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俺はすこしほっとした。
「なら、これから迎えに行きます。そちらの住所だけうかがってもいいですか」
また一瞬、沈黙がうまれる。
「…いや、わざわざ大変でしょうし、僕がタクシーで送りますよ。入江くんの家の住所を教えてください。マネージャーさんは、入江くんの家で待っていてくだされば」
「そんな、悪いですよ」
「大丈夫ですよ」
また、かろやかな笑い声。
「入江くんを酔わせちゃって、申し訳ないなって思ってたんです。僕に責任を取らせてください」
俺は迷った。口を開きかけたけれど、ふたりが仲が悪いという話を社長から聞いていたので、住所なんてかなりプライベートなものを本人に教えていいのかとなやんだ。
目の前では、倉木の知り合いらしい女性がニコニコと笑顔を見せている。
「どうされました?」
女性が小首をかしげた。純粋そうな瞳がキョトンと、こちらを向いている。
「あ、いえ」
「入江くん、大丈夫そうでした?倉木くん、すっごい真っ青な顔して、入江くんのこと心配してたから。さっきは私までオロオロしちゃった」
「そうだったんですね…」
…仲が悪いのは、なにかケンカでもしたからなのかな。昔からの知り合いとは聞いているし、変な人ではないのかも。
俺はスマホをにぎりなおした。
「それじゃあ、申し訳ないですけど、お願いします。緋希の住所は…」
電話を切った俺は女性にスマホを返すと、そのまま緋希の住むマンションに向かった。駐車場に車をとめ、エントランスの前で待っていると、一台のタクシーが停車する。
中からはすらりと背の高い男と、緋希がおぶられるようにあらわれた。
…あいかわらず、でかいな。緋希だって背が高い方のに、それよりはるかに上だ。
「お待たせしました」
「わざわざ運んでいただいてありがとうございます。重かったでしょう。代わりますよ」
「いえ。このまま部屋まで運んじゃった方がはやいですから」
倉木の口調には、どこか慈しむような響きがあった。どれだけすすめても、いっこうに緋希をおろそうとしない。
目が合うと、にっこりとほほ笑まれた。
…なんだか、独特の迫力がある人だよな。
「じゃあ、すみませんが部屋までお願いします」
俺はスペアのカードキーでマンションに入ると、エレベーターで緋希の部屋があるフロアへ向かった。
「いいところに住んでますね、入江くん」
「ここはセキュリティがしっかりしてますからね。変な人は入って来れないですし」
そこで、なぜか倉木が笑った。
「そうですね。変な人が入ってきたら困りますもんね」
チンと軽い音がなる。俺たちはエレベーターをおりて緋希の部屋に入った。
「ベッドはどちらです?」
「寝室は、その奥にあります」
俺は部屋の電気をつけた。倉木がそっと緋希をベッドに横たえる。
「ありがとうございます。それじゃあ帰りましょうか」
「はい。あ、そうだ。ちょっとトイレ借りてもいいですか」
「どうぞ。トイレは反対側の突き当たりです」
俺は先に部屋を出て、入り口で待っていると、しばらくしてから倉木が出てきた。
ここまで重労働だったはずなのに、倉木はやけに機嫌がいい。そのことに、なぜだか俺は胸騒ぎがやまないまま、ふたりでエレベーターを下っていった。
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