言われても、思い浮かばないんだよなあ。…あ、ていうかメガネ返せよ」 「いいぞ。それが願いか」 「いやいやいや。山賊(さんぞく)かお前は。借りたものは普通に返せ」 「今日は持ってないから、また次あった時にわたす。他には?」 「うう…ん」  願い、ね。別に欲しいものとかもないし、あったとしても、年下の子にねだるのはちょっとな。  強いていうなら、俺はこの入江緋希って青年に興味が… 「そうだ。ならこうしよう。俺がお前の撮影を見学するたびに、ひとつ質問に答えてくれないか」 「質問?インタビューみたいな?」 「そう。俺はさ、お前みたいな秘密主義者がまわりにいないもんで、お前の存在自体にちょっと興味があるんだよ」  入江は、そんなこと、と首をかしげる。 「いいけどさ、取材ならいろんな雑誌で受けてるから、そういうの探した方がいいんじゃないの」 「でもきっと、正直に答えてないやつもあるだろう。俺が質問したことは、どんなに答えづらいことでもちゃんと答えてもらうから」  お前が嘘をついても、俺にはわかるからね、とダメおしの言葉とともに。  実際はそんなのわかるはずもないのだけれど、入江はまるで、オセロで相手を(わな)にかけようとしたけれど、逆に角を取られてしまった子どもみたいな顔をした。 「…わかったよ」 「じゃあ、交渉成立な」  ふてくされた顔でスタジオを後にする入江を見送り、俺は、次回作はいいものが書けるかもしれない、と根拠のない予感をいだいた。
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