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「花火大会、予定通り開催するみたいだな」
「うひゃ、つめて~」
「(>_<)」
運ばれてきた練乳いちごとスプラッシュレモンのかき氷に、キーンとなっている二人に大地が話し掛けた。
「そうだ。直哉は初めてだな、花火大会」
こめかみを揉みながら、弘貴は嬉しそうに言った。
「一緒に見に行くだろ? 行きたがってた人魚の洞窟にも案内してやるからな」
「!」
人魚の洞窟、という言葉に直哉が顔を上げた。
磯崎町の東端にある乙女岬には少し変わった人魚伝説が残されている。
月の明るい春の夜、乙女岬の真下に穿たれた洞窟に泳ぎ着いた人魚が子どもを置き去りにして泳ぎ去った。
置き去りにされた子どもは、漁師の村人に拾われ、人の村で暮らした。
実直で甲斐性があり、村の娘と結ばれたが、生涯、人の言葉を話すことはなかったと。
伝説の舞台となった洞窟は実在する。
ガイドブックに載せられるような観光名所ではないが、民話伝承を研究しているどこかの大学の先生だとか学生だとかが2.3年に一度くらい、現地取材に訪れることがある程度には知られたスポットであるらしい。
湾に突き出した乙女岬の展望台は山向こうから峠を越えて来た車が長い山道を走って最初にたどり着く休憩所も兼ねており、広い駐車場は一般乗用車の他に、長距離トラックやタクシー、観光バスなどで賑わう。
「人魚が子どもを置き去りにした海中洞窟はね、細い水路で外海と繋がっているの。外海がいくらシケてても水路を抜けてしまえば胎海はいつも静かで温かいし、陸地側からも洞窟内に行き着くことが出来るのは実は珍しい地形なんだって」
すらすらと説明する亜優に直哉は目を丸くした。
「これくらいは地元の子ならみんな知ってるよ。だって人魚の洞窟と隣町の水耕野菜プラント工場はかならず小学校の社会科見学に組み込まれてるもん」
なるほど~と直哉は頷いた。
「だけどどうして人魚の洞窟へ? 言っちゃあれだけど取り立てて面白い場所でもないよ」
と千絵は言ったが、亜優はそうでもないと思っていた。
子供を棄てた人魚は、その後どうしたのだろう。
と、時々亜優は考える事があった。
子供を置き去りに、波間に消えた人魚のその後は、郷土史の付録の昔話には残されていない。
彼女はその後、どうしたのだろう。
幸福になったのだろうか。
子供が恋しくて泣き暮らしたのだろうか。
それとも、深海に還る間に忘れてしまったのだろうか。
虹色の鱗をまとった美しい海の姫。
亜優はときどき、その行方に思いを馳せる。
だから直哉がメモ帳に小さく、
『人魚にあいたい』
と書いた文字を見て、大地や弘貴のように吹き出す気にはなれなかった。
「直哉、意外とロマンチストだな」
と弘貴。
「人魚はともかく、岬の展望台からの眺めは一見の価値ありだぜ」
赤面した直哉の頭をくしゃっとかき混ぜて、弘貴は請け合った。
「学校の図書室に人魚伝説の特設コーナーあるよ。学校始まったら読みにいこ」
からかわれてわかりやすくしょんとなってる直哉に、亜優は提案した。
新学期が少し、楽しみになった。
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