第三章

5/18
前へ
/49ページ
次へ
「それだけしんどい思いしながら映画撮ったのに、急に公開中止ですからね。心が折れちゃったんだと思います」 「それは…大変でしたね」  飄々(ひょうひょう)としたふるまいの裏で、あいつはどれほど悩んで生きてきたのだろう。  電話を切った俺は、もういちど楽屋に入って、入江の寝顔をながめた。  まだ大人になりきれていないような、あどけない素顔をそこに見た気がして、どうしようもなく庇護欲(ひごよく)をかきたてられた。  芸能人とは、みんなこうなのか。勝手によくないウワサをされ、記者に追いかけられ、それでも、自分の本心は隠したまま、何ごともなかったようにふるまい続ける。  こいつには、一日の中で安らげる時間が、どのくらいあるのだろう。  俺は後ろ手でドアのカギを閉めると、入江のそばにしゃがみ込んだ。  せめて今だけは、誰もこいつの眠りを邪魔しないように、見守っていよう。  ずりおちそうになっていたブランケットをかけ直してやると、入江がぬくぬくと気持ちよさそうに顔をうずめる。  プラチナの髪が、動きにあわせてきらきらとかがやいた。  それはとてもまぶしかった。ほとんど無意識に手をのばし、やわらかそうなその髪をなでる。そのまま頭の輪郭(りんかく)にそっていき、かつて口づけをしたうなじに指を()わせた。  きっと、こいつがタチだと知らなければ、俺はこのままこいつに落ちていたかもしれない。  手を離すのが名残(なごり)りおしく、しばらく肌をなでていると、 「いつまでさわってんだよ」 「うわ入江っ?!」  反射的に後ずさり、その勢いで尻もちをついた。入江がソファから体を起こし、じとっとした目でこちらを見る。気まずい空気がながれた。 「俺は眠りが浅いんだよ。んなベタベタされたら起きるっつうの」 「…ごめん」  こんなにもこの世から消えたいと思った瞬間は、人生ではじめてだった。いたたまれない状況に、俺の目がはげしく泳ぐ。 「つうか何そのさわり方。0点だな。ぜんぜんその気になんねえ」  入江は、やれやれ、と半笑いの顔で肩をすくめた。   「あのな、べつに(さそ)ってたわけじゃないんだよ」 「じゃあどういうわけなんだよ」 「どうもこうもない!だいたいタチの俺がタチのお前を(さそ)うわけないだろ」 「なんだ、俺に抱かれる覚悟ができたんだと思ってた」 「誰がするか、そんな覚悟」  お互いヤケクソの会話をくり広げていたところ、ちょうどドアがノックされた。カギを開けると、滝が心配そうに顔をのぞかせる。      
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

67人が本棚に入れています
本棚に追加