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「緋希。今日の分の撮影だけど、一週間後に延期になったから」
「はあ?なんで」
滝は片ひざをついて、入江の頭をやさしくこづく。ふたりの雰囲気は、なんだか兄弟みたいだ。
「おとといのこともあるし、お前はまだ体力が戻ってないんだよ」
「過保護かよ。そんなヤワじゃねえって」
「いいから。このままムリしたって、また何かの拍子に倒れるだけだ。頼むからこれ以上心配させないでくれ」
じゃないと俺はマネージャー失格だ、と、落ち込んだ顔を見せる。入江は一瞬だけ傷ついた目をしたが、それ以上は何も言わなかった。
「それじゃあ帰ろう緋希。…あ、相原さん。車まわしますけど、いっしょに乗って行かれますか。せっかくなので送りますよ」
滝がにこりと笑う。最初は断ろうとしたけれど、入江がめずらしく「乗ってけば」なんて言うものだから、流されるようにうなずいてしまった。
そのまま三人で駐車場に向かう。
黒いワンボックスカーに乗り込むと、滝のスマホが鳴り、電話に出るために車を降りてしまった。
俺は入江とふたり、車内にとり残される。
「…相原」
「ん?」
となりを見ると、入江は窓枠に頬杖をつきながら、スモークガラスの向こう側を見ていた。
「さすがに今日は、迷惑かけたな」
俺は目をパチクリさせる。
「それ、もしかして謝ってんの?」
「あのな、茶化すなよ。せっかくまじめに話してんのに」
入江の耳が、ほんのり赤い。めずらしいものを見たせいなのか、俺の心臓はなぜかきゅっと縮んだ。
「そういえば、まだ今日の分の質問をしてなかったな」
「は?それってなんだっけ」
「約束しただろうが。俺が見学に来るたび、なんでもひとつ質問に答えてもらうって」
「あー…あれね。まじかよ。今ここで答えんの?」
ニヤリと笑うと、入江は顔を引きつらせる。
「何にしようかなあ」
「おい、あんまり変な質問はやめろよ」
…聞きたいことはいろいろあるけど、今日はまあ、気楽に答えられそうなものにしようか。滝さんが戻ってくるまでの、てきとうな雑談になりそうな話題を。
「そういえば入江って、休業中はなにしてたの。仕事のリフレッシュだったんだろ。どっか旅行にでも行った?」
途端、空気が凍りつく。入江がわかりやすくたじろいだ。
…あれ?俺、なんか変なこと言った?
目の前で、拳がぎゅっとにぎりこまれる。
「精神科。通ってた」
「え?あ…ああ、そっか。忙しかったみたいだし、メンタルにも来るよなそりゃ」
「ちがうよ」
形のよい瞳から光が消え、片頬が冷酷そうにつり上がった。
「俺、死んでほしいやつがいるんだよね。あのままだと刃物でも持って襲いにいきそうだったから、心を落ち着かせるためにさ」
時間が止まったかのように、車の中は静まりかえる。
「…それはまた、いったいどうして」
「質問はひとつって約束だろ?」
入江は笑顔のまま、それきり口を閉ざした。
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