第二章

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 絵凪が、この子だよとスマホを向ける。画面をのぞきこむと、さらっとした長めの黒髪に、すっきりと整った顔立ちの青年がみえた。 「なんというか、雰囲気のある俳優だね」  俺は思ったことをそのまま口にする。 「倉木慎もそこそこ人気あるよ。ちなみに彼は作家でもあるんだけど、そのお蔵入(くらい)りになった映画って、原作は倉木慎なんだよ」  絵凪が上機嫌(じょうきげん)で笑っている。 「ふうん。その原作ってのはどういうストーリーなの」 「ええとね、たしか主人公の男が別の男に付きまとわれる話だよ。その男はまわりから信頼されてて、だから主人公はストーカーにあってるって信じてもらえないの。どんどん追いつめられていって、最後はいやいやその男のモノになっちゃう話」 「ずいぶんドロドロしてんだな…」  絵凪はけろりとしている。恭介は楽しげに肩をゆらした。 「僕はそういうの好きだな。読んでみたい」  橋間がふんっと鼻をならす。 「どうでもいいけど、倉木ってやつは大丈夫なの、そんな話を書いてさ。俳優ってイメージが大事なんだろ」 「倉木慎は(かげ)があるところが魅力だからね。ファンになる子も、メンヘラっぽい子が多いらしいよ」  世の中にはいろんな需要があるんだなあと、このとき俺はのんきに考えていた。  そのままお酒をのみつつ新刊の感想なんかを話していたら、あっという間に二時間以上がすぎた。  箕輪がチラチラとスマホの画面を気にしだす。 「夏菜(なつな)さん?」 「ああ。まだ帰らないのって」 「そろそろいい時間だしな。んじゃあそろそろお開きにするか」  橋間が会計のために店員を呼ぶと、箕輪が申し訳なさそうに手を合わせた。  恭平が、立てかけてあった写真を布でくるみ、こわれ物でも扱うようにカバンにしまう。 「次の新刊はいつ出すの?」 「半年以上は先かな。その入江くんとさいきん話す機会がふえたから、彼をモデルにしたキャラクターを出したらおもしろそうだなって思ってて」  とたんに、絵凪の目がかがやく。 「なにそれ!私ぜったい発売日に買うよ」  俺は苦笑いしながらありがとうと言った。恭平はどこかさみしそうに目を細める。 「そんなキャラ、出てなくたって真っ先に買うよ。毎回言うけど、ずっと応援してるからね」 「はは、プレッシャーだなあ。でもうれしいよ」  ほほ笑んでみせた裏では、逃げたくてしかたのない自分がいた。 「まあ、俺らの中で作家になったのって相原だけだもんな」  橋間が皮肉っぽく笑う。 「ほんとほんと。佐々木の分までがんばってね」 「あいつ、かんなぎ賞とること夢だったろ。なら相原、お前の夢もかんなぎ賞だな」 「それはさすがにムリだなあ」  情けない声を出すと、場が笑いにつつまれた。俺は顔が引きつらないように必死だった。体の奥にしまっていた痛みが、冬眠からめざめた熊のように起き上がりそうになる。  …佐々木の分まで、ね。俺にはそんな資格なんてないんだよ。  それから家に帰るまで、俺はなんとかその熊をなだめすかしてやり過ごした。
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