第三章

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「緋希。今日の分の撮影だけど、一週間後に延期(えんき)になったから」 「はあ?なんで」  滝は片ひざをついて、入江の頭をやさしくこづく。ふたりの雰囲気は、なんだか兄弟みたいだ。 「おとといのこともあるし、お前はまだ体力が戻ってないんだよ」 「過保護(かほご)かよ。そんなヤワじゃねえって」 「いいから。このままムリしたって、また何かの拍子(ひょうし)(たお)れるだけだ。頼むからこれ以上心配させないでくれ」  じゃないと俺はマネージャー失格だ、と、落ち込んだ顔を見せる。入江は一瞬だけ傷ついた目をしたが、それ以上は何も言わなかった。 「それじゃあ帰ろう緋希。…あ、相原さん。車まわしますけど、いっしょに乗って行かれますか。せっかくなので送りますよ」  滝がにこりと笑う。最初は(ことわ)ろうとしたけれど、入江がめずらしく「乗ってけば」なんて言うものだから、流されるようにうなずいてしまった。  そのまま三人で駐車場に向かう。  黒いワンボックスカーに乗り込むと、滝のスマホが()り、電話に出るために車を()りてしまった。  俺は入江とふたり、車内にとり残される。 「…相原」 「ん?」  となりを見ると、入江は窓枠(まどわく)頬杖(ほおづえ)をつきながら、スモークガラスの向こう側を見ていた。 「さすがに今日は、迷惑かけたな」  俺は目をパチクリさせる。 「それ、もしかして謝ってんの?」 「あのな、茶化(ちゃか)すなよ。せっかくまじめに話してんのに」  入江の耳が、ほんのり赤い。めずらしいものを見たせいなのか、俺の心臓はなぜかきゅっと(ちぢ)んだ。 「そういえば、まだ今日の分の質問をしてなかったな」 「は?それってなんだっけ」 「約束しただろうが。俺が見学に来るたび、なんでもひとつ質問に答えてもらうって」 「あー…あれね。まじかよ。今ここで答えんの?」  ニヤリと笑うと、入江は顔を引きつらせる。 「何にしようかなあ」 「おい、あんまり変な質問はやめろよ」  …聞きたいことはいろいろあるけど、今日はまあ、気楽に答えられそうなものにしようか。滝さんが戻ってくるまでの、てきとうな雑談になりそうな話題を。 「そういえば入江って、休業中はなにしてたの。仕事のリフレッシュだったんだろ。どっか旅行にでも行った?」  途端(とたん)、空気が(こお)りつく。入江がわかりやすくたじろいだ。  …あれ?俺、なんか変なこと言った?  目の前で、(こぶし)がぎゅっとにぎりこまれる。 「精神科。通ってた」 「え?あ…ああ、そっか。忙しかったみたいだし、メンタルにも来るよなそりゃ」 「ちがうよ」  形のよい瞳から光が消え、片(ほほ)冷酷(れいこく)そうにつり上がった。 「俺、死んでほしいやつがいるんだよね。あのままだと刃物でも持って(おそ)いにいきそうだったから、心を落ち着かせるためにさ」  時間が止まったかのように、車の中は静まりかえる。 「…それはまた、いったいどうして」 「質問はひとつって約束だろ?」  入江は笑顔のまま、それきり口を閉ざした。
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