第二章

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 …それ、バラエティではNGワードにしてんだけど、おっさん。 「ちょっと働きすぎただけだよ。映画のことは、まあ、残念だったけどな」  なんて、ちっとも思っていないことを平然と言う。  映画は、本当はぜんぶ撮り終わっていた。それを事務所の社長やスポンサーだった父親にたのみ、公開中止にさせたのは俺だった。 「それで一年以上も休みが必要になったんなら、ちょっと働きすぎたってレベルじゃないだろ」 「おっさんまじで気にしすぎ。俺タフだもん。体の方は問題ないって」  そう。問題なのは、ズタズタにされた俺のプライドと、半永久的なトラウマを植え付けやがったあの男への怒りの方だった。  一生許すことのできない屈辱(くつじょく)。それがあの男のねらいだったとわかっているからこそ、激情(げきじょう)が体中を暴れまわり、(くや)しくて腹立たしくて、(いま)だに気が狂いそうになる。  体の方はまったく問題ない。ただ、怒りと、深く根づいた恐怖心をコントロールできるようになるまで、一年半もかかってしまった。  …こっちは気つかってやったのに、あっさり人の地雷ふみ抜いてきやがって。  肌の表面が、()ぜるようにチリチリと痛む。 「入江、…なんかお前、顔色悪くないか」 「そう?昨日寝不足だったからかな。てか俺そろそろ帰んなきゃ」  相原は無言だった。どこか深刻(しんこく)そうな顔でこちらを見ている。  俺はなるべく頭を空にして、早足(はやあし)でその場を後にした。ホテルに戻ると、そのままベッドに倒れこむ。買ってきた本をテーブルの上に投げ()てると、ふとんを頭までかぶって必死で深呼吸をくり返した。  ガタガタと体がふるえ出す。かつての記憶が花火のように次々と浮かんでは消えていく。大粒の涙が瞳からとめどなくあふれてきた。まばたきなんてしていないのに、何度も何度も流れ出てきてはシーツをぬらす。  …くそ、相原のせいだ。こんな時に昔の話をしやがって。最悪なタイミングで思い出させんなよ!  あの薄気味(うすきみ)悪い笑顔が脳裏(のうり)にフラッシュバックする。吐き気がこみ上げた。ひたすらえずくけれども、苦しいだけで何も吐けない。  乗り越えたと思ったのに、ふとした瞬間に恐怖は呼び戻され、気力を根こそぎ奪い去っていく。  それでも、ようやく感情の波がおさまってくるころには、(つか)れ果て、起き上がることさえできなくなっていた。    朦朧(もうろう)とした状態で、静かに目を閉じる。  その夜、俺が見たのはあの日の悪夢だった。途中(とちゅう)で目覚めることもできず、俺は自分がぼろぼろに壊れていくのをなす(すべ)なく見ているしかなかった。    
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