第三章

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「何をそんなに泣いてたんだ」  乱れた入江の前髪を、指でそっと整えてやる。入江の顔は、どの角度から見ても美しい、と思えるほど完璧だった。  この瞬間だけ見たら、まるで楽園にでも横たわる天使みたいだ。この世のすべての悩みとは無縁(むえん)の。  泣いたせいだろう、長く繊細(せんさい)なまつ毛が一本、白くきめの細かい(ほほ)に落ちている。取ってやろうと思ったが、指をのばしかけたところで、やめた。  …俺はずるいな。入江が気づいてない時に、こんなふうに見惚(みと)れるなんて。  立ち上がると、俺は滝にLINEした。 『入江くん寝てるみたいです。滝さんの言うとおり、今日はムリさせない方がいいですね』  滝からはすぐに返事がきた。 『そうですか。連絡ありがとうございます。監督にはスケジュールをずらしてもらうようにします』  俺は迷った末、もう一通メッセージを送る。 『ちなみに、さっき現場で変なウワサを聞きました。入江くんが昔、ドラッグに手を出してたって。もっとも、彼ひとりではなくて、倉木って俳優も一緒だったとのことでしたが』  直後、滝から電話がきた。俺は足音をたてないように楽屋を出ると、通話ボタンをおす。 「もしもし、相原さん?」  滝の声は切羽詰(せっぱつ)まっていた。 「メッセージに書いてたウワサの件なんですけど、相原さん、信じないでくださいね。緋希はそんなことしてませんから」 「わかってますよ。ただ、現場でそういうことを言う人間がいるので、本人の耳に入りでもして、ストレスにならないよう気をつけた方がいいなと思って」  わかりやすく安堵(あんど)した声が耳にとどく。 「ああ、よかった。イメージが悪いって、役を()ろされるのかと思いました」 「そんなことしませんよ」  …滝さんの中で、俺はどんだけ堅物(かたぶつ)に思われてるのだろうか。 「緋希が売れはじめた時期に休業なんてしたものだから、あれこれウワサされたんです。実際は、ただ精神的に参っちゃっただけで」 「忙しすぎて、つかれちゃった感じですか」 「それもありますけど。どちらかというと、映画が原因だった気がします」 「映画?それって、お蔵入(くらい)りになったっていう」  滝は弱々しげに苦笑した。 「緋希のやつ、あの映画の撮影中、ずっとしんどそうにしてたんですよ。現場ではひたすら倉木くんとピリピリしてたし」 「え、ふたりは仲が悪かったんですか」  現場のスタッフたちは、入江と倉木がよくプライベートで会っていた、という話をしていたけれど。 「そんなあからさまに険悪(けんあく)ってわけじゃなくて、どことなく緊張感があったというか。仲がいいか悪いかはわかりませんけど、昔からの知り合いだったらしいです。W主演の話も、倉木くんから緋希に直接オファーしてくれたみたいで」  話を聞けば聞くほど、ふたりの関係がよくわからない。
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