第三章

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 押し返そうとしても、音を立てないように抵抗するには限界があって、うまく力が入らない。倉木はただ幸せそうな笑みを浮かべ、俺を見下ろしている。  この狭い空間にふたりきりという状況は、俺をパニックにさせるのに十分だった。  呼吸が乱れ、必死で息をかみ殺す。  すると、(ひたい)(ひたい)がコツンとぶつけられる。ほとんど吐息のようなささやき声が聞こえた。 「兄さん、可愛い」  倉木は俺の両手首をつかむと、そのまま頭上に固定する。ゾッとして、視線だけで倉木を見返した。 「怖がらないで」  ゆっくりと、唇が重ね合わされる。小刻(こきざ)みにふるえる俺の体が個室の(かべ)につたわり、異様な物音(ものおと)がたった。  外にいた男たちがこちらに気づいたのか、一瞬、しゃべり声がやむ。けれど、すぐに下品な笑いがおこった。 「あの個室、めっちゃふんばってんじゃん」 「がんばって出せよ」  倉木はまったく気にしておらず、固くひき結ばれた俺の唇を舌先でなぞっては、まるで感触(かんしょく)を楽しむかのように唇を唇でこすられる。  あまりにもやさしいその愛撫(あいぶ)は、このふざけた状況とひどくちぐはぐで、得体の知れない恐怖が俺を支配していく。 「くち、あけて」  先ほどから赤く()れた舌が、唇をわって入ろうとうごめいていた。俺は黙ったまま相手をにらみつける。  倉木の瞳がいっそう影を落とし、まるで獲物(えもの)を見つけた野生動物のように鋭く細められた。  固定していた俺の両手を片手でまとめると、あいた手で俺の鼻をつまむ。  …こいつ!  唇は合わさったまま、目の前のこの(けもの)は軽く笑みさえ浮かべ、こちらが息絶えるのを待っていた。  外はまだガヤガヤとさわがしい。俺の焦燥感(しょうそうかん)はひたすら増していく。  ついにたえきれず、酸素を求めて口をひらいた。倉木は恍惚(こうこつ)の表情を浮かべる。その時、外にいた連中がまたぞろぞろとトイレから出て行った。  俺は必死でもがく。 「はなせこのっ…!」  けれど体はびくとも動かず、倉木はただほほ笑むだけだった。押し当てられた腰のあたりに硬い(しん)のようなものを感じとって、背すじが一気に(こお)りつく。 「その顔見てると思い出すよ。また兄さんの中に入りたいな。あのときは、ふたりともいく前に終わっちゃったから」 「次その話したらぶっ殺す」 「忘れられないんだ。あの感触(かんしょく)が。信じられないくらいに気持ちがよくて」 「だまれっ!!」  この男は完全にイカれているのだ。ただひとり悦に()り、人のトラウマを土足で()み荒らしていく。
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