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  磯崎町の納涼花火大会は、屋台や飲食店の延長営業、芸人や歌手を招いてのフリーライブ、豪華な景品を用意してビンゴ大会など、楽しめる企画がたくさんあるのと、目抜き通りを歩行者天国にして解放するので小さな子供も比較的安全に遊べるお祭りということで、毎年大変な賑わいを見せる。 「はぐれんなよ」  と弘貴に釘を刺されて3分後、直哉は射的の屋台に気を取られて立ち止まり、振り向いた群衆に弘貴と亜優の姿を見失ったことに気がついた。  しかもたこ焼きを買う時スマホを弘貴のボディバッグに入れさせてもらったまま、はぐれてしまったので連絡の取りようもない。  全面4車線の広さがある歩行者天国は見渡す限りの人波で、そのどれもが知らない顔だった。  きっと弘貴の方が倍ぐらい心配して探してくれている。  そう思って、しばらくはキョロキョロと雑踏をかき分けていた直哉だったが、あまりの人の多さに早々に諦めた。    家に戻ることも考えたが、歩いてるうちにバッタリ出会えたりしないものかと思うと踏ん切りがつかず、アテもなく歩き続けた結果いつのまにかMOONの前の砂浜まで辿り着いていた。  今夜のMOONは花火大会を楽しむ常連客のためにテラス席を解放している。店長と大地が料理と皿を運んで忙しく立ち働いているのが、遠目に見えた。  直哉はすこし考えて、低い堤防を乗り越え砂浜に降りた。  花火の打ち上げ音と寄せ返す波の音が、暑さと迷走と人酔いで消耗した神経を鎮めてくれる。  直哉は波打ち際でサンダルを脱ぎ、海水に足を浸した。  日中の熱を残した黒い波はぬるく、波が引いた間隙を狙って大きなカニが巣穴から姿を現し、泡と戯れている。  エサを探しているのか、異性を誘っているのか、捕えようとしてもその動きは素早すぎて、直哉の指は一度もその濡れた甲殻に触れる事はできなかった。 「ねえ、君!」  気が付くと直哉は遊泳区域の端、岩場の浅瀬付近までカニを追ってきていた。  顔を上げた大きな岩の上に知らない男がしゃがんでいた。  丸眼鏡を掛けた無精ひげの大柄な男で、月に負けない丸顔に親し気な笑みを浮かべている。  唐突に現れた男に、直哉は驚いて立ちすくんだ。 「あ、あの怪しい者じゃないんだ、この上のアトリエに住んでて」  男は言いながら、身軽に岩を飛び降り直哉の正面に立った。  視線を囚われたまま、直哉は後ずさった。  背後は夜の海、右手は岩と壁……とっさの判断で直哉は左の砂浜へ駆け出そうとした。 「待って」  男はその巨躯からは想像しがたい敏捷さで反応した。  自分の手首を掴む男の手を見た瞬間、直哉の脳裏に浮かんだ光景があった。  あの時と同じ……。  そう考えた瞬間、 「!」  不意にギシっと心臓が軋んだ。  とにかくここから逃げなければ。    罠にかかった獣のように、思考がパニックに支配される。  吸い込んでも吸い込んでも、酸素が肺に届かない。  硬直した肺が酸素を拒絶している。  陸に上がった魚のように、苦しくて、直哉は胸を押さえた。 「あ、いかん」    倒れかけた直哉を、男がすんでのところで抱き止めた。 「ゆっくり全部息を吐いて。吸うことは考えなくていいから」  そういわれても、体は勝手に酸素を取り込もうとして、酸欠の金魚みたいに、ぱくぱくと口が動いた。 「……!!」    あの日と同じ。  闇の中でぎらぎらと輝いていた刃物、怒号、何かが床の上で砕け散る音。  男は血だまりに横たわる直哉に唾を吐いて逃げ去った。  手当もせず、救急車も呼ばず。  死ねばいい。  そう願われたと思った。  痛くて怖くて動けなかった。  ……す、けて。    意識が融解する刹那、直哉はもがきながらそう呟いた。  誰の耳にも届かない声で。
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