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 週末。  花火大会の日は朝から快晴だった。  早めの夕食をとって、弘貴と亜優は直哉をまず人魚の洞窟へ案内することにした。  乙女岬展望台へは直通のバスを利用するか 町外れの長い坂道を10分ほど登らなければならない。  ドライブインには全面ガラス張りで水平線まで見渡せるレストランと土産物店があり、広い駐車場の端から展望台へ向かう上り階段、洞窟へ向かう下りの階段と別れている。  人魚伝説について書かれた案内ボードを読んで、直哉は岩を削り出しただけの粗雑な階段を下って洞窟へ降りた。  洞窟底は岩に開いたいくつかの裂け目から落ち込んでくる陽光のおかげで、意外と明るい。  扁平な楕円形をした小さな湾を擁する天井の高い岩窟で、岩肌には黒く小さな無数の虫たちが独自の生態系を作ってくらしている。  外海から胎海へ通じる水路は狭く、荒れ狂う怒涛も冷たい波も淘汰され、届くのはさざ波のような穏やかな揺蕩いのみだった。  打ち付ける波の音が眠気を誘うリズムで心地よい。 「展望台も見に行くだろ?」  直哉が写真を撮り終えるのを待って、弘貴が言った。  そわそわと上に続く階段の方を見て、まだ居残りたい直哉をせかす。 「ここ、地元では心霊スポットなんだ。たしかに何度か溺れた人が流れ着いたこともあるしね。ヒロくんて意外と怖がりだから早く明るい所へもどりたいんだよ」  と亜優が笑いながら教えてくれる。  直哉は吹き出し、もう階段を登りはじめている弘貴に続いた。   「綺麗だろ!」  陸に向かって絶えず吹き付ける風に前髪を逆立てて、弘貴が怒鳴った。  大声で話さないと、なにも聞こえないからだ。 「……!」  直哉も必死で頷いた。    遠い水平線に触れるオレンジ色の太陽。  揺らぐ熱を溶かしこんだみたいな光のグラデーションがまっすぐ、こちらへむかってのびている。  白い波がしら、行き交う漁船、海鳥の影。  髪をかき乱し、肌を冷やし、唇をしょっぱくさせる荒々しい潮風。  不意に亜優が直哉の腕を掴んだ。  指差す方を見ると、巨大なフェリーが出航してゆくところだった。   「あの船は北海道へ行くんだよ」  と亜優は説明した。  遠い航路をゆったりと進んでゆく客船の後ろ姿を眺めていると、なぜか心が安らぐ気がして直哉は身を乗り出した。 「ナオ、気を付けろ。この下の湾な、深くて流れもややこしいから落ちたら浮かんでこれないぜ」  海食によって削られる前、この岬は海面から30mほども突き出した台形状の巨岩であった。  年月と打ち付ける波涛が穿った湾の内側には外海から流れ込む波と跳ね返される波が小さな渦潮をいくつもつくる複雑な潮流があり、満潮時には海底へ向けて引きずり込む強力な巻波が発生する。  漁師たちは難をおそれて乙女岬の湾には決してちかよらないし、親たちから繰り返し言い聞かされて育った地元の子ども達もそれにならった。 「人魚は荒い湾の流れを泳ぎ切って、洞窟へたどり着いたのよ」  台形岩の基底部にはいくつかの海食洞があり、唯一地上へ上がれる通路に通じているのが人魚の洞窟なのだ。  直哉はさかまき泡立つ海面を見下ろした。 「さ、そろそろ戻ろうか。直哉、たこ焼き食いたいって言ってただろ」  太陽が水平線へ沈みきると、弘貴は急に空腹を覚えた。  それに、憑かれたように海面に見入っている従弟の表情に、引っ掛かるものもあった。 「打ち上げ始まっちまう、急ごうぜ」 「わ、待ってよ」   さくさくと遊歩道を戻ってゆく弘貴に亜優は抗議の声を上げた。  履きなれない下駄で指の股が擦りむけて痛いのだ。 「!」  足を庇ってよろめいた亜優をとっさに直哉が支えた。  そのまま、手を引いて歩くのを手伝ってくれる。 「あ、ありがと」  亜優は思わず赤面した。  かつてなく大事に扱われた気がして、嬉しいような恥ずかしいような、照れくささでとても顔が上げられない。 「…」  直哉は振りかえり、俯いてしまった亜優を見て足を止めた。  覗き込んでくる漆黒の瞳に、ざわめく心の中を見透かされてしまうような気がして、亜優は不安になった。 「もう大丈夫だから!」  距離感に頓着しない直哉の整った顔を、おもわずぐいっと押し退けて亜優はぞんざいな口調で言った。   「どうした?」    ついてきていない二人に気付いて弘貴が立ち止まる。  直哉が亜優の足を示して、泣きまねをする。 「別に泣いてないでしょ!」  ムキになって亜優は直哉の背中をどついた。 「けほっ」 「もう! 先に行くからね」  足が痛いのも忘れ、亜優は駐車場へとつづく遊歩道を駆け下りた。 「なんだ、アイツ。凶暴だな」  むせた直哉の背中をさすって、弘貴は呆れた顔で呟いた。
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